連根藤 「 中華民國不是國 」

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  連根藤 「 中華民國不是國 」

              ( 中華民國は國ではない )


    出  所=自由廣場 ( 台灣紙の投書欄/ 『 自由時報 』 8.14,19面 ) :

    連根藤 =東京で發行する華字紙 『 台生報 』 の發行人/日本居住




  本紙に載る讀者の投書を見てゐると、始終、一部の投書が台灣輿論の 「 定説 」 ではあるが、

  國際的認知とは符合しない見解にぶつかる。

  メディアはよく、

    「 台灣は國連から脱退した 」 とか、

    「 中華民國は國連から脱退した 」 といふ。

  だが兩方とも間違つてゐる。


  先づ、台灣は國連に加盟したことがないから、國連から脱退することなど有り得ない。

  また、孫文が建國した中華民國は國連創始國の一つであり、

  安保理事會の五大恒久常任理事國の一つである。


  國連憲章第23條によれば、

  中華民國は今日なほ國連にちやんと存在してゐて 「 脱退 」 などしてはゐない。


      伊原註:國連憲章第23條 ( 第五章  安全保障理事會の最初の條文 )

              その初めの部分に、かうあります。

              「 安全保障理事會は、十五の國際聯合加盟國で構成する。

              「 中華民國、

              「 フランス、

              「 ソヴィエト社會主義共和國聯邦、

              「 グレート・ブリテン及び北部アイルランド聯合王國及び

              「 アメリカ合衆國は、

              「 安全保障理事會の常任理事國となる。…… 」


  從つて、上述した二つを正しく表現すれば、

  國連總會が1971年に發表した第2758號決議案が規定する通り

    「 不法に國連各機構を占據してゐた蔣介石の代表を國連から驅逐する 」

  である。


  つまり

    「 蔣介石の代表が國連から脱退した 」

  といふのが正しく、台灣とはおよそ關係がない。


  國際社會の認知と合はぬもう一つは、

    「 中華民國が台灣に退いた 」

  といふ表現である。


  一國は固有の領土を持つから、 「 退いた 」 りできない。

  從つて台灣に退いたのは中華民國ではなく、 「 蔣介石の代表 」 の一群である。


  また、台灣に退いたのは 「 中華民國政府 」 ではない。

  蔣介石は當時下野してゐて、中華民國政府を移動する權限を持つてゐない

  ( 中華民國政府は 1949.10.に滅びてゐる )


  從つて

    「 蔣介石の代表が台灣に退いた 」

  といふのが正しい。


  蔣介石は 1950.3.1 に台北で 「 仕事を再開 」 し、

  「 中華民國在台灣 」 と稱する政權を樹立して自分が初代の 「 總統 」 になつた。


  なぜなら台灣は當時なほ 「 日本の領土 」 であつた。

    ( 伊原註:台灣は中華民國の領土になつたことは一度もないのです )



  だから 「 中華民國在台灣 」 は國家ではなく、

  引續き國連の會員國や安保理常任理事國を引繼ぐ資格は無かつた。

  そこで 1971年に決着をつけられ、 「 不法占據 」 と決め付けられて國連から追出されたのである。


  これでお判りのやうに、

  台灣に現存する 「 中華民國在台灣 」 Republic of China on Taiwan, ROC とは、

  「 蔣介石の代表 」 機構であつて、

  台灣の主權もなく、

  國とも言へぬ存在なのだ。


  台灣人民だけが台灣の主權を持ち、

  台灣人民の總統を選出でき、

  法 ( 台灣の現行法及び國際法 ) に基いて

  台灣國の國家體制を實現できるのである。