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讀書紹介:



        石平 vs.加瀬英明


  『 徹底解明! ここまで違ふ日本と中國 』

            ──中華思想の誤解が日本を滅ぼす──


                    ( 自由社、平成22年 7月10日 )   1500圓+税



伊原註:7月14日、 「 著者贈呈 」 で本書を出版社から受取りました。

        著者お二人とも舊知の間柄、出版社とも舊知です。

        一讀して敬服、ぜひ紹介をと思ひ、 「 世界の話題 」 No249 に 「 汝自身を知れ! 」 といふ題で

        書きました。でも、これは 『 關西師友 』 九月號掲載で、刊行は9月になる。

        そこで、徹底的に書換へ書加へて 「 別の文章 」 にし、ここに載せることにしました。


        本書の帶にかうあります。

            「 相手に惡いと思ふ日本人 」

            「 相手が惡いと思ふ中國人 」

        これは、石平さんが對談で漏らした卓見です ( 187 頁 ) 。

        これを見て、家内が 「 うまいこといふねえ 」 と舌を捲きました。

        迚も面白く有益な本ですから、皆さん、ぜひ本書を直接お讀み下さい。


  今から2400年前の春秋時代に孫子 ( 孫武 ) が言つた次の言葉は皆さん、ご存じでせう。

  「 彼ヲ知リ己ヲ知ラハ百戰殆フカラス 」


  これは、他人と付合ふためにも他國と付合ふためにも必須の心得ですが、實踐するのは頗る難しい。

  彼を 「 知つたつもり 」 、己を 「 知つたつもり 」 の人は幾らでも居ますが、本當に 「 知つてゐる 」 人は

曉天の星の如く尠いのです。

  例へば、今から70年ほど前に日本は米國と戰ひましたけれども、米國を 「 知つてゐた 」 日本人は極く少數でした。

  その證據に、開戰劈頭、真珠灣を叩き、 「 勝つた、勝つた 」 と大喜びしました。

  しかしあれで、第一次大戰に懲りて 「 二度と歐洲の戰爭に關らない 」 と決意してゐた米國民が、一擧に一致結束して戰爭に踏切りました。

  FDR が 三選目に 「 米國の若者は只の一人たりとも歐洲戰線には送らない! 」 と繰返し確約してやつと當選したあとだつたといふのに!


  在米大使館の館員は何をしてゐたのでせう???


  帝國海軍の真珠灣攻撃は、 「 戰術的に大成功 」 でも、 「 戰略的に大失策 」 でした。


  有史以來、長い付合ひがある中國についても、同じことが言へます。

  中國とは距離を置いて、貿易はしても朝貢國には殆どならなかつた日本ですが、

  江戸時代に儒教 ( 朱子學 ) を幕府公認の學問にし、中國を君子の國として尊敬します。

  しかし幕末に高杉晋作が上海に赴き、びつくり仰天しました。

  「 君子など何處にも見當らない。乞食と行倒れだらけの國だ 」 と。


  それでも黒船來寇後、清朝・李朝朝鮮と結んで西洋諸國に對抗する 「 大アジア主義 」 を構想したのは、

  清朝を孔子の國と信じてゐたからです。

  それが日清戰爭を戰つて、君子の國でないことをまたもや痛感します。


  それでもなお、日支提携を考へる勢力が、日本の中に續いてゐました。

  この 「 アジア主義 」 の系譜については、下記の新刊が優れてゐます。


  松浦正孝 『 「 大東亞戰爭 」 はなぜ起きたのか──汎アジア主義の政治經濟史 』

    ( 名古屋大學出版會、2010.2.28 )   9500圓+税


  1000頁を超す大著ですが、讀み易く面白くて大いに參考になります。



  さて、石平・加瀬英明の對談録です。


  本書の目次は、以下の通り。


  1  食から知る日・中文化の違ひ

  2  漢字に新しい生命を與へた大和言葉

  3  想ひを共有する和歌と自己陶酔の漢詩

  4  「 公 」 のある日本と 「 私 」 しかない中國

  5  地球上の國は全て自分の物とする中華の幻想

  6  人民は餓死・毛澤東は連夜のジャズ宴會

  7  殘酷すぎる政治から精神文化は育たない

  8  計算高い中國人の反日行動


  本書を讀んで、加瀬さんの良識に驚嘆しました。


  例一、中國を論ずるのに 「 食 」 から入つた。

  さう言へば、台灣の外省人柏楊も、世界に誇れる中華文化は中華料理だけと言つてゐましたね。

    ( 『 新醜い中國人 』 カッパブックス、1997.3.5 )

  何しろ、 「 飯食つたか? 」 といふのが挨拶と化してゐる國ですから。

  石平さんも、日本に來た當座は 「 御飯食べましたか? 」 と挨拶してゐたさうです。

  このテーマ、後で再論します。


  例二、1979年 ( 改革開放前 ) に初訪中して 「 これは太平天國だ 」 と見抜いた。

  これには、對談相手の石平さん同樣、私も驚きました。凄い直觀!


  物の本には確かに、いろいろと指摘してあります。

  例へば、菊地秀明 『 ラストエンペラーと近代中國──清末  中華民國 』 の冒頭部分です。

    ( 「 中國の歴史 10/講談社、2005.9.22,56頁 )


    曰く、太平天國は近代中國が初めて體驗した南方發の革命運動で、

    清末の洋務運動や變法、更に二十世紀の國民革命や毛澤東の共産革命に受繼がれる

  と書いてあります。


  でも、それを現場で見抜くのは凄い。

  本には、あれこれ澤山のことが書いてありますから、

  餘程問題意識を持つて讀まないと、身についた 「 智慧 」 にはなりません。

  「 智慧 」 でないと應用が利かないのです。


  「 中國の歴史は何も變つてゐません 」 と應ずる石平さんも、並の人ではない。

  曰く、洪秀全は 「 中國の落こぼれ知識人がイエスを惡用して天下を盗つた 」

        毛澤東は 「 マルクス主義を利用して政權を奪つた 」 と。

        つけ加へて曰く、 「 毛澤東はマルクスを讀んでゐないかも知れない…… 」

  その通り、毛澤東は 「 パンフレット・マルクス主義者 」 に過ぎません。

  毛澤東が本氣で讀んだのは、徹頭徹尾中國の本 ( 古典+通俗小説 ) だけです。


  石平さんは、更に註釋を加へます。

  「 ( 洪秀全も毛澤東も ) 若い頃は志を持つても、

  「 政權を取つた途端に獨裁者に變身して好き勝手し放題です 」 と。


  加瀬 「 洪秀全も毛澤東も中身は儒教ですねえ 」

  中國の政治家は專制支配體質なのです。


  中國ではどんな政權も專制支配に落着くと説いた中國人學者が居ます。

  金觀濤・劉青峰 ( 若林正丈・村田雄二郎譯 )

    『 中國社會の超安定システム── 「 大一統 」 のメカニズム 』

    ( 研文出版、1987.5.25/1992.9.15 第二刷 ) 1700圓+税

です。

  でもそんな本を讀むより、この對談一發で、中國政治の專制體質が納得できます。


  中國史を秦の始皇帝以來續く 「 專制と愚民政策 」 の飽くなき反復と見て、

  それを 「 啓蒙 」 即ち民衆教育によつて突破しようとしたのが嚴復 ( 1854.1.8〜1921.10.27 ) ですが、

  中共政權も專制と愚民政策を繼續しました。

  ご存じのやうに、中共政權は、庶民教育 ( 小中學校 ) は有料、

  大學教育は學費はもちろん、生活費も無料で小遣まで與へました。

  これは 「 後繼者養成 」 だつたからです。

  初等教育放つたらかし状況は、四川大地震で判明したやうに、今なお續いて居ります。


  今、私は區建英 『 自由と國民  嚴復の模索 』 ( 東京大學出版會、2009.12.18 ) を讀みながら、

  清末民初の中國知識人の惡戰苦鬪を偲んでをります。


  さて、本書に戻つて、食の日中比較論です。


  加瀬曰く、日本では、食と性は秘め事で、男が人前で口にすべき事柄ではなかつた、私はさう躾けられたと。

  石平曰く、日中の食文化では、精神文化が違ふ。

    中國人にとつては生き甲斐だから、道路でみせびらかして食べたりする。

    だから、 「 飯食つたか? 」 が挨拶になる。即物的である。

    日本人に、中國流に 「 ご飯、食べましたか? 」 と訊くと、 「 濟ませて來ました 」 と答へる。

    優秀な民族は、必ず物欲を超越する文化をもつてゐるが、中國には殘念ながら、それがない。

    日本の神道のやうな清らかさや淡白さがない、と。


  加瀬さんが、中國は 「 國 」 じやない、これが中華文明理解の鍵だ、と言つてゐます ( 41頁 ) 。

  これは中國理解の正に 「 鍵 」 です。

  私は 「 地域 」 だと言つて來ました。

  一番實態に近い表現が 「 農業時代の帝國 」 です。

  シナ大陸は、ロシヤと並んで、自主獨立の中産階層を機軸とする近代國家が育たぬ 「 專制支配 」 地域なのです。


  次に、言葉論。

  加瀬:漢人を漢人たらしめてゐるのは儒教と漢字ですね。

  石平:漢字は政治の言葉、お上が下々に命令を下すための言葉です。

  加瀬:漢字は惡魔の字、日本は假名を混ぜて漢字の毒を薄め、中和した。

        漢字には残酷な性格が宿つてゐる。

        「 身體髮膚之を父母に受く。敢て毀傷せざるは孝の初也 」 と言ひながら、宦官と纏足を強ひた。

        日本人の胸に訴へるのは大和言葉であつて漢語ではない。

        女性を口説くには大和言葉が必須。生命よりいのち、憧憬よりあこがれ……


  この應答で、渡部昇一さんが一高と三高の寮歌の違ひを指摘してゐたのを思ひ出しました。

  一高の寮歌は漢語調です。二字熟語を連發してゐます。

      嗚呼玉杯に花受けて  緑酒に月の影宿し  治安の夢に耽りたる  榮華の巷低く見て……

  三高の逍遙歌は大和言葉です。

      紅萌ゆる丘の花  早緑匂ふ岸の色  都の花に嘯けば  月こそかかれ吉田山……


  もう一つの聯想:

  パソコン用語もやたら二字漢字が多く、大和言葉が尠い。不審に堪へません。

  漢語は論理表現に向きますが、抽象的で、心 ( 配慮 ) や氣持が傳りにくいのです。

  技術者は、論理しか頭にないやうです。だから 「 取説 」 は常人には讀みにくい。


  閑話休題。

  加瀬さんは、解放軍幹部から、こんな本音を引き出してゐます ( 62頁 ) 。

  「 人民が解放前の有害な文書を讀めなくするため、簡體字を作りました 」

  石平さんは、 「 それこそ中共の思想教育の本音です 」 と受けてゐます。


  日本の占領下の略字・漢字制限・現代假名遣と同じ 「 愚民政策 」 の發想ですね。

  日本も戰前の書物を讀めなくするため、占領軍に協力する日本の國語學者が略字と現代假名遣を國民に押付けたのです。

  それを知つてか知らずか、日本人 ( 文部省+マスメディア ) は今なほ、略字・漢字制限・現代假名遣を遵守し續けてゐます。

  本欄が正字・歴史的假名遣に徹してゐるのは、それに對するささやかな抵抗なんですが……

  少しは讀み慣れて貰はうとの趣旨です。


  さて、この調子で面白い處を引用して行くと限りがないので、一擧に後に跳びます。


  加瀬さんは、親しかつた中華料理屋の親父から、

  中國人は秘かに、いつか日本をとことんやつつけたいと考へてゐるよ、

と言はれます。

  石平さんも、それは日本が 「 中國の許可なく 」 中國の先を進んだことが許せないのだと應じます。


  私のいふ、ロシヤと中國にあるニヒリズムの闇、 「 破壞・嫉妬・怨念の衝動 」 です。

  黄文雄さんのいふ 「 恩を仇で返す中國人 」 です。


  日本がどれほど近代中國に盡したか、それがいかに報ひられなかつたかについては、下記を參照。


  黄文雄 『 近代中國は日本がつくつた──日清戰爭以降、日本が中國に殘した莫大な遺産 』

  ( 光文社、2002.10.30 )   1400圓+税

  黄文雄 『 中國が葬つた歴史の新・眞實──捏造された 「 日中近代史 」 の光と闇 』

  ( 青春出版社、2003.12.10 )   1500圓+税


  加瀬:中國の恐ろしさは、秦の始皇帝の時代から變つてゐないことですね。

  石平:その通り。

  加瀬:中國の天子が世界の隅々まで支配する。

  石平:中國のイデオロギーはナショナリズム でも愛國心でもない、天下主義です。

        「 天下は全て俺のもの! 」


  共産主義は 「 世界の共産化 」 を謳つてゐたので、毛澤東の 「 天下を取る 」 野心に合ひました。

  毛澤東は江青宛書簡 ( 1966.7.8 ) で言ひます。

  「 少年時代には二百年生き抜き、洪水の勢ひで三千里を壓倒しようと夢想した 」

  更に1936年に作つた 「 沁園春・雪 」 でもこの野心を披瀝してゐます。

  「 秦の始皇帝もジンギスカンも何者ぞ、中國史上の本當の英雄はこの俺様だぞ! 」

  だから 「 ズボンをはかなくとも原爆を持つ 」 と決めたのです。

  大躍進の政策失敗で飢ゑてゐる農民から情け容赦なく農作物を取上げ、ソ聯に送つて核開發を續けました。


  さて、お二人の問答は續きます。


  加瀬:中國は、國ではなく、國を裝つた文明だから、いくらでも世界に擴つて行くのですね。

  石平:この天下主義ほど恐ろしいものはない。

    全ての國が中國の屬國になるべきだと思つてゐます。

    全ての周邊民族が中華帝國の自治區になつて當然と、本氣で思つてゐます。

    チベットやウイグルはその先驅なのです。

    中國の天下主義は、愛すべきものは全て我が物なのです。

    さういふ意味で、日本は許せないのです。

    「 俺の許可なしに、お前達勝手にやつてゐるじやないか 」

    といふことです ( 笑 ) 。


  しかも、石平さんは續けます。

  「 さういふ天下主義を奉ずる中國が、巨大な軍事力と核兵器を持つて、なほ軍擴中 」 ( 石平 )

  なのです。

  「 これから大變なことになりますよ 」

  「 この儘では、日本は喰はれてしまふ危險が高いですよ 」


  ところが加瀬さんは平然とかう答へます。

  「 ぼくは中國の世界支配は實現しないと思ひます 」 ( 224頁 )

  根據は、 「 アメリカが活力に溢れた國であり續ける 」 からです ( 231-232頁 ) 。

  「 高齢化の中國より、出生率の高いアメリカが勝つ 」 からです。


  では、日本は何もせず、米國に頼つてゐれば安泰なのか?

  私は、 「 天ハ自ラ助クル者ヲ助ク 」 と信じますから、自助努力が不可欠と考へます。


  中國人は、魯迅が描き出したやうに、弱いと反抗しませんが、

  それでも

  「 屁理屈をこね、顧みて他を云ふことにかけては支那人は實に天才的 」

  ( 瀧川政次郎 『 法律から見た支那國民性 』 ( 大同印書館、昭和16.5.20 )

なのです。

  そして、自分より弱い者には徹底的に強く出ます。

  「 水に落ちた犬は叩け! 」


  ですから日本は、何は措いても防衛を充實させる必要があります。

  喫緊の急務です。

( 2010.7.15-23 )