和魂の活性化 - 伊原教授の読書室

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  和  魂  の  活  性  化




伊原註:これは、 『 關西師友 』 二月號に掲載した 「 世界の話題 ( 254 ) 」 です。

        多少増補してあります。




            和魂=日本人の存在根據


  昨年の新年號で明治の間違ひを指摘し、

  三番目に

      和魂の傳承に失敗 → 輕佻浮薄の根源

  を擧げました。


  名著 『 和魂洋才の系譜──内と外からの明治日本 』 ( 河出書房新社、1971.12.10 )

  を書いた平川祐弘さんが言ふには、

  外國文化の壓力に曝された時に自國の傳統に縋るのは、

  和魂洋才にせよ中體西用にせよ、劣等感の裏返しの強がりの節あり、ですと。


  私は和魂を、存在根據の自己確認 identification の意味で使ひます。

  時代に即しつつ、日本人を日本人たらしめてゐるものです。


  伊原註: 「 時代に即しつつ 」 と書いた意味は、以下の通り。

          和魂の起源は、 『 源氏物語 』 を書いた紫式部邊りださうです。

          學問とはシナ學の學習であつたのに對し、 「 和魂漢才 」 を主張した。

          幕末にペリーが來寇すると、今度は 「 和魂洋才 」 が主張されます。

          これに但し書きが二つ要ります。

          ( 1 ) 江戸末期の 「 和魂洋才 」 の起點は、新井白石である。

                cf. 『 日本の名著 ( 15 ) 新井白石 』 ( 中央公論新社、昭和44.6.10 )

                  『 新訂 西洋紀聞 』 ( 平凡社 東洋文庫 113, 昭和43.4.10 )

          ( 2 ) 江戸期の 「 和魂 」 は 「 漢才 」 を吸収濟。

                從つて 「 和魂漢才 」 を唱へた時の和魂とは内容が違つてゐる。


  私達の先祖は漢字受入れに際し、

  「 和魂漢才 」 を發揮して返點による訓讀みや假名を發明しました。

  大和言葉は萬葉集以來、庶民も參加する和歌を中心に磨き上げます。

  佛教が傳來すると神道と習合せしめて取込みました。

  戰國時代に南蠻 ( 舊教系歐人 ) の渡來により鐵砲を採入れ、

  國際認識を唐天竺から世界に擴げます。

  天下泰平を實現した江戸期には儒學を自家藥籠中のものとし、

  國學・蘭學と三つ巴で學問・思想を深めました。

  經濟では手工業革命 ( 勤勉革命 ) により、人口三千萬人で木綿や絹まで自給します。

  幕末、ペリー來寇といふ形で、 「 國民國家形成壓力 」 が日本に及びます。


  ここで 「 和魂洋才 」 論の下に近代化を始めますが、

  明治十年代に歐化一邊倒世代が出て來ます。


  東大で醫學を教へたベルツは明治9年10月の日記に、

      「 日本には歴史はありません。私達の歴史は今から始るのです 」

  といふ日本人學生の返答を記録してゐます。

  これが和魂喪失の端緒です。


  公教育は西歐を模範とし、例へば漢方醫學や邦樂は教育も研究もされませんでした。


  大正デモクラシーを擔つた明治の第二世代は、乃木大將夫妻の殉死に共感せず、

  古臭い、封建的だと嘲笑ふ者まで出てきます。

  和魂離れ著しい!


  伊原註:大正デモクラシー期に顯在化する 「 新しい青年 」 即ち個人主義者の群を描いた

          出色の書物が、關川夏央 『 白樺たちの大正 』 ( 文藝春秋、2003.6.30 ) です。

          本書によると、明治大帝の死と乃木大將の殉死に對する反應が、世代ではつきり分れます。

          慶應 3年 ( 1867 ) 生れの漱石にとつては大事件、 『 心 』 ( 大正3/1914 ) を書きます。

          だが西洋文化に傾倒して和魂を輕視する若い世代の反應は、全く違ひます。


          志賀直哉 ( 明治16/1883- ) の日記 「 乃木さんが自殺したといふことをきいた時、

              『 馬鹿な奴だ 』 といふ氣が、丁度下女かなにかが無考へに何かした時感ずる氣持と

              同じやうな感じ方で感じられた 」

          武者小路實篤 ( 明治18/1885- ) の 『 白樺 』 後記 「 乃木大將の殉死はある不健全なる時が

              自然を惡用してつくり上げたる思想にはぐくまれた人の不健全な理性のみが、

              讃美することを許せる行為である 」

          芥川龍之介 ( 明治25/1892- ) の 『 將軍 』 ( 大正9/1920 ) 「 ( 乃木さんの ) 至誠が僕等には

              どうもはつきりのみこめないのです。僕等より後の人間には、猶更通じるとは

              思はれません 」



            霞んでしまつた和魂


  それでも、防衛・安全保障を自前でやつてゐた戰前は自主性を保ちましたが、

  陸海軍を初め國家の各部局が官僚制化し、省益を國益の上に置き、

  或は省益伸長が國益なのだと主張し、國家は纏まりを欠いて敗戰を迎へます。


  それでも、陛下が居られたお蔭で大戰爭を終結でき、日本は分解・滅亡を免れました。


  戰後デモクラシーは防衛・安保を米國に任せたため、自主性が育ちませんでした。


  今や政治家は次の選擧のことしか頭になく、

  國家百年の大計どころか、三年五年の小計すら考へません。

  家庭や近隣社會などの共同體を民法の個人主義と經濟の高度成長が破壞し、

  日本國民は孤立分散化します。

  有能な人材を東京に集めたため、 「 東京榮えて國 ( 地方 ) 滅ぶ 」 慘状に陷つてゐます。


  アメリカ占領軍が實施した日本弱體化政策中、絶大な效果を發揮したのが、

  戰前の歴史否定に通ずる文化政策です。


  先づ、聯合軍=正義、日本軍=不義といふ價値觀を叩込ました。


  伊原註:こんなことは有り得ない。

          聯合軍が正義なら、日本軍も正義です。

          日本軍が不義なら、聯合軍も不義です。

          あつたり前のことでせう。


  次に戰後育ちに戰前の書物を讀めなくするため、漢字制限・略字化・假名遣を變へました。

  これで語彙が激減し、思想が淺薄になりました。

  また日本人が自己主張した書物を焚書しました。

  これは、西尾幹二 『 GHQ焚書圖書開封 』 ( 徳間書店、2008年〜 ) 4冊により、

  その事實が知られつつありますが、

  いくら事實を知つても、戰後育ちが戰前の書物を讀めぬ事實、讀まうとせぬ事態は

  一向變る氣配がありません。


  更に、人倫の基本を説いた教育勅語を議會で否定させました。


  その結果どうなつたか?


  曾て母は慈愛の根源でした。

  その母親が、我が子を虐待したり殺したりする例が頻發する事實が、

  我國の陷つた亡國的事態の深刻さを示してゐます。


  日本人が日本人であるためには、人倫の基本に立返るしかありません。


  和魂を活性化させませう!

( 2011.1.7/2.14補筆 )