> コラム > 伊原吉之助教授の読書室
外 交 の 鐵 則
伊原註:以下は、 『 關西師友 』 平成22年12月號に載せた 「 世界の話題 」 252 です。
意を盡すため、些か増補してあります。
國益を守らぬ日本の歴代政府
尖閣問題を通じて日本の歴代政權が 「 滅公奉私 」 を旨として來たことが明白になりました。
伊原註: 「 戰後の間違ひ 」 第一號が、吉田内閣です。
平和條約を結び、 「 獨立 」 したあと、真つ先に 「 占領中の法令は憲法を含めて一切
無效とする。但し、新規法令を定めるまでは、暫定的に有效とする 」 と宣言すべき
だつたのに、それをしませんでした。
特に 「 新憲法 」 の第九條は、吉田首相自身、何れ改めるつもりだつたのに、鳩山に
政權を渡さぬため 「 保持 」 を續けてしまひました。
自分の政權存續を、國益より優先したのです。
そして歴代自民黨政權は、占領政策 ( 日本弱體化政策 ) を繼承して改めませんでした。
つまり、日本國政府は 「 日本弱體化政策 」 を護持する反日政權なのです。
戰後の日本の歴代政府は、戰前からのいきさつで南北朝鮮人に中樞深く浸透され、
( 在日朝鮮人をどれほど優遇してきたことか! )
米軍占領を通じて米國の手先に浸透され、
( ドルショックでもプラザ合意でも構造改革でも米國に散々奉仕して來ました )
米帝と對決するため日本を取込まうとした毛澤東の中共に浸透され、
( 中共政權にも事ある毎に奉仕して來ましたし、今も奉仕してゐます )
それらと協力する反日日本人が大勢ゐて、
自民黨政權以來、日本政府は近隣諸國を利して來ました。
拉致された國民も、占據された島も、取返す努力をしない政府です。
政財官もメディアも、
税金にたかつて自分の暮しをたてるだけ、
經綸皆無で貪るだけといふ政治家が蔓延つてをります。
自民黨は中共政權に資金を流して利權を政治資金にすることを繰返し、
だからひたすら中共の御機嫌を損ねぬやう配慮してきました。
かくて自民黨政權は有權者から愛想をつかされて民主黨に政權が交替しましたが、
民主黨は、暴力革命派を含む反體制派を抱へた政治勢力ですから、
亡國性では自民黨よりなほ酷い。
これが戰後民主主義の成れの果てです。
日本國民は今回の尖閣事件でやつと戰後體制の問題點に氣付いたやうですけれども、
一刻も早く方向轉換しないと日本はこのまま滅んでしまふ恐れがあります。
外交が國の興亡を決める
曾て田久保忠衛さん曰く、
「 經濟が惡くても日本は滅びません。
「 政治が惡くても日本は滅びません。
「 教育が惡くても日本は滅びません。
「 しかし、外交が惡いと國が滅びます 」
( 實は一國が滅ぶのは、徹頭徹尾 「 内部崩壞 」 によるのです )
外交の鐵則が幾つかあります。
第一、相手に 「 敵ながら天晴れ 」 と思はさぬ限り、影響力が生じない。
第二、お願ひされる側に回れ。お願ひする立場に身を置くな。
第三、天ハ自ラ助クル者ヲ助ク
第四、彼ヲ知リ己ヲ知ラハ百戰殆フカラス
第五、棍棒片手にニコニコ顔で ( Theodore Roosevelt の箴言 )
戰後、日本政府はどれも碌に實行してゐません。
敵對勢力に圍まれた日本
尖閣事件で日中關係が險しくなつてをりますが、
米國が頻りに日中兩國に外交による關係改善を促してゐます。
でも日本が近隣諸國と仲良くなれぬやうにしたのは、日本を占領した米國なのです。
滿洲事變以降の領土問題の原状回復を目指した筈の日米戰爭で、
米國は、それ以前の正當に得た領土まで日本に吐出させました。
ソ聯に千島列島と南樺太を與へて日ソ融和を難しくし、
朝鮮半島を分割占領して韓國に反日を刷込み、
台灣は中國國民黨政權に占領させて反日教育を期待した。
日本はソ聯と講和條約を結べなかつたので、
千島も南樺太も、台灣同樣、國際法上は歸屬先未定の儘です。
伊原註:ソ聯・ロシヤが 「 實效支配 」 してゐるだけです。
1956年の 「 日ソ共同宣言 」 は戰爭状態を終へただけです。
蔣介石が子分の陳儀に台灣を褒美に與へたので、
陳儀はシナ軍閥の流儀通り台灣を貪つた。
だから台灣人は 「 日本統治の方がマシだつた 」 と思ひ知らされて親日になつた。
從つて米國は、台灣獨立を決して認めません。
日本の隣に親日國ができるのは、米國にとつて好ましくないからです。
日本自身も、
反日國に包圍されて大人しくする 「 米國の與へた戰後環境 」 に、じつと堪へて來ました。
でも、これではやつて行けなくなつて來たのが、今の状況です。
日本はずつと、周邊國を 「 刺戟しない 」 政策を採つて來たのですが、
今回の尖閣沖激突事件で判るやうに、向ふから“挑戰" して來たのです。
だから 「 反撃 」 せねばなりません。
しかしながら、反日國に取圍まれた現状を、
百も承知、二百も合點した上で生存を圖る必要があります。
そのために守るべき原則が、上記 「 外交の鐵則 」 です。
この鐵則は、何よりも先づ、同盟國米國に對して行使せねばなりません。
所で、この鐵則を實行するには、行動者が要ります。
そして行動する人間は、行動するやうに育てねばなりません。
伊原註:秀才は机上の空論を愛し、行動しません。
從つて秀才を軍人・外交官にしてはなりません。
世の中は、前近代→近代→現代と進むにつれて
實務が霞み、虚務 ( 抽象的な仕事 ) が殖えて來ました。
伊原註:前近代では、人の仕事は一見して判りました。
近代の輕工業時代もそれに近かつた。
それが重化學工業時代になると、抽象的な仕事が殖えます。
サラリーマンの仕事も、一見しただけでは何をしてゐるか判りにくい。
情報化時代になると、愈〃判りにくい。
virtual reality の時代とは、眞僞の識別がつきにくい時代です。
外交は人を動かす作業です。觀念や口先だけでは人は動きません。
伊原註:山本五十六は、水兵の指導につき、以下の歌を披露してゐます。
やつてみせ やらせてみせて 褒めてやる
これでなくては 人は動かぬ
中國人曰く、
作物が稔るには一年、木が育つには十年、人がまともに育つのに百年かかると。
伊原註:中文は、記憶によれば、以下の通り。
「 一年植穀、十年植樹、百年植人 」
これは、以下の簡略形のやうです。
「 一年之計、莫如樹穀;
「 十年之計、莫如樹木;
「 百年之計、莫如樹人 」
典據は 『 管子・修權 』 の次の言葉です。
「 一年之計、莫如樹穀;十年之計、莫如樹木;百年之計、莫如樹人。
「 一樹一穫者、穀也。一樹十穫者、木也。一樹百穫者、人也 」
因みに管子とは、春秋時代の齊の人 「 管仲 」 ( ?〜645 BC ) のことです。
自衛隊を國軍にして預算を倍増することと、
行動者を育てる教育を強化することが急務です。
( 2010.11.7./11.15増補 )