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劉 華 清 の 遺 言
「 天安門の毛澤東の肖像を降ろし、毛澤東紀念堂を撤去せよ! 」
「 毛澤東否定なくして中國に前途なし 」 との提言
これが、文革で辛酸を嘗めた中共元老大多數の共通意見であるが、
現行のひ弱な政權は、反對派の足引つ張りを恐れて
よう踏み切らずにもたついてゐる。
伊原註:今年1月14日、中共軍人 ( 海軍の近代化を指導した軍人 ) 劉華清が亡くなりました。
彼が倒れてから一念發起して書いた ( 口述筆記です ) 遺言ともいふべき黨中央に對する提言が、
香港で發行されてゐる月刊誌 『 爭鳴 』 で紹介されました。
その粗譯を以下に紹介します。
急いで大意を汲みつつ日本語に移したので、細かいところは不正確かも知れません。
先づ、日本の新聞が記事として載せた劉華清の略歴を書いて置きます。
( 中共文件で私が若干補足してをきました )
劉 華 清 の 經 歴
2011. 1.14 劉華清 歿 ( 享年96歳/滿94歳 ) :中國の軍事指導者・元中共政治局常務委員
1916年 湖北省大悟 出生。
1929年 中國共産主義青年團に入團、
1931年 中國工農紅軍に參加。
1934年 紅25軍に參加して 「 反圍剿 」 戰を經て 「 長征 」 ( 逃避行 )
1935年 中共 入黨。
抗日戰爭期:八路軍 129師秘書主任・專教科科長など。百團大戰に參加。
建國後、西南軍區軍政大學政治部主任、第一海軍學校副校長兼副政治委員
1955年 ソ聯留學 ( ヴォロシーロフ海軍學院、1958年 卒業・歸國 ) 、海軍副參謀長などを經て、
1980年 解放軍副總參謀長、
1982年 海軍トップの海軍司令員に就任して中國の海洋進出戰略を指導し、
「 沿岸防衛海軍 」 から 「 外洋海軍 」 に轉換させた。
空母建造の必要を 1980年代から力説したことで有名。ケ小平の信任厚く、
1987年 中央軍委委員・副秘書長
1988年 海軍司令官を退任、事實上引退したが、
天安門事件後の 1989.11. 中央軍委副主席に就任し、中央軍委主席 江沢民を補佐した。
1992年には黨最高指導部の政治局常務委員に抜擢された。
1998年に引退したが、軍への影響力を殘してゐたとされる。
さて、紹介する 『 爭鳴 』 の評論は、以下の通り。
羅 冰 「 劉華清遺言要求拆毛堂 」
( 『 爭鳴 』 No401/2011.3月號,7-8頁 ) :
第一、劉華清 逝世
この10年來、中共黨内・軍内で影響力最大の重量級政治人物の逝去。
死因=急性肺炎。2010.4. 入院、 4.10 I危篤。 10.5 II危篤。 2011.1.5 III危篤。
以後ずっと混迷狀態が續き、1.14 06:00 逝去。
第二、劉華清生前留下的意見和建議
2010.4.下旬、I危篤から病状好轉後、見舞に來た習近平に曰く、
「 今の間に黨・軍・國家の大事に對する提案をする 」
と中央に傳へるやう依頼。
4.18〜 口述開始。
秘書・看護士に 記録させ、記録に目を通して推敲を加へ、11.10 完成、署名。
全文 1萬8200餘字。
劉華清は、李源朝・徐才厚と共に見舞に來た習近平に自ら手渡して曰く、
「 老同志・老軍人・人民の子として反省し、黨に向けて最後の告白をした 」
中共書記處は劉華清の願を汲み、貴重な意見・提案として
2.1, 整理後に 在職・退職の副總理・副委員長・政協副主席・中央軍委の
一級閲讀資料として發給。
第三、劉華清致中央信函中提出七個問題
以下は劉華清の遺言の内容である。
( 伊原註:劉華清は 「 七項目 」 の問題提起をしてゐます )
( 1 ) 全黨全軍は危機意識を持ち、憂慮を高め、
整黨・治黨・建黨工作の重點を掌握して總括吸収し、
三度に及ぶ整黨・治黨・建黨が目標を達成できなかった原因を探れ。
提案 5ヶ條 ( 略 )
( 2 ) 嚴しく軍を治め軍を整頓して軍隊建設時に出ていた問題と取組むべし。
中央軍委・軍師二級から始めて政治意識・機會意識・責任意識及び國家安全・領土完整に
對する現實の脅威と挑戰意識を強化せよ。
提案 9ヶ條 ( 略 )
( 3 ) 黨・政・軍・國家機關部門の精簡架構工作は法律・條例を制定して解決せよ。
提案 5ヶ條 ( 略 )
( 4 ) 經濟發展と改革に關しては過程の途中で不斷に總括し、常に偏向を正せ。
社會主義社會制度の優越性を體現するのが中心任務である。
社會主義社會制度の社會的基礎を擁護強化し、社會的平等・公義を顯彰せよ。
社會に突出した矛盾や、普遍性を持ち社會が共鳴する問題や呼掛け・訴えは、
全て政黨 ( 中共黨 ) が制定した方針・政策が
執行時に國家や社會制度からずれてゐることを示す指標である。
提案 4ヶ條 ( 略 )
( 5 ) 當面の黨軍關係・政軍關係・黨軍及び政軍關係については、
新時期・社會主義社會市場經濟體制下で如何によく調整するかが、
直接政局の安定・人心の安定・社會の安定・國家事業の正常且つ健康なる發展に
關係し影響する。
提案 6ヶ條 ( 略 )
( 6 ) 黨内の退職した老同志は黨員たるの使命を高度に自覺し履行し、
黨章・黨紀・黨内守則を遵守し、自分の親族・子女をきちんと躾け、
個人的地位を飛越して黨政・國家の政策決定に干預してはならない。
高級幹部の經濟・福祉待遇は大幅調整して下げ、
共産黨員と人民の公僕といふイメージを再建せよ。
提案 8ヶ條 ( 略 ) 。
その内の 1ヶ條=已に退職濟の第14期・第15期・第16期の政治局委員・人大副委員長
・國務委員・政協副主席・中央軍委委員・中央委員・中央候補委員は、
建黨90周年前夜に全黨・全國人民に向けて個人・家族の資産・財産の來源を公開し、
實際行動を以て黨と人民の檢査を受けるべし。……
( 7 ) 毛澤東の一生を評價し直せ。
毛澤東思想に新認識を下し、毛澤東紀念堂の處理につき意見を提出するのは、
黨内の思想解放に直接關り、重大な原則問題につき亂世を治めて正常に戻し、
誤りを正し、眞に柔軟に科學發展觀を貫徹するためである。
毛澤東紀念堂は國家の中心を成す廣場にあり、毛澤東の肖像が天安門城樓に掲げてある。
この場所は國家の慶祝式典が行はれる最高の觀閲台であることからして
( 毛澤東紀念堂・毛澤東肖像の存在は ) 一種の褻瀆 ( 汚し冒瀆するもの ) である。
黨に氣魄あり、膽略あり、自信があるなら、文化大革命を全面否定し、大災害と決め、
50年代後半に執行された階級鬪爭を綱とする路線を打倒し、國家と人民の禍のもとと決め、
この上ない大阻止力・大困難・大要因だつたと宣言せよ。
不正だつた毛澤東を評價し直して毛澤東紀念堂を取壞し、毛澤東の肖像を外し、
新中國建設途上で非正常な打撃・迫害を蒙つて世を去つた黨内黨外の民衆の魂を慰めよ、
そのため 5ヶ條の提案をする ( 略 ) 。
第四、劉華清:對毛澤東重作評價、拆除毛澤東紀念堂
劉華清は入院中、見舞に來た政治局常務委員連に三大問題を提出した。
( 1 ) 黨自身の建設・軍隊の整頓。
( 2 ) 黨軍關係・軍政關係・軍民關係の調整・再建。
( 3 ) 思想の解放には、以下が必須の要件である。
毛澤東の再評價・毛澤東紀念堂の解體・天安門の毛澤東肖像の撤去
温家寶・習近平は、劉華清を慰めてかう答へた由。
「 貴方の提案は、黨は正に展開・推進中です。
「 もう少し時間がかかりますが、條件を整へて解決します 」
第五、生前強烈要求重新評毛澤東的已故元老
中共中央研究室の資料によれば、黨政・軍・國家の高級幹部が引退後の遺囑で
毛澤東の一生につき筋の通つた客觀的で歷史の事實に符合する評價を下すよう求めた。
そして毛澤東紀念堂の撤去や建直しを求め、天安門上の毛澤東の肖像撤去を求めた者が
絶對多數だつたといふ。
その幹部の名前は以下の通り。
楊尚昆・彭真・ケ穎超・烏蘭夫・谷牧・方毅・薄一波・洪學智・徐向前・秦基偉・楊得志
・楊勇・聶榮臻・彭沖・陳丕顯・江華・黄華・耿飆・賽福鼎・余秋里・蕭勁光・譚震林・
陸定一・張鼎丞・朱學範・楊易辰・張愛萍・雷潔瓊・李井泉・韋國清ら
( 健在の元老は含まず )
第六、逝者的遺願、生者的期盼
劉華清は臨終前に中共中央に與へた書簡に曰く、
「 思想を解放するには毛澤東の再評價を避けて通れない。
「 毛澤東紀念堂を撤去し、天安門から毛澤東の肖像を外して
「 千百萬の新中國建設途上で非正常な打撃・迫害を受けて世を去つた
「 黨内外の民衆を慰靈せよ 」
これは絶對多數の老革命家の遺囑であり、
億萬の中國人民の期待するところ、
更に言へば歷史の必然である。
その日は何れ必ずやつて來る。
( 平成23年3月11日 )