「 陳肇敏與黒暗軍方 」 - 伊原教授の読書室

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              金 恒 煒 ( 『 當代 』 雑誌  總編輯 )

      「 陳 肇 敏 與 黒 暗 軍 方 」

                  ( 「 陳 肇 敏 と 暗 黒 の 軍 部 」 )

                  ( 出所=自由廣場 『 自由時報 』 2.1, 15面 )



伊原註:これは、台灣の新聞 『 自由時報 』 の投書欄に掲載された評論家のコラム評論文です。金恒煒は、いつも中國國民黨にきつ〜い批判をする 台灣本土派の評論家です。今回、15年前に台灣空軍で發生した 6歳の女兒強姦殺人事件で銃殺された空軍兵士 江國慶が冤罪であつたと判明しました。真犯人が出現したからです。軍部は 1月末、これを公表し謝罪しましたが、當事者の空軍作戰司令 陳肇敏が謝罪しない、──といふので、金恒煒が批判したのがこの文章です。


          江國慶冤罪事件については、産經新聞の台北支局長 山本勲記者が 「 ある冤罪事件 」 と題して

          「 台灣有情 」 欄で紹介してゐます ( 『 産經 』 2.10,7面 ) 。

          この評論を理解するには、事件の經過の概要を承知してをく必要があります。

          以下、簡單に纏めてをきませう。


        江國慶 21歳  冤罪事件の概要:


        台灣の報道機關が江國慶の無實を報道したのが 1.28 です。

        その後、馬英九總統が江國慶の家族に詫び、賠償 ( 最高額=3000萬元 ) を約束します。

        先づ、その經過を台灣メディアの見出しで追つてみませう。

          ( 中文の儘なのは、讀者の皆さんに中文を見慣れてをいて頂きたいからです )


      1.28  江國慶案主嫌 曾性侵3女童 ( 台北=頼又嘉/中央社 1.28/23:03 ) :

      1.29  江國慶案翻盤 許榮洲認罪収押 ( 民視新聞網 1.29/18:01 ) :

            空軍女童命案大逆轉 掌紋比對逮真兇 江國慶冤死 ( 台北 『 自時 』 1.29, 1面 ) :

            江國慶冤死案 檢將傳3退役上將・30軍官 ( 『 自時 』 1.30, 1面 ) :

                  陳肇敏指示反情報隊偵辦

                  15人渉對江國慶非法取供

                  24敘奬人員均需接受調査

                  去年被糾正  陳:依法辦理

            江國慶冤案:籲馬英九・國防部長・空軍司令道歉  立委促辦刑求者  追回退休俸

                  ( 『 自時 』 1.30, 3面 ) :應平反江國慶的名譽  給最高撫卹

                                      刑求取供者  應依殺人罪移送

            兒沉冤得雪  江國慶母告慰祖先 ( 『 自時 』 同上 ) :

            讀者の投書 ( 自由廣場 『 自時 』 1.30, 15面 ) :

                  翁偉哲 「 江國慶冤死  一定要究責 」

                  卓不林 「 追究狗官・國民黨 」

                  林善コ 「 軍中哪裡不死人 」

                  丁鐵衛 「 問題出在統治機器 」

      1.30  江國慶案紛擾  國防部致歉 ( 台北=曾依璇/中央社 1.30/22:49 ) :

            陳肇敏:他 ( 江國慶 ) 下跪道歉  江國慶:被落井下石 ( 『 自時 』 1.31, 1面 ) :

            讀者の投書 ( 自由廣場 『 自時 』 1.31, 15面 ) :

                  蔡虔霖 「 法官判政府極刑 」

                  孫義村 「 軍事法庭審判長看法 」

                  鄭義心 「 官員殺人  必須負責 」

                  許建榮 「 馬英九的政治責任  爲何監察委員遺憾・要國民黨負責 」

                  郭長豐 「 陳水扁有没有被江國慶? 」

      1.31  總統指示  平反江國慶名譽及賠償 ( 公共電視 1.31/22:15 ) :

            江國慶冤死:馬英九道歉  江母:不接受  先還清白 ( 『 自時 』 2.1, 1面 ) :

      2. 1  遲來的道歉  馬英九:江國慶無辜/小年夜赴江家上香 承諾儘速平反 ( 『 自時 』 2.2,2面 ) :

            國有冤獄是爲國恥 ( 社論 『 自時 』 同上 ) :

            讀者の投書 ( 自由廣場 『 自時 』 2.2, 15面 ) :

                  郭翰林 「 你殺人我賠錢 豈有此理 」

                  王至劭 「 這不是誤殺 是謀殺 」

                  酥  餅 「 馬英九的假道歉 台灣邪惡的根源 」


      以上、 「 冤罪 」 發覺後のおおまかな動きが摑めたと思ひます。


      以下、事實經過です。


      民國85年 ( 1996年 ) 9.12晝、空軍作戰司令部の福利食堂の便所で5歳の謝姓の女兒が強姦の末殺され、屍體は便所の窓から空地に放り出された。

      容疑の兵士は兵舎で同室の二人、許榮洲 と 江國慶 ( 上等兵 ) 。


      許榮洲は翌民國86年 ( 1997年 ) に台中の ボーリング場で 6歳の女兒を便所に連込み強姦殺人、その場で逮捕。同年 8月、法廷で 8年 6ヶ月の判決を受けた。

      この時、上記 85年 ( 1996年 ) の 5歳の謝姓女兒殺害に關つたことも二度に亙り認めたが、國防部は 「 智慧遲れ 」 を理由に取上げず。


      江國慶 ( 空軍上等兵 ) は福利食堂の賣場擔當員。當然、犯罪を否認した。

      だが國防部は江國慶を犯人と見て、37時間に及ぶ強制・誘導尋問・毆る蹴るの拷問を加えて無理矢理 「 自白 」 させ、86年 ( 1997年 ) 8.13 銃殺した。


      許榮洲は去年 9月、服役を終へて出獄。

      監察院は去年、この事件の調査報告を公布し、國防部が非法な拷問をした事態の調査を要請。

      法務部が再調査し、冤罪を雪ぐ結論を出す。

      監察委員が去年 6月、江國慶事件を再調査した時、專門家に許榮洲を鑑定させたところ、

      許榮洲の告白:

        「 自分は典型的な兒童ポルノ患者であり、出獄後も同じ犯罪を繰返すと思ひ惱んでゐる 」

      台中地檢署:去年、許榮洲の右手の指紋が殺人事件の現場の指紋と一致することを確認。

      台北地檢署も今年 1.28, 許榮洲から 「 私が指で女兒を強姦した 」 「 私一人でやつた 」

        「 兩手で女兒の屍體を便所の窓から空地に放り出した 」 との自白を得た。

      國防部は 1.30午後  記者會見して江國慶事件が冤罪だと謝罪。

      當時、空軍作戰司令だつた陳肇敏は 「 取調中、江國慶は自分に跪いて罪を謝罪した 」 と言ひ、

      反省の辯なし。

      だが江國慶が當時 家に送つた手紙に曰く、司令 ( 陳肇敏 ) に跪拝せよと言つたのは教官である。

      「 この事件は私がやつたのではない。それを司令官に傳へようとしたが、どう言へばよいか判らず、

      「 嗚咽して話せなかつた。彼らはこのあと、私を井戸に投込み、上から石を投落したのだ 」




( 1 ) 江國慶事件は 「 大間違ひの冤罪事件 」 であつたといふ證據があがり、

  「 人神共憤・天理難容 」 ( 人も神も憤り、天道が許さぬ ) と言つてみたところで

  到底納得できぬほど、人民の憤懣は沸騰点に達してゐる。

  これが 「 馬統 」 政府

      ( 伊原註:馬英九總統の政府とも、馬英九が纏めてゐる政府とも讀めるが、

      ( 「 馬統 」 を引用符で括ることで 「 馬桶 」 〈肥えたご、人糞を溜める桶〉を聯想させ、

      ( 「 輕蔑の意味 」 を含ませた言葉 )

  の基盤を搖るがすものかどうか、今後を見守りたい。


( 2 ) 民國86年 ( 1997年 ) に起きた白曉燕事件と較べてみると、直ちに事態が明かになる。

  白曉燕事件は ヤクザが 誘拐し 身代金を取り損ねて人質を殺した事件である。

  その結果、10萬人もの人が街頭で抗議のデモをして、當時の行政院長 連戰 を引きずり降ろした。

  江國慶事件に對する人々の激怒ぶりは白曉燕事件の比ではない。

  台灣人民は足で投票せずに居れようか?


( 3 ) 白曉燕事件は治安問題だが、江國慶事件は人權問題である。

  白曉燕事件は ヤクザの 仕業だが、江國慶事件は國家機構の殺人である。

  白曉燕事件は最後に行政院長を辭めさせて決着がついたが、

  では 無法無天 ( 無茶苦茶 ) な 江國慶事件の結末は どうなる?

  まさか、 ( 當時の ) 空軍作戰司令 陳肇敏と 空軍總政治作戰部主任 李天羽の罪を問ふてお終ひ──

  にするつもりじやあるまいな。

  況して 江國慶事件は立法院・監察院の疑惑を受けた上、

  時間も一年や二年の短時間ではないといふのに、

  ( 責任者の ) 陳肇敏らは大きな顔をして昇進した。

  馬英九は この責任を免れられるのか?


( 4 ) 江國慶事件が一番人を憤慨させるのは、

  司法權を持たぬ 軍部の反スパイ組織 「 政四 」 が主導した點である。


  「 政四 」 とは 何者か?

  メディアの報道によれば、 「 政四 」 は 軍中にあつて誰もが震へあがる 「 東廠 」 であり、

      ( 伊原註: 「 東廠 」 とは、明朝で西廠・錦衣衛と並び警察權を握つて恐れられた

      ( 皇帝直屬の諜報刑獄機關。宦官が猛威を振るつた )

  戒嚴令下の怪獸である 總政治作戰部の麾下にあつて

  白色テロの本領を發揮した彈壓機關である。

  江國慶が命を落さぬ方が不思議、といふ態の機關なのである。

  「 政四 」 の 魔手が一旦伸びたら、

  台北市警察局・調査局や憲兵の調査組など 傍觀するほかない事態となる。


  當時 これに加はつてゐた關係者が メディアのインタヴューを受け、

  内幕を暴露して曰く、

      「 徹頭徹尾 軍部が押通しました。

      「 警察が口を出す餘地など 全然無かつた 」

  今 事が發覺すると、またもや 「 強硬に裏書 ( 保證 ) を迫る 」

  「 政四 」 の 權力の凄まじさ と 遣りたい放題が 如何にえげつないか 判るだらう。


( 5 ) 陳肇敏・李天羽らの徒に 刑罰の宣告が下る事態があるだらうか?

  文書の證據は とつくの昔に隱滅濟だらうが、

  法律の正當な手續を踏越へて命令を下した 「 政四 」 の事件處理──

  といふ事態であることに對する鐵證は 山ほどある。


  更に證據力を高めるのが、江國慶自筆の自白書である。

  空軍作戰司令であつた陳肇敏は ふん反り返つて訊問室を視察した筈だ。

  陳肇敏が 「 政四 」 に命令したであらうことが、これで推察できる。

  これが鐵證其一。


  「 捜査不公開 」 が 檢察の捜査の鐵則なのだ。

  陳肇敏の司令といふ高貴な身分を以てしても、捜査に首を突つ込む權利はない。

  それが巡視を敢行した上、軍部手配の下、江國慶に 「 跪いて罪の許しを乞ふ 」 場面を演じさせた。

  これが鐵證其二。


( 6 ) 軍部は 當時 事件解決を宣言した。

  先づ 死刑求刑後に江國慶に〈自白書〉を書かせた。

  其後 江國慶に 陳肇敏に對して跪かせてから 判決を下した。

  つまり、 「 自白 」 に 「 跪拝 」 を加へて空軍上等兵謀殺の慘劇が完成したのである。

  死刑求刑と自供だけで 司令官の承認がなければ、事件を終結させられなかつたのである!


  正に當時、空軍兵營に赴き現場で實地調査した警官が

  「 事件は處理濟だ、軍部は結審を宣言する! 」

  と言つた通りだ。陳肇敏が さう斷言したからだ。


( 7 ) いま、事件の實情が基本的に明かになつた。

  江國慶は殺人に關はつてゐない──といふのが 眞相 である。

  國防部は公開で謝罪した。


  だが陳肇敏は當初の考へに固執し、

  江國慶の 「 跪拝 」 は 「 情を求めたもの 」 であり、

  「 間違ひを仕出かしたことの許しを乞ふもの 」 だとする。


  紛れもない事實が目の前にありながら、陳肇敏は 受入れようとしない。

  「 江國慶事件 」 の 元兇は 呼べば應へる直ぐ其處に居るやうに見えるのだが。


( 8 ) 追究すべき問題=國防部が公開で詫びたのに、なぜ陳肇敏は 必死に否認を續けるのか?

  國防部は 「 機構 」 に過ぎない。

  「 機構 」 が罪を犯した場合、誰も どうしようもない。

  だが陳肇敏は さうではない ( やるべき遣り方がある ) のに、

  彼は自分が犯した 「 過失 」 を償ふ道の存在を 絶對 認めようとしないのだ。


( 9 ) 「 江國慶事件 」 が示すもう一つの暗い面は、台灣の戒嚴體制の恐ろしさである。

  當時は 戒嚴令解除後 10年近く經つてゐて、台灣の民間社會は民主化段階に入つてゐたのに、

  軍内部は 戒嚴時期その儘であつた。

  蔣家父子が育成した政治作戰體制 が 依然、軍部を壟斷しており、

  上から下まで 全階級を支配し續けてゐた。


  江國慶が家に出した手紙によれば、

  江國慶が 「 跪拝 」 したのは 元々教官が全面的に手引きして出現したものだ。

  江國慶を騙して 「 跪拝 」 させ、 「 情けを求め 」 させたのである。

  教官までもが 「 江國慶事件 」 で自分に割當てられた役割を演じてゐたのなら、

  何者も 「 政四 」 の魔手から逃れられまい。


( 10 ) 「 江國慶事件 」 は 軍隊による謀殺事件である。

  これを演じた 「 反情報 」 メンバーの手は血に塗れており、

  然もこのほか全部でどれほどの冤罪事件があつたか判らぬ儘なのだ。

  「 江國慶事件 」 は氷山の一角に過ぎない。


  「 自白 」 「 罠掛け 」 「 跪拝 」 を以て 冤罪をでつち上げる。

  折角この世に生れて來た人の頭を叩き切つて、然も 誰も責任を取らない。

  台灣人民たるもの、ここは一つ、徹底的に問ひ質さずばなるまい。