「 反日 」 蔓延る不思議の國日本

> コラム > 伊原吉之助教授の読書室




    「 反日 」 蔓延る不思議の國日本

                        ──無爲にこの國を沈没させるな──

                  ( 「 正論 」 『 産經新聞 』 平成15年/2003年5月9日掲載 )


伊原註:平成22年/2010年9月24日 ( 金 ) 、

        日本政府は領海侵犯した中國漁船の船長を釋放しました。

      それも

        「 那覇地檢が 『 日中関係を考慮して 』 捜査を終へた 」

        といふ姑息な形で──


        司法が政治的考慮で法を曲げたのです。

        これでも 「 法治國 」 でせうか?

        明かに 「 日本政府 」 が那覇地檢に 「 法 」 を蹂躙させたのです。


        『 産經 』 は25日 ( 土 ) 付2面で

        「 これこそ 『 腰抜け外交 』 だ 」 ( 政治部長  乾 正人 )

        と言ひ、主張 ( 社説 ) で

        「 どこまで國を貶めるのか/主權放棄した政權の責任を問ふ 」

        とやりました。

        石平さんも

        「 法治國家の誇り捨てた日本 」

        と批判してゐます ( 『 産經 』 同上、7面 ) 。


        『 日經 』 では森本敏拓大教授が 「 あつてはならない判斷 」 と言つてゐます。


        でもこんな言論はすべて 「 犬の遠吠 」 に過ぎません。

        だつて、民主黨政權は小搖ぎもしてゐませんから。


        日本人はよつぽど喧嘩が下手になつたのですね。

        中國人は嘘とはったりと 「 表演 」 ( 演技 ) で生きてゐる人達です。


        取引の値切りゲームを想像されよ。

        日本人は二割も値切れば大喜びして買ひますが、

        一割に値切つてもまだ高い場合も少なくありません。


        日本國民は憤慨を忘れたのでせうか、

        政府がいくら法を踏みにじつても文句も言はず大人しく法を守り、

        主權も國民も守らぬ 「 反日 」 政府に税金を拂ひ續けてゐます。


        思へば、日本政府は戰後、法破りや反日を重ねて來ました。

        『 産經抄 』 が觸れてゐるやうに、昭和50年/1975年8月4日に

        クアラルンプール事件を起した 「 日本赤軍 」 グループに

        「 超法規的措置 」 と稱する法の蹂躙をやつてゐます。

        これをやつた福田赳夫副總理は、

        「 人命は地球よりも重い 」

        といふ迷言を吐きました。


        あのとき、福田さんは、かう言ふべきだつたのに──

        「 今、我が政府は用意がないから超法規的措置を執らざるを得ない。

        「 今後は二度とかかる措置を執らなくて濟むやうにするから、

        「 今回だけは特例として認めて戴きたい 」

        そして、警察と自衛隊に 「 強襲特殊部隊 」 を複數創設する。


        二年後のダッカ事件でも、日本政府は過激派を 「 超法規的 」 に釋放しました。

        必要な措置を全然執つてゐなかつたのです。

        「 背任横領 」 ではありませんか。


        これに、日本國民は怒りもせず黙認して來たのです。

        日本はいつから愚民の國になつたのでせうか?

        政府の 「 國家に對する叛逆 」 に怒らぬ國民に

        「 國民主權 」 を認めてはいけないのではないでせうか?


        ネットの一部では、

        「 平成22年9月24日は、日本が第二の無條件降伏をした日 」

        「 日本民族完全滅亡の危機に瀕してゐる 」

        「 若者よ、臥薪嘗胆して恥を雪ぎ、恨みは必ず晴らさう 」

        とか、

        「 悔しさの餘り、夕べは寝つかれなかつた 」

        とか、

        「 皇紀2670年9月24日は 『 國家屈辱記念日 』 である 」 ( 石平 )

        とか、

        「 ハンニバル曰く、 『 ローマは敵でなかつた。敵はカルタゴ議會だ 』 」

        といふ言葉を引いて、

        「 敵は中國ではなかつた。敵は日本の政治の愚劣さ、政權の優柔不斷だ 」

        などといふ言葉が見えます。


        そこで、七年前に書いた拙文を、ここに再録してをきます。


        因みに一言、

        中國は圖に乘つて賠償をしろとまで要求してゐますが、

        中共首腦は 「 どこで収めるか 」 で頭を惱ませてゐる筈です。

        日米歐の協力でここまで經濟が發展し、軍擴もそのお蔭でできた譯ですから、

        ごね過ぎては元も子もなくす恐れがあります。


  さて、拙稿 「 『 反日 』 蔓延る不思議の國日本 」 です。






          日本人とは何者なのか


  台灣では、李登輝前總統が民主化政策を進めて以來、台灣住民の歸屬意識に問題が生じた。

  「 貴方は何國人? 」

  といふ問に、

  「 中國人です 」

  「 台灣人です 」

  「 中國人でもあり、台灣人でもあります 」

  といふ三通りの答が返つて來る。

  統一・獨立・現状維持と、目指す目標によつても答が異るのである。


  私達は 「 日本人です 」 と答へれば濟む。

  では日本に identity の問題がないかといふと、大ありだ。

  「 日本はどんな國? 」

  「 日本人とはどんな人? 」

  との問に對する答はばらばらである。

  見解の相違の問題ではなく、日本國の根幹に對する共通認識がなく、

  國家の中樞に反日的意見の持主が居据はり、

  國家の弱體化を目指してゐる、といふ由々しき問題なのだ。


  反日日本人が國内に跋扈し、反日マスメディアと聯繋して國政を牛耳り、

  政界・財界・官界に蟠踞する特權階級が税金・利權を貪つて、責任を果してゐない。


  日本政府が國土防衛任務を放棄してゐることについては、數々の事實がそれを示してゐる。

  自國領内で拉致された國民を極く最近まで放置して守らなかつたし、

  韓國に竹島を實效支配されたまま放置してをり、

  尖閣諸島も 「 中國領 」 と言はれて宙ぶらりんの儘、等々。

  ( 中國との紛爭を恐れて、日本國民に尖閣諸島上陸を禁じてゐる! )


          國土を守らぬ日本政府


  スパイ防止法をつくらず、スパイ天國と言はれて久しいし、

  緊急事態に對處する法を作らないため、自衛隊は自衛さへ出來ぬ儘。

  ( 自衛隊は警察官僚が統制してゐて、軍隊の態を成してゐない )

  ( 警察官僚は警官の拳銃使用に準じて、自衛隊に 「 先に發砲するな 」 と命じてゐる! )


  公務員に忠誠宣誓させないから、反體制派が潜り込み、税金で反日活動思ひの儘。

  例へば國旗・國歌を拒否する教師を税金で養つて來た。

  また例へば大阪府は税金で 「 ピースおほさか 」 といふ反日施設を創り、

  日本の“殘虐行爲" なるものを虚實取混ぜて展示し、小中學生に“學習" させてゐる。

  北朝鮮に對しても脱税・送金・スパイ自由・ハイテク流出自由にさせ、

  米の無料支援までして來た。

  日本は紛れもなくテロ支援國である。


  抗日愛國主義で國を纏める中國に莫大なODA ( 政府開發援助 ) を垂れ流した儘。

  敵國條項の殘る國聯に、國聯經費の二割に及ぶ膨大な資金を貢ぎながら、

  安保理の常任理事國にもようならない國。

  日本政府は、背任横領集團に乘つ取られてゐるのではないか?


  教科書檢定をしてゐながら、自虐史觀で自國を貶める教科書を輩出させ、

  自國民を反日教育で育ててゐる國。

  ( 文科省は日教組とグルなのだ )


  我國は一體、どうなつたの……? と疑はざるを得ない。


  國民は戰後、占領史觀と反日史觀に洗腦され、反體制マスメディアを受入れて來た。

  だから政府がおかしくても國民はおとなしい。

  ぶつぶつぼやくが、怒らない。

  高度成長が續いて、そこそこの暮しができる間、反日政治を放任して來た。

  しかし平成不況の頃から、國民もやつとをかしいぞと氣付き始めた。


          選擧の活性化が不可欠


  平成不況で資産が目減りし、先行き不安が生ずると、

  國民はやつとをかしさに反應し始めた。

  最初の兆候が平成7年/1995年、統一地方選に於る青島幸男・横山ノックの

  東京都・大阪府の知事當選である。


  これは明かに、利權にたかる既成政治家拒否の意志表示であつた。

  だから既成政治家は 「 えらいことになつた 」 と震え上がつて變身を圖るべきところを、

  「 テレビ・タレントがいいのか、じやあ誰か捜さう 」 と見當違ひの對應をしたので、

  政治はいまだに變らない。


  長野縣の田中康夫知事が縣議會に リコール されたあと、再選されたのは、

  田中知事の政策に期待したのではない。

  機會と喧嘩する知事を支持して

  議會に蔓延る既成利權屋斷固拒否の意志を表明しただけである。


  東京には、バブル崩壞後十餘年經つても、まだ高度成長の夢醒めやらぬ利權屋集團が

  居据つてゐる。


  五十五年體制は崩壞した筈なのに、既成政治勢力が、有權者に嫌はれつつ、

  まだのさばつてゐるのは、選擧法が惡いからだ。


  現行選擧法は既成勢力を選ぶ仕組だから、有權者、特に若い層が選擧にそつぽを向き、

  投票率が下がる一方だ。

  政治家は、候補者が政黨推薦を斷る理由を考へたことがないのか?


  選擧結果が日本の未來に結びつくやうにして、選擧を活性化せよ。

  選擧法を變へ、有權者の意見を吸ひ上げられるやうにしないと、

  日本は無爲の儘沈没する。


  危機は自覺すれば對應できるが、自覺しなければ、みんな一緒に滅びるほかない。

  今は、日本生き延びの最後の機會のやうに見える。

                                                                        ( 以上、再録終り )





伊原追記:舊漢字・歴史的假名遣ひに書直し、極く僅かの字句を改めたほか、

          若干追記しました。原文の趣旨は全く變へて居りません。


          指摘した若干の事態は變りましたが、大筋は一向變らず、寧ろ惡化してゐます。


          日本の生きる道ははつきりしてゐます。

          江戸幕府の道です。

          必要な時に武力行使をする覺悟のある政治勢力が政權をとつて

          天下泰平を實現することです。

          ( 斷つてをきますが、自衛隊のクーデターなど考へてゐません )

          ( 強くなければ優しくなれないことは周知の事實です )

          ( 差當り廣瀬武夫をご想像下さい )

          ( 弱い人が權力を持つと凄く殘虐になります )


          天下泰平實現構想の一端は、

          「 動物文明から植物文明へ轉換しよう 」

          「 力と鬪爭 」 より 「 美と慈悲 」 優位に

          ( 正論 『 産經 』 平成19年/2007年3月24日 )

          に示しました。

          これも近く 「 再録 」 します。

          ( 「 動物文明から植物文明へ轉換しよう 」 は、

          本 「 読書室 」 の初期、2007.3.26付で掲載濟 )

( 平成22年9月25日 )