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台灣を救った根本博中將
( 世界の話題 246/ 『 關西師友 』 6月號, 12-13頁 )
根本博中將と金門防衞戰
白團のことは、 1974年に1年間台灣に留學したとき知りました。
團長白鴻亮こと富田直亮少將に二度お話を伺つたからです。
そのお話を元に 「 指揮者と參謀 」 といふ一文も書きました ( 『 饗宴 』 昭和50.3., 2面 ) 。
白團のことは、私が台灣へ留學する前に 『 文藝春秋 』 に紹介されてゐます。
小笠原清 「 蒋介石をすくった日本將校團 」 ( 『 文藝春秋 』 昭和46年8月號、158-166頁 )
その後、白團を紹介する單行本も出ました。
中村祐悦 『 白團:台灣軍をつくつた日本軍將校たち 』 ( 芙蓉書房、1995.6.5 )
( 最近、改訂版も出てゐます。書店で見ただけで、讀んでゐませんが )
根本博中將のことも、 「 金門を確保したのは根本博だ 」 と當時、台灣で聞いてゐました。
でも詳しい状況を知つたのは、下記新刊書を讀んでからです。
門田隆將 『 この命、義に捧ぐ:台灣を救つた陸軍中將根本博の奇跡 』
( 集英社, 2010.4.30 ) 1600圓+税
蒋介石が台灣を子分陳儀に任せたのは、忠實な子分への恩賞 ( 戰利品授與 ) でした。
日本統治の下で工業化まで達成してゐた台灣は、農業でも工業でも第三次産業でも近代化の遲れた中國大陸の國家建設を 「 軌道に載せる力 」 を秘めてゐたのに、蒋介石は 「 單なる戰利品 」 としか扱ひませんでした。
蒋介石の 「 近代國家 」 に對する見識の低さは、シナ人の近代國家に對する見識の低さの反映です。
韓國を日本に倣つて近代國家化した朴正熙韓國大統領に遙か遠く及びません。
だからこそ、蒋介石は大陸を保持できなかつたのです。
だからこそ、陳儀は好き勝手に台灣を食ひ散らしたのです。
伊原註:陳儀がどんなに酷いことをしたかについては、ぜひ、下記をお讀み下さい。
戰後台灣の起點が判ると共に、シナ人の理不盡さがよく判ります。
ジョージ H.カー 蕭成美譯 『 裏切られた台灣 』 ( 同時代社、2006.6.26 ) 4000圓+税
その要點は、この讀書室の古い文章で紹介濟ですから バックナンバーを御覧 ( ゴロウ ) じろ。
そんな野蠻な軍閥支配のシナを“祖國" と誤認した文明社會の住人台灣人は、
お人好しといふほかありません。
1949年、國共内戰に決着がつき、10月 1日に中華人民共和國中央人民政府が成立を宣言します。
蒋介石率ゐる國民政府軍 ( 國府軍 ) は雪崩を打つて崩壞しました。
蒋介石は 5月、それまで無視してゐた台灣を逃亡先と決め、防衛を固めます。
蒋介石の敗因は、腐敗墮落による自滅と語られますが、そもそもの元兇は米國です。
林彪軍は滿洲で國府軍に連戰連敗してゐたのに、大統領特使 マーシャルが無理に休戰させたため、中共軍は、ソ聯軍の庇護育成下で再起する餘裕を得ました。
マーシャル 將軍が如何に中共を支援したかについては、下記を參照。
ジョゼフ・マッカーシー ( 本原俊裕譯 ) 『 共産中國はアメリカがつくつた:マーシャル の 背信外交 』
( 成甲書房、2005.12.25 ) 1800圓+税
米國のお蔭で中共軍は生延びたばかりか、政治宣傳で國府軍の厭戰氣分を煽り、續々寝返らせました。
國共内戰とは、ドンパチ は 極く僅か、基本的に政治宣傳合戰でした。
國共雙方の兵力變化は、雪崩現象といふほかない状況です ( 下記の數字を見よ ) 。
國府軍 中共軍 比 率
1946.7. 430萬 120萬 3.58 : 1
1947.6. 373 195 1.9 : 1
1948.6. 365 280 1.3 : 1
1949.6. 114.9 400 0.3 : 1
( 劉馥 『 中國現代軍事史 』 奧付なし。284頁 )
台灣人は救はれたか?
戰意を喪失し、烏合の衆と化した國府軍は連戰連敗。
その中で唯一の勝利が中華人民共和國建國後に發生した金門防衞戰でした。
勝てたのは、蒋介石の指示により、總司令湯恩伯將軍の顧問に就いた根本中將が、
勝てる作戰をた樹てからです。
その要點は、以下の通り。
蒋介石が指示した厦門 ( コロンス島 ) 防衛を放棄し、金門島で迎へ討つ
( 蒋介石の指示に背けたのは、根本中將が日本人だつたからです )
( だから、根本中將が居なければ、國府軍は金門島を喪つてゐた筈です )
中共軍を上陸させ、船を燒いて退路を斷つた上、包圍殲滅する
住民を捲込まずに中共軍を叩く、など
根本中將は、國共内戰で國府軍が連敗してゐるのを憂慮し、
皇室の安泰を守つてくれ、
百萬の支那派遣軍を無事歸國させてくれた
蒋介石の恩義に報ひようと、49年6月、死を覺悟して台灣に密航しました。
そして中共軍が、氣樂な殘敵掃蕩のつもりでやつて來た金門上陸作戰で、捲返したのです。
金門防衞戰の勝利で國府軍は總崩れを免れました。
この勝利のお蔭で、蒋介石の台灣統治が順調に展開します。
しかし、蒋介石は金門戰の勝利から日本人の貢献を消しました。
國府の台灣統治の 「 正統性 」 legitimacyに關るからです。
シナ人は、牢固たる 「 勝てば官軍 」 史觀の持主です。
その上、歴史とは勝者を稱 ( タタ ) へるものですから、都合の惡いことを殘す筈がありません。
著者は周到に調べて、根本博ばかりか、總司令湯恩伯まで戰史から消された經緯を調べます。
シナ人は上述した如く 「 勝てば官軍 」 史觀で權力鬪爭の敗者を歴史から消してしまふのです。
湯恩伯は陳誠との政爭に敗れたため、金門の勝利を指導した司令官の名を消されたのです。
台灣人はよく 「 蒋介石は台灣に原爆以上の慘事を齎した 」 と言ひますが、
毛澤東に占領されるよりましでした。
蒋介石軍が逃げて來てゐなければ、中共軍はやすやすと台灣に乘り込んだのではないでせうか。
毛澤東の台灣占領を阻止したのが金門戰の勝利です。
海軍を持たぬ中共軍が海軍育成を圖るうちに朝鮮戰爭が始り、蒋介石の 「 大陸反攻 」 も、毛澤東の 「 台灣解放 」 も、米國が凍結します。 「 一中 」 を爭ふ 「 二中 」 の出現です。
根本中將が台灣に密航したのは、先に述べたやうに、蒋介石の恩義に報ひるためといふのですが、
著者は、
根本中將は 「 軍人として死所を求めたのではないか 」
といふ台灣人研究者の聲を記録してゐます。
駐蒙軍司令官だつた根本中將は、ポツダム宣言受諾後もソ聯への武裝解除を拒否し、邦人を守り抜きました。
武裝解除を安易に受入れ、邦人への虐殺・強姦・暴行の限りを許してしまつた隣の關東軍とは大違ひです。
根本中將は、身命を賭して半世紀日本國民であつた台灣人を中共の“解放" から守りました。
でも、その努力は圖らずも、台灣人を 「 二等國民 」 と蔑視して台灣人に君臨する
外省人政權の延命に手を貸したことになりました。
これは、根本中將の思案の外にあつた問題ではありますが、
その後、在台“中華民國" 政權が台灣人蔑視統治を續けた事實を知る私達には、
「 曾ての同胞 」 台灣人に對する新たな對應の必要を問ひかけてゐます。
( 2010.5.9/5.31補筆 )