明治維新と政治の成熟

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世界の話題 ( No247 )



    明治維新と政治の成熟

                ( 『 關西師友 』 平成22年 7月號, 12-13頁 )




      明治維新の教訓


  五月、一年ぶりに訪台しました。

  その際、台灣の知友の御厚意を得て、三つの大學で日本語科の學生相手に

  「 日本現代史は元祿頃に始り、高度成長で終る 」

といふ話をして來ました。


  日本現代史が、明治維新でなく、元祿頃 ( 西暦1700年頃 ) に始る──

といふ問題提起が新鮮だつたやうです。


  講義のあと、

  「 では明治維新はどういふ位置付けになるか 」

  「 台灣は日本の明治維新から何を學べるか 」

と訊かれました。


  そこで、

  「 次回はそれについて講義しませう 」

と約束しました。


  歴史は絶えず見直されてゐて、明治維新についても、新解釋が一杯出てゐます。


  問題は 「 台灣が學べるのはどんな點か 」 です。


  台灣だけでなく、今の日本も政治が劣化してゐる分、明治維新に學ぶべき點は多々あります。

  それを敢て一つに絞ると、政治及び社會の 「 成熟度 」 でせう。


  格好の本があります。

  坂野潤治+大野健一 『 明治維新 1858-1881 』 ( 講談社現代新書/2031, 2010.1.20 ) です。


  本書 「 まへがき 」 に曰く ( 3頁 ) 、

  「 後發國が歐米諸國に追隨し、彼らから對等の扱ひを受けるに到るといふ、

  「 現在に於ても成就した國が極めて尠い大事業を、一世紀も前に達成した日本に對して、

  「 新たな視點から驚き直すことは、決して無駄ではない 」


  更に曰く、

  「 我々が議論したいのは、幕末維新期に何が起きたかといふ充分檢討濟の事柄ではなく、

  「 この、世界史的に見て實に驚くべき事業の背後に、

  「 どんな タイプの指導者が居り、

  「 彼らがどう動いてそれを達成できたのか、

といふ問題である 」


  「 我々は、その答を叙述するにとどまらず、

  「 幾つかの評價基準を提示して、

  「 他例との比較に堪へるモデルに仕立てたいのである 」


  そして曰く、

  明治維新は、第二次大戰後に韓國・台灣・シンガポール・マレーシア で成立した

  「 開發獨裁 」 のやうな單純な事態ではなく、

  それより遙かに複雜で高度で成熟した過程なのだと。


  岡崎久彦さんが、最初の民主主義は失敗する、と言つてゐます。

  さう言へば、新興國でも東歐諸國でも、民主主義がうまく機能してゐる國は尠いですね。

  日本は明治維新後、その危險を見事乘越えて憲法と議會を機能させました。


      幕末・明治の柔構造


  因みに、著者が 「 明治革命 」 を濫發するのはをかしい。

  革命は過去の全否定、維新は良き傳統の復活ですから、意味が全然違ひます。

  明治維新が革命だつたのなら、なぜ皇室が續いたのですか!


  それはともかく、ペリー來寇の外壓後、日本は幕末に

  「 富國強兵 」

  「 公議輿論 」

といふ二つの目標を定めました。

  この二目標が明治になると、

  富國/強兵/議會/憲法

の四つに分れます。

  そして主導者の合從連衡により柔軟な對應をして、四つとも成就したのだと本書は言ひます。


  大事な指摘があります。

  明治維新は 「 サムラヒが指導した 」 ( 31頁 ) といふのです。


  鎌倉幕府以來、日本の政治は武士が主導しました。

  武士道が戰國末期に生れ、

  江戸幕藩體制で一轉し ( 「 天下泰平 」 の到來→武士が官僚化・穀潰し化 ) 、

  明治になつて二轉し ( 武士身分が戸籍上の空名になる ) 、

  敗戰後、高度成長で米國に一指報ひたあと ( 海戰→貿易戰爭 ) 、

  1985年のプラザ合意 ( 圓高ドル安の承認 ) により、終焉します。


  この間、日本では、指導者の間に 「 武士道精神 」 が生きてゐました。


  高度成長後、日本の指導者から武士道精神が喪はれて現在に到つてをります。


  幕末から明治にかけて日本の政治が成熟したのは、幕藩體制の構造に由來します。

  幕府も各藩も破産するやうに出來てゐて、相次ぐ藩政改革に鍛ヘられて指導者が澤山育つてゐました。


  彼らの優秀さの一端は、

  井上勝生 『 幕末・維新 』 ( 岩波新書、2006.11.21/2010.1.25第13刷 )

が、よく紹介してゐます。


  序に、アジア主義を扱つた下記の書物の初めの部分も、徳川幕藩體制を考へる上で頗る參考になります。

  松浦正孝 『 「 大東亞戰爭 」 はなぜ起きたのか:汎アジア主義の政治經濟史 』

  ( 名古屋大學出版會、2010.2.28 )


  1000頁を超す大著の學術書でありながら、すらすらと面白く讀み進める本です。

  實に幅廣く各種の書物を參照してゐて、その註は決して讀書の邪魔にならぬばかりか、

  「 おゝ、こんな本もあつたのか 」 と

  讀書の手引きにもなる有難い書物です。


  閑話休題──

  この 「 指導層の人材の豊富さ 」 こそ、幕末・維新の社會と政治が柔軟であり、

  日本の近代國家形成を成功に導いた主因です。


  第二次大戰後に獨立した新興國は、社會と政治の熟成度 ( 有權者の實力 ) が足りないのです。

  だから韓國も台灣も、與野黨の政權交替が円滑に進まず、

  前大統領が死刑判決を受けたり拘束されたりするのです。


  對立する政治勢力が國益を共有できないと、政權交代は円滑に進みません。


  新興國だけではありません。


  新興國の模範たるべき日本も、時と共に、指導層の武士道精神が希薄化しました。


  武士道とは、 「 君國が大事 」 とし、君國のための獻身を尊しとする思想であり態度です。

  だから武士道が廢れると國益が共有できず、黨派の爭ひに陥り、それが有權者の愛想盡かし・政治離れを引起します。

  かくて今や御覧の通り、到る所で無責任がまかり通るやうになりました。


  人生の半分が相互扶助、殘り半分が鬪爭である限り、君國 ( 國民共同體 ) への獻身を説く武士道精神は、指導者にとつて不可欠のものです。

  しかし、ご存じの通り、日本は戰後軍隊を持たなくなりました。

  「 滅私奉公 」 から 「 滅公奉私 」 に價値觀が百八十度轉換したのです。


  自衛隊は警察に管理された武裝集團に過ぎず、國軍ではありません。

  だから 「 祖國のために戰ふ 」 ことを許されてをりません。

  武器使用も警察同樣、 「 撃たれてから撃ち返す 」 警官のピストル使用に準じてゐる始末です。

  國際社會は 「 弱肉強食 」 の無法世界なのに、 「 法の支配 」 下にある國内並の扱ひなのです。

  こんな事態になつたのは、自衛隊が警察に封じ込められた存在だからです。

  自衛隊員自身は“軍人" たるべく嚴しい訓練に勵んでゐるのに!


  この不甲斐ない状態を放置して國家を衰亡の危機に立たせてゐる 「 日本の主權者 」 は、

  目の前の事態に危機を感じないのでせうか?

( 2010.6.10/7.1 補筆 )