諸君の志を問ふ-伊原教授の読書室

> コラム > 伊原吉之助教授の読書室



伊原註:以下は今年の2月15日 ( 火 ) の午後、東京の私學會館 「 アルカディア市ヶ谷 」 で開かれる

        「 河合榮治郎生誕120周年記念集會 」 ( 河合榮治郎研究會主催 ) で集つた學生たちに配布さ

        れる 「 現代學生へのメッセージ 」 です。


        當日のプログラムは次の通り。

            第一部 14:00-17:15 講演會 ( 會費 2000圓/學生無料 )

              挨拶:粕谷一希・川西重忠・行安 茂

              1 ) 基調報告:

                  芳 賀  綏 「 凛たる自由主義者  河合榮治郎 」

                  松井慎一郎 「 河合榮治郎の現代的意義 」

                  竹 内   洋 「 教師としての河合榮治郎 」

              2 ) 私と河合榮治郎:

                  田 中  浩 「 私のなかの河合榮治郎 」

                  西 谷 英昭 「 河合に始り河合に終つた我が教師人生 」

            第二部 17:30-19:00 懇親會 ( 會費 3000圓/學生 1500圓 )


        當日、締め括りの報告 「 河合に始り河合に終つた我が教師人生 」 をされる西谷英昭さん

        ( 京都橘女子大學元教授 ) が、 『 學生に與ふ 』 の新版を出したいと考へてをられます。

        その趣旨を汲んで、河合榮治郎に關りを持つ11名 ( 粕谷一希・猪木正道・木村 汎・進藤

        榮一・私・和久井康明・松井慎一郎・清瀧仁志・行安 茂・芳賀 綏・竹内 洋 ) が、當日

        配る 1000字ほどの 「 現代學生へのメッセージ 」 を求められました。


        それならと、張切つて書いたのが、下記の一文です。


        縱書きの文章その儘の文字遣です ( だから 21世紀とせず、二十一世紀としてある ) 。


        段落も原文の儘です。

        だから、この儘では字が詰つて讀みにくいかも知れません。

        できたら、縱書きに印刷してお讀み下さい。


        なほ、私の肩書 「 河合學派の孫弟子 」 は、

        最後の河合ゼミ ( 昭和14年卒業 ) の音田正巳先生 ( 故人 ) にたつぷり鍛へられたことから

        つけたものです。






    諸君の志を問ふ


河合學派の孫弟子

伊原吉之助


  人は兩親初め周圍の大勢の人たちの恩惠を受けて生れ育ちます。從つて成人したら世のため人のため盡すのが當然なのです。 「 世界は二人のために 」 ではなく、 「 二人は世界のために 」 あるのです。諸君はどの方面でどんな貢獻をしますか。またそのために目下どんな修行を積んでをられますか。人生を生き抜く覺悟はおありか?

  人生の大目的を 「 志 」 といひます。諸君の志や如何に?

  志を持たぬ人は、川面を漂ふ塵芥の如く、時流に流され翻弄されます。諸君はそれで滿足しますか?  世間に貢獻するには、相應の能力が要りますよね。

  貢獻能力の基盤が、第一に國語、第二に歴史知識です。言葉に熟達せず、歴史に無知だと、人生に於て大きな代償を拂はせられることを肝に銘じて置かれよ。

  國語は、漢文讀下し文と大和言葉の有機的合成物です。だから國語を身につけるには、漢文の古典と大和言葉の古典を讀むのが捷徑です。戰後實施された略字・漢字制限・現代假名遣は、戰後育ちに戰前の書物を讀めなくする 「 日本弱體化 」 の謀略ですから、この謀略の犠牲者にならぬためには、戰前の書物も抵抗なく讀めるやうにしてをかねばなりません。大和言葉の精髄が和歌ですから、正月には百人一首を取りませう。

  歴史は、古事記・日本書記から讀むのが正統ですが、 「 日本現代史 」 學習が最重要です。日本現代史は元祿に始ります。日本は元禄期に世界最初の高信用社會を創りました。歐米がこの域に達するのが十九世紀後半、ロシヤと中國は二十一世紀の現在、いまだ低信用社會の儘です。日本程の高信用社會は世界中、ほかにありません。


  米國は 「 日本弱體化 」 のため、聯合國=善・日本=惡といふ史觀で日本國民を洗腦しました。そして戰後の日本國民は、それを易々と信じ込んだ人で溢れてゐます。ですが、日本が惡なら聯合諸國も惡、聯合諸國が善なら日本も善です ( 自明のことでせう ) 。

  戰後日本の所謂 「 自虐史觀 」 は、相手國が日本に 「 何をしたか 」 を捨象して 「 日本がやつた惡だけ 」 をあることないこと取混ぜて語る一方的言辭の集積です。諸君は歴史の眞相を自ら探究されんことを。

  因みに、通説は勝者の價値觀の代辯です。歴史には裏があり、裏にはまたその裏があります。掘返す深さにより、異る景色が見えます。

  歴史學習を通じて、相手の言辭や歴史の 「 裏 」 を見抜く洞察力を鍛へられんことを。

( 平成23年1月26日執筆 )