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世界の話題 ( 248 )
與那國島の防空識別圏變更
( 『 關西師友 』 平成22年8月號、10-11頁 )
日本が防空識別圏を是正
6月24日、防衛省は沖繩縣與那國島を東西に分斷してゐた防空識別圏を見直しました。
島の西側の領空12浬とその外側2浬までを防空識別圏とする訓令を定め、台灣に通告したのです。
施行は翌25日です。
防空識別圏の變更は、相手國の承認を要せず、通告だけでよいのですが、日本は慎重に、1ヶ月前の5月25日に台灣側に事前通告してゐます。
島の3分の2が台灣側に入る東經123度で防空識別圏を引いたのは、戰後、沖縄を占領してゐた米軍です。
この線引は、冷戰中は何の問題もありませんでした。
台灣を占據してゐた 「 中華民國 」 は、日本の友邦だつたからです。
だから沖縄返還後、日本政府もこの區分を引繼ぎました。
しかし、いくら相手が友邦でも、時と共に問題が生じます。
例へば、定期便は事前に了解を得ることで支障ないとしても、臨時便や急患ヘリコプターは、事前に台灣側に飛行計画を届ける必要があります。
ですから、仲井眞沖繩縣知事は、沖縄を訪問した鳩山首相に與那國島上空の防空識別圏を是正するやう求めました。
それに、防衛上の大問題もあります。
防空識別圏は元來、領空の外側にあります ( 今回の訂正で、さうした譯です ) 。
航空自衛隊は、領空侵犯に對して スクランブル發進して對應しますが、與那國島の防空識別圏は領空の内側にあるので、發進が手遲れになります。
そこで日本政府は、普天間基地問題を巡る日米協議の際に、米側の了解を求めました。
そして米側の了解を得た上で、台灣に通告したのです。
ところが馬英九政權は受入れませんでした。
台灣側はこれまで、與那國島を半月状に台灣の防空識別圏から除外してゐたのに、かう返答して來ました。
「 尖閣諸島領有問題と合せてなら談判協議に應じてもよいが、與那國島だけの一方的通告は受入れられぬ 」 と反撥したのです。
これは、友邦の對應ではありません。
日本政府は、沖縄返還時に是正しなかつた與那國島の防空識別圏を、なぜ今になつて急に變更したのでせうか?
それは、台灣が中國と急接近し、中國の勢力圏内に入る見込みが出てきたからです。
中國に擦り寄る台灣
台灣の馬英九政權が、一昨年5月の就任以來、中國に急接近し續けて來たことはご存じの通り。
馬政權の傾中 ( と台灣では言ひます ) を示す具體例は多々ありますが、 「 民間 」 と稱する交渉團體トップの五回に亙る協議内容とその開催場所がその一例です。
台灣側の海峽交流基金會 ( 略稱=海基會 ) の江丙坤董事長 ( 日本語では理事長 ) と、中國側の海峽兩岸關係協會 ( 略稱=海協會 ) の陳雲林會長は、
過去2年間に5回協議しました。
第1回 ( 2008年 6月 ) 北 京
第2回 ( 2008年11月 ) 台 北
第3回 ( 2009年 4月 ) 南 京
第4回 ( 2009年12月 ) 台 中
第5回 ( 2010年 6月 ) 重 慶
調印した主な内容は、以下の通りです。
第1回:直行チャーター便の週末運航・空港開放と中國人觀光客の訪台解禁
第2回:直行便の毎日運航と貨物便追加・海運の直航と港灣開放・郵便の直行・食品の安全
第3回:直行便の定期便化と金融機關の相互進出
第4回:中台經濟協力枠組協定 ( ECFA ) の意見調整
第5回:ECFAの調印
兩會の協議は 「 易から難へ 」 「 經濟から政治へ 」 と謳つて來ました。
しかし經濟協議といふのは表だけ、實は常に政治が絡んでゐます。
開催場所に御注目下さい。
第1回と第2回は北京→台北と相互の首都で開いたやうに見えますが、さうではない。
北京は中國の首都ですが、台北は中國にとつては省都 ( 地方都市 ) に過ぎません。
その證據に、陳雲林會長が訪台した時、
台灣側は青天白日滿地紅の 「 國旗 」 を一切掲げず、
「 台灣は中國とは別 」 とのデモをする民衆や立法委員、取材する記者を警官隊が毆つて鎭壓する流血事件を惹起しました。
台灣の 「 中國 」 國民黨政權は、中國が主張する 「 一中 」 原則を受入れてゐるからです。
台灣の 「 中國 」 國民黨は、 「 弱い 」 台灣民衆には 「 中華民國 」 を押付けますが、 「 強い 」 中共には 「 中華民國 」 も 「 青天白日滿地紅旗 」 も引つ込め、ひたすら恭順の態度を示すのです。
伊原註:シナ人は 「 強きに與し、弱きを挫く 」 人達です。
ひたすら 「 友好 」 を重んずる日本人も 「 弱き 」 とみられてゐます。
伊原註:中國の 「 一中 」 原則とは、以下の“三位一體" を言ひます。
「 中國は只一つ、
「 中華人民共和國が中國を代表する唯一の合法政權、
「 台灣は中國の領土 」
中台協議は對等ではありません。
( それを知つてか知らずか、台灣住民は 2008年の立法委員選舉と總統選舉で ( 「 中國 」 國民黨の候補を 「 壓倒的多數 」 で選んだのです )
國民政府の首都だつた南京で會議を開いた第三回の開幕日4月25日は、1949年に中共軍が南京を解放した 「 60周年 」 の記念日でした。
そして今回の開催地重慶は、日本降伏直後の8月末から蔣介石政・毛澤東が和平會談を行ひ、双十協定に調印した場所であり、 「 中國 」 國民黨没落の始まりとなつた因縁の場所です。
つまり、中台協議とは、國共内戰の敗北過程を台灣の 「 中國 」 國民黨政權 ( とそれに 「 從屬する 」 台灣住民 ) が 「 學習 」 させられ、 「 敗北 」 を追認する過程なのです。
そこで與那國島の防空識別圏の是正の話です。
これは日本政府が ( 或は日米兩國が ) 中國の台灣併呑を見越して執つた 「 中國とのトラブル豫防策 」 です。
台灣が中國の勢力範圍となる懸念が顯在化して來たからです。
中共の胡錦濤政權は、紛れもなく 「 戰はずして人の兵を屈する 」 終極統一の政治戰爭を、台灣に對して仕掛けてゐるのです。
( 10.7.7/7.14補筆 )