蔣經國の掌中で踊る民進黨-伊原教授の読書室

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蔣經國の掌中で踊る民進黨




伊原註:以下は 、 『 關西師友 』 平成23年 ( 2011年 ) 新年號に載せた

        「 世界の話題 ( 253 ) 」 の増補版です 。




            台灣の 「 三合一選擧 」 の視察


  台灣は毎年のやうに年末に選擧があります 。

  今回は 「 三合一 」 ( 三つ一緒 ) の地方選擧です 。


  先づ 、これまで台北と高雄の二つだつた行政院 ( 政府 ) 直轄市を 、三つ殖やして五都市にした 。

      台北市はその儘 、

      人口最大の台北縣を 「 新北市 」 と改稱 、

      台中の縣市合せて大台中市へ 、

      台南の縣市合せて大台南市へ 、

      高雄の縣市合せて大高雄市へ 、

──といふ譯です 。


  そして 、 「 三つ 」 とは 、五都市の市長 5人/市議は 5都市合せて總計 314議席 、

  さらに五都市の行政區劃で一番下層の里長 3,756人の選擧です 。


  日本の新聞が報道したのは 、五都市の市長選擧だけでした 。


  今回も視察して來ました 。行つてみると 、

  台灣 ( 及び日本 ) の置かれた状況がよく判りました 。

  台灣も日本も 、對米關係が決め手と言つていいほど大事です 。

  對中關係は二の次三の次の問題に過ぎません 。


  選擧結果は既に報道されてゐるやうに 、


  大高雄・大台南が民進黨 、

  大台中・新北 ( 舊台北縣 ) ・台北が國民黨

──と現状を維持しました 。


  その底流で 、得票では民進黨が國民黨を上回り 、

      國民黨=ジリ貧

      民進黨=漸増

の趨勢が見て取れました 。

  つまり 、來年の總統選で民進黨が國民黨と拮抗 ( きつこう ) する能力があることを見せつけたのです 。

  でも本當にさうなのでせうか?


  今回書きたいのは 、選擧のことではなく 、

  日本の新聞が民進黨につける枕詞 「 獨立志向 」 についてです 。


  民進黨は獨立など目指してゐません 。

  だのに獨立志向と書くのは讀者を誤り 、國民黨の生延び策として自由に操れる傀儡 ( かいらい ) 政黨をつくらせた蔣經國の術中に嵌 ( はま ) るものです 。


  何より 、台灣を日本に吐き出させた米國が 、台灣獨立を認めないことを忘れてゐます 。


  民進黨が獨立など志向してゐないこと 、

  中華民國體制下で選擧政黨に甘んじてゐること 、

について警告し續けて來たのが 、台灣出身で米國籍を取り 、

西海岸に住んで台灣政治を論評するアンディ・チャンこと張繼昭さんです 。


  それと 、 「 民進黨は蔣經國の主導で出來た政黨だよ 」 といふ指摘

      ( 葉文豪 「 蔣家警衞:民進黨組黨蔣經國一手主導 」 台灣 『 玉山周報 』 10年9月23日號 )

を重ねると 、台灣政治の現状が見えて來ます 。


  この指摘は 、私の三十數年に亙る台灣政治觀察とよく符合します 。


            蔣經國の國民黨存續策


  私は 、93年1月に 「 蔣經國小論──蔣經國が憲政改革を指示した經緯 」 を書き 、

  書いた暫く後に 『 帝塚山大學紀要 』 に載せました 。

        ( 平成8年11月25日發行 )


  私の結論は次の通り 。


  主因は米國からの獨裁政權打倒壓力 ( 外患 )

  從屬因は美麗島事件彈壓の無效化 ( 内憂 ) だと 。


  上記の三論を纏めると──

  晩年の蔣經國は糖尿病の進行で手術のため入退院を繰返したにも拘らず 、

  ブレジネフのやうに 「 何もしない 」 で時を過ごす贅澤は許されなかつた 。

  内憂外患が蔣家獨裁の行詰りを告げてゐたからである 。

  そこで蔣經國は全身全靈を擧げて智慧を絞り 、妙手を考へ出した 。

      米國の壓力を避けて國民黨の台灣統治を續けるため 、

      傀儡の反對黨を造り出して擬似民主主義を演じて見せて生延びる 、と 。


  かうして民主進歩黨が誕生した 。

  だから民進黨は終始 、國民黨が宛 ( あてが ) ふ條件の枠内でしか行動出來なかつた 。

  その證據は 、以下を見るだけで一目瞭然です 。


1985. 8.16  蔣經國談話  ( TIME インタヴュー/ 『 蔣經國全集  ( 15 )  』 147-150頁 ) :
           「 今後の總統について 、蔣家一族に繼がせることは考へたことがない 」 
   12.25  憲法施行38周年記念集會で 「 憲法に基く中華民國に後繼者問題は存在しない 。
          次期總統は 、憲法により國民大會で選ばれる 。
          私  ( 蔣經國 )  の家族が次期總統に立候補することはあつてはならず 、
          あり得ない 」 
1986. 2.18  後繼者と目された蔣孝武 、シンガポールの商務代表團副代表に赴任
    3.29  中國國民黨12期三中總會:蔣經國 、 「 民主憲政の推進 」  「 國家の現代化 」 指示
    0. 7  蔣經國が新黨承認の三條件を出す 。中華民國憲法の遵守/反共/不獨
   10. 8  蔣經國 、國民黨中常會で 「 時代が變り 、情勢が變り 、潮流も變つて來た 」 
          と黨長老を諭す
   11.10  民進黨創立大會:黨綱領・黨行動綱領に 「 台灣人には台灣獨立を主張する
          自由がある 」 と明記せよ 、との提案で激論 。國民黨の彈壓を避けるため 、
           「 人民には台灣獨立を主張する自由がある 」 
          との聲明を大會決議案として出すことに決る
1987. 7.15  1949年以來38年間續いた戒嚴令が解除
   11. 2  民間人の探親  ( 大陸親戚訪問 )  解禁
1988. 1. 1  新聞の新規發行・増頁を許可
    1.13  蔣經國 、歿 。享年77歳 。副總統李登輝64歳が就任宣誓
1999. 5. 8  高雄八全大會で台獨綱領棚上げ/中華民國體制承認を公言
2004. 5.10  陳水扁二期目就任式を中華民國國旗で眞つ赤に埋め 、 「 中華民國憲法體
          制下で選ばれたから
      中華民國體制を守る 」 と宣言 。
	

  民進黨が獨立志向政黨なら 、

  眞先に 「 中國の正統政權 」 を唱へる中華民國體制の打破を唱へねばなりませんが 、

  さうしないばかりか 、時と共に中華民國に擦寄つてゐます 。


  孫悟空が觔斗雲に乘つて十萬八千里を一飛びしても 、

  お釋迦樣の掌 ( たなごころ・てのひら ) で動いてゐただけ 、といふ構圖です 。


  台灣の政治も 、米國の掌の上で動く國民黨の掌の中

──といふ狹い世界を一歩も出てゐないのです 。

( 2010.12.12/12.29補筆 )