歩け、歩け-伊原教授の読書室

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      歩  け、歩  け


伊原註:これは 『 關西師友 』 平成23年3月號に載せた 「 世界の話題 」 ( 255 ) の増補版です。




          身體の鍛錬と精神の鍛錬


  あるけ、あるけ、あーーるけあるけ──といふ歌が戰前にありました。

  高村光太郎作詞、飯田信夫作曲、昭和十五年の國民歌謠 ( 76 ) です。

  その全歌詞は以下の通り ( 『 日本の唱歌 ( 中 ) 大正・昭和篇 』 講談社文庫、昭和54,238頁 )


      あるけ  あるけ  あるけ  あるけ

      南へ  北へ  あるけ  あるけ

      東へ  西へ  あるけ  あるけ

      路ある道も  あるけ  あるけ

      路なき道も  あるけ  あるけ


      あるけ  あるけ  あるけ  あるけ

      目ざすはかなた  あるけ  あるけ

      けぶれる  ゆく手  あるけ  あるけ

      果なき  野づら  あるけ  あるけ

      こごしき  磐根  あるけ  あるけ


      あるけ  あるけ  あるけ  あるけ

      身をやく  日照り  あるけ  あるけ

      塩ふく  背中  あるけ  あるけ

      身を切る  吹雪  あるけ  あるけ

      凍てつく  目鼻  あるけ  あるけ


      あるけ  あるけ  あるけ  あるけ

      思ひは  高らか  あるけ  あるけ

      大地の  きはみ  あるけ  あるけ

      海さへ  空さへ  あるけ  あるけ

      吾等を  とどめず  あるけ  あるけ


  でも戰後、小中學校では生徒に歩くことを教へず、スポーツをやらすだけ。

  乘物の發達で人は碌に歩かなくなりました。武術をやらないので呼吸法からして出鱈目です。

  人は、肉體を鍛へることによつて精神も鍛へられるのに、

  肉體の鍛錬を疎かにしたのでは、まともな人が育ち難くなります。


  立派な人かどうかは一目で判ります。

  背筋がピンと伸びた人は、間違ひなく立派な人です。


  もう一つ、引締つた顔付の人も立派な人です。

  戰爭記録に出て來る少年兵の集合寫眞の顏の何とキリッとしてゐること!


  街で觀察すると、若者は女性の方が遙かに姿勢が宜しい。

  姿勢から見て、日本の將來は女性にかかつてゐますね。


  歩くことについて、讀者の皆さんに即日實行して戴きたい即習法があります。

  毎日家を出たあと、百歩で宜しいから膝を高く擧げて歩いて下さい。

  このあと普通に歩くと、足 ( 脚 ) がすいすいと輕く前に出ます。


  歩く筋肉には二種類あり、普通、前に出す筋肉しか使ひませんが、

  實は持上げる筋肉も必須なのです。


  走ればこの筋肉が發達します。

  軍隊でもスポーツ倶樂部でもしつかり走らすのは、

  「 呼吸器を鍛へる 」 ほかに、足の筋肉は 「 前に出す 」 と 「 膝を上げる 」 運動が必須だからです。


  年をとると、走るより、ゆつくり膝を持上げる方が無理なく實行できます。

  階段を上り下りすると效果的です。


  因みに一歩とは、左右合せた一組を言ひます。

  片足踏出すだけなら半歩です。


  だから戰前、 「 政治家は民衆から一歩前に出ると浮上る。半歩前が丁度良い 」 と言はれました。

  萬歩計は半歩を一歩と數へるので、歩數を出すには半減せねばなりません。


  今の若者は、靴さへスリッパのやうに引摺つて歩きます。

  あれは足を持上げる努力を厭つてゐるのです。

  電車で股を大きく擴げて坐るのは、股を閉ぢる努力を怠るからです。

  彼らの肉體はなまつてゐる筈です。

  ( 肉體は、成長期に鍛へてをかないと、年を取つてから後悔する筈です )


          呼吸法と姿勢の正さ


  今の學生は、テレビを通じてあらゆるものを見慣れてゐるので、

  講義で何を言つても驚きませんが、

  私が 「 君らの息の仕方はなつとらん 」 と言つたら、流石にぎよつとしました。


  平和な世の中で安樂に暮してゐると、息が淺い儘過します。

  武術やスポーツをやれば、呼吸法を自在に操れます。


  呼吸法の基本は腹式呼吸 ( 深い呼吸 ) です。

  人は不斷は胸式呼吸 ( 淺い呼吸 ) をします。

  力仕事や精神を鎭める時は腹式呼吸です。


  私は舊制中學一年生の時に一年間蹴球部に入り、徹底的に走らされた經驗があります。

  それに大學時代に合唱を始めて以來ずつと續けてゐますから、

  腹式呼吸と胸式呼吸を自在に切換へられます。


  人は慌てると呼吸が淺くなります。

  こんな時は意識して深呼吸すれば落着きます。

  坐禪は、私から見て呼吸法の習得訓練です。

  呼吸を整へて精神を安定さすのです。


  正しい呼吸は、正しい姿勢から生れます。

  日本人は、江戸時代以降、正座で正しい姿勢を習得しました。

      伊原註:戰國時代の武將が胡座なのは、敵に襲はれた場合、一段階で立上れるからです。

              正座は 「 殿樣坐り 」 と稱されました。

              殿樣は小姓が劍を持つて傍に居るので、二段階で立上がつても斬られずに濟むからです。

              江戸時代は 「 天下泰平 」 が實現したので、武士も正座するやうになりました。


  胡座は背中を丸くする惡い坐り方です。

  坐禪する時のやうに、尻に座布團を敷けば背筋が伸びます。


  問題は戰後です。

  座敷生活から椅子生活になつて、日本人の姿勢は斷然惡くなりました。

  特に安樂椅子がいけません。

  あれは樂に見えて樂でない。

  同じ姿勢を持續できないからです。


  持續できる正しい姿勢とは、自然體の姿勢です。

  劍道の正眼の構への状態です。

  持續でき、直ちに次の動作に移れる隙のない姿勢です。


  子供にかういふ基本的なことを教へ躾けるのは親の役目です。

  それを怠る親には祖父母が注意しました。


  姑を排除する核家族が一般化した戰後の日本の家庭では、

  先代の生活の智慧が若い世代に傳はりません。

  でも、積重ねた生活の智慧は何とかして

  若い世代に教へ傳へたいですね。


追 記:

  若い世代に教へ傳へたいもう一つは、お箸の握り方です。

  私は台灣・香港・中國で、若者の顏 ( 表情 ) ・姿勢・箸や鉛筆の握り方に注目して來ました。

  顏は初めは引き締つてゐましたが、生活水準の向上と共に緩みました。

  姿勢は、特に子供は惡いのが多い。

  箸の持ち方に到つては、99.9% が間違つた持ち方をしてゐます。

  親の躾けが出來てゐません。

  世の中、この面ではどんどん惡くなつてゐますよ。

( 2011.1.30/4.6補筆 )