二〇一二年:中共の台灣併呑計劃

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伊原註:下記は、雜誌 『 正論 』 平成22年 4月號に掲載した拙稿の増補版です。






  二〇一二年:中共の台灣併呑計劃



            一  台灣にふりかかる中共の 「 大災難 」


  中共 ( 中國共産黨 ) が、國共内戰に勝つた後始末としての台灣併呑を畫策してゐます。

    台灣の次期總統選舉 ( 2012年 3月 ) の直後にやり遂げ、

    同年秋の中共第18回黨大會を 「 祖國統一完成祝賀大會 」 にして胡錦濤の引退を飾り、

    胡錦濤引退後の影響力を確保しようとしてゐる

  ──といふ機密計劃を暴露した本が台灣で出ました。


  袁紅冰 『 台灣大劫難:TAIWAN DISASTER/ 2012 不戰而勝台灣 』 です。

  ( 台北縣中和市・星島國際有限公司、2009.11. 1刷/12.4刷 )   新台幣 360元


  24〜29頁に 『 認識作者 』 といふ著者の紹介があります。

  著者袁紅冰 ( ユアン・ホンビン ) は1952年、内蒙古高原の生れ。

  中共が文革期に 「 内蒙古人民革命黨 」 肅清の名の下に、蒙古人を大迫害したことを心に刻み込み、迫害された蒙古人の 「 美しくも自由で高貴な魂 」 の記録を著書に書いて復活させようと決意します。


  1986年に北京大學大學院を終へたあと、北京大學で教へ、訴訟法教育研究室の責任者になります。

  袁紅冰は高校在學中に自ら 「 英雄人格哲學 」 を創始してゐたので、北京大學で 「 北京大學の精神的導師 」 と慕われる存在になりました。

  1989年の 「 六四天安門事件 」 中、袁紅冰は 「 北京大學教師後援團 」 を組織します。

  1991.10., 袁紅冰は哲理散文詩 『 荒原風 』 を出版、直ちに發禁。

  1992年、袁紅冰主編で 『 歴史的潮流 』 を出版して一時大評判となりました。

  1992.6., 中共の北京流血の恐怖の雰圍氣がまだ殘る中、袁紅冰が發起者となつて政治見解の異る知識分子百名が參加する 「 オリンピック ホテル會議 」 を主宰し、極左派から排撃されました。


  さて、この調子で詳しく紹介してゐると、翻譯に近付き、長くなり過ぎるので、はしよります。


  このあと袁紅冰は當局から逮捕・彈壓され、出國して現在濠洲在住。


  彼は單なる法律學者ではなく、哲學を初め、詩や文學作品まである幅廣い人で、文人とか思想家といふにふさはしい人です。廣い分野に亙つて多くの著作をものしてゐます。

  ( 伊原追記:袁紅冰と會つて2時間話した台灣の楊嘉文さん曰く、彼は學者といふより詩人だと )


  中共高層に習近平ほか人脈多く、その家族から入手した機密資料を基に、中共の台灣策略を紹介したのが本書なのださうです。


  一月初め、台灣の知友から本書が届きました。

  私が台灣觀察を續けてゐることを知つてゐて、參考資料として贈つてくれたのです。

  早速讀み、これはぜひ日本の讀者に紹介せねばと考へました。

      理由1 ) 中共の台灣併呑の願望がよく判る。

      理由2 ) 台灣の内政が、想像以上に中共の直接工作の成果だと判るからです。


  第一、ケ小平は胡錦濤に遺囑して曰く ( 68頁 ) 、

  「 2012年迄に必ず台灣問題を解決せよ 」

  そして曰く、

  「 台灣問題の解決は、中國の社會主義體制の生死存亡に關り、共産黨の生死存亡に關る。

      ( 伊原註:自由民主の台灣ある限り、共産獨裁の中共政權は批判に晒されるから、

        併呑して中共政權の存立を危ふくする根源を取除け、といふのです )

  「 從つて、條件を創り出して早急に台灣問題を解決せよ。

  「 台灣と香港は別ものだ。香港には租借條約があつたから解決できた。

  「 台灣には條約がないから、時間が經つほど不利となる。

  「 台灣問題は胡錦濤同志の任期中に解決せよ。2010年を超へてはならぬ 」


  うーむ、ケ小平が本當にかう言つたかどうかは判りませんが、

  いかにも言つたやうに聞こえますね。


  第二、そこで胡錦濤は、台灣の政權交代を演出しました。

  本書によれば、陳水扁民主進歩黨政權叩きと中國國民黨政權の政權擔當は、中共が仕掛けたものです。


  先づ、ブッシュ政權を陳政權嫌ひにしました。

  この經緯は以下の通り。

    2003. 7.14  陳水扁總統、公民投票を總統選と同時實施すると發表

    2003. 7.15  中國外交部、台灣人の出生地を 「 中國 」 にせよと各國に要求

    2003. 7.16  中國外交部長李肇國、米國務長官パウエルと電話會談

    2003. 7.18  中國外交部次長張業遂、北京で米國務次官ボルトン ( 軍備管理・國際安全保障擔當 ) と

                安保對話

    2003. 7.18  米國、中國と戰略提携:ブッシュ政權は18日、北朝鮮問題協議のため訪米した戴秉國外交

                部筆頭次長を 「 まるで首腦のやうに 」 受入れ。ホワイトハウス で チェイニー副大統領・ライス 大統

                領補佐官が厚遇。パウエル國務長官との會談は 2時間に及ぶ。19日には ラムズフェルド國防長官

                とも長時間會談。

                胡錦濤は米國を 「 和平崛起論 」 で安心させ、米國に台灣を牽制させる 「 以美制台 」 策

                を採用

    2003. 7.21  中國國台辧の正副主任が訪米/台灣の公民投票阻止を論議:國務院台灣事務辧公室主

                任陳雲林と副主任周明偉が21日、國務省を訪れ、國務副長官アーミテージ及び アジア太平洋擔

                當國務次官補 ケリーと台灣問題について討議。陳水扁總統の公民投票は 「 漸進的台獨 」

                の 「 挑發 」 と認定した中國側の要請によつて行はれた會談。米國に台灣牽制を依頼。

    2003. 8.23  前總統李登輝、 「 台灣正名運動が必要 」 と言明:前總統李登輝が23日午前、 「 511 正

                名運動聯盟 」 が國賓飯店で開催した 「 總統府に集り國聯に向けて前進する 」 9.6 デモ

                の結團式に出席して曰く、 「 中華民國は既に存在しないから國名を代へる必要があり

                台灣正名運動を進める必要がある。陳水扁總統も同じ考へだが、總統としては言へな

                いので、引退した私が彼の代りに言ふのだ 」

    2003. 9.28  陳水扁、民進黨中常會で 「 新憲法談話 」 發表: 「 民進黨は來年18歳、三大任務を完成

                せねばならない。 ( 1 ) 公民投票の完成。 ( 2 ) 3.20の總統選に勝つ。 ( 3 ) 來年末の立法

                委員選に勝つ。そして民進黨が20歳になり、台灣が1996年の總統直選後、10年を迎へ

                る2006年に新憲法制定作業を進め、最終的に公民投票で新憲法を決める 」

    2003.12.初  ブッシュ大統領、密使を台灣に送り、陳水扁總統に秘密親書で公投の自制を要求

                陳水扁は、公投は民主主義下の人民の當然の權利として拒否。これで ブッシュ 怒る

    2003.12. 7  温家寶首相、訪米

    2003.12. 8  温家寶首相、ワシントン 市内で パウエル 國務長官と台灣問題に關し會談:

                パウエル長官、 「 台灣獨立を支持せず 」 と言明

                このころ、米政府高官が頻りに 「 台灣が獨立に向ふことを望まず 」 と發言

    2003.12. 9  米中首腦會談:そのあと、記者會見

                ブッシュ大統領: 「 中台關係の現状を變へる如何なる一方的決定にも反對する。そして一

                            方的に現状を變へたがつてゐる台灣指導者の言行に反對する 」

                温家寶首相: 「 ブッシュ大統領が台灣獨立反對を言明したことを評價する 」

                ( cf. 伊原吉之助編 『 台灣の政治改革年表・覺書 ( 2003年 ) 』 交流協會, 2004.3.31 )


  以上、敢へて事實を並べました。

  この半年の間に、米中提携しての台灣土着政權壓迫體制が出來あがつたのです。


  この米國の公投 ( 國民投票 ) 反對があつたため、

  米國が公投の主題を意味のないものに變へさせたことと相俟つて、

  翌2004年 3月、總統選と同時實施した公投が成立しませんでした。

  陳水扁が總統選で 「 辛勝 」 になつたのも、米國の民進黨政權壓迫のせいです。


  さて、本論に戻ります。


  次に、中米兩國が協力してスイスの銀行・シンガポール政府に壓力をかけ、

        陳水扁家族の送金の證據を入手して國民黨に流し、陳水扁總統を叩かせた

  ── と本書は書きます。


  メディアと街頭運動を通じて陳政權の 「 腐敗 」 「 無能 」 を刷り込まれた台灣の有權者は、

      2008年 1月の立法委員 ( 國會議員 ) 選擧でも、

      同年 3月の總統選舉でも、 「 中國 」 國民黨を壓勝させました。


  第三、胡錦濤は、馬英九の總統就任 1ヶ月後の 6月に中共中央政治局擴大會議を開き、

        台灣問題解決法を策定した ( 71頁以下 )

  ── と本書は書きます。

  台灣事情を追跡してゐる私には、なるほどなるほどと納得し易い。


  會  場:北京西山洞穴の奥深くにある中央軍事委員會第一戰略指揮センター

  會議參加者 ( 總計二百餘人 ) :

      中共中央政治局員のほか、

      書記處の成員、

      軍の大軍區及び軍兵種の副職以上の指導者、

      國務院辧公廳の正副秘書長、

      統一戰線部・外交部・公安部・國家安全部の副職以上の指導者ら、


  會議の席上、胡錦濤はこんなことを言つたさうです。

  「 米國は ( 我々の米台離間工作により ) 既に確實に 『 台獨 』 ( 台灣獨立派 ) を トラブルメーカー と認識してゐるが、

  「 日本は、今のところまだ陳水扁家族の汚職問題に對する態度が曖昧である。

  「 外交部は對日工作を一段と強化せよ 」


  この會議で、中共中央は三文書を通過しました。

      「 台灣問題解決の政治戰略 」

      「 對台軍事鬪爭準備に關する豫定案 」

      「 台灣統一後の政治的法律的處置豫定案 」


  第一文書=武力統一案に固執する軍を抑へて 「 戰はずして勝つ 」 統一戰線 ( 以下、統戰 ) 工作による台灣併呑案。


  第二文書=統戰工作が豫期通り進まなかつた場合の武力統一準備案。


  第三文書は、併呑後の對台施策案です。


  以上が問題の 「 中共文件 」 で、直接引用が尠いので 「 本當か? 」 と疑はれる點です。

  中共文件は重要なものは ナンバー が振つてあり、流出は極めて難しいのです。

  しかし袁紅冰が説く内容は、 「 さもあらん 」 と思へるものであります。


  中共の對台工作は、全て飴と鞭の 「 兩手工作 」 です。

  だから、脅しと利益誘導を併用して台灣各界を取込んでゐます。

  各界=政界・財界・官界・言論界・學界・宗教界・やくざ組織etc.


  以上から判ること──

    馬英九總統登場以來の 「 中國急接近策 」 は、台灣側の政策ではないこと。

    台灣は獨自性を失ひ、中共の掌の上で踊つてゐるだけ。

  2008.1. の立法委員選と同年 3. の總統選で國民黨を壓勝させたのは、台灣の自殺的選擇でした。


  そして、 「 中共主導 」 が本當なら、

  馬政權がどれほど“へま" を重ねようと、人心がいかに政府から離れようと、

  政權交代には結びつかない、と推察できます。


            二  馬英九政權は中共の使ひ捨て政權


  中國國民黨の中國政策は二つあります。


  ( 1 ) 連戰名譽主席の急統一路線


  ( 2 ) 馬英九主席の香港型 ( 「 一國二體制 」 に基く50年間現状維持 ) の終極統一路線


  連戰は、父連震東 ( 1904-1986 ) が台南市出身なので 「 本省人 」 とされますが、

  その父連震東が1929年に慶應大學經濟學部を卒業したあと、蔣介石の南京國民政府に投じ、

  1932年以降役職に就きます。

  從つて連戰は中國生れ ( 1936.8.27 西安生れ ) ・中國育ちで、母國語は北京語です。


  ご存じの通り、連震東は抗日戰爭で國府軍が日本軍に勝つやうにと、

  息子に 「 連戰 」 「 連勝 」 と名付ける豫定でしたが、

  二人目の息子が生れず、 「 連勝 」 と名付けられませんでした。

  その代り、連戰は自分の息子に 「 連勝文 」 と名付け、父連震東の遺志を繼ぎました。


  名前に關してもう一つ、連戰は總統選に連敗したため、 「 連戰連敗 」 と メディア に誹られました。


  以上の事情から、連戰の台灣語 ( ホーロー語 ) は、台灣生れ台灣育ちの人ほど達者ではありません。

  北京語が通じなかった祖母と家庭内で話合つただけなのです。

  彼は2000年と2004年の 2度に亙り、總統選で自分を總統に選ばなかつた台灣人を懲罰するため、國民黨主席であつた2005年 3月に黨代表團を率ゐて中國に赴き、胡錦濤總書記と國共黨首會談を行つて、早期統一を約束しました。


  連戰は前述した通り、母も妻も中國人であり、

  自ら 「 私は純粹の中國人 ( ピュア・チャイニーズ ) だ 」 と米國で宣言してゐます。

  だから、連戰を 「 本省人 」 とするのは誤解の元です。

  強ひて本省人とすれば、 「 台奸 」 ( 台灣人の賣國奴 ) となります。


  馬英九は、父馬鶴凌 ( 1920-2005.11.1 ) が湖南省衡山出身の外省人です。

  本人は、  國共内戰で父母が大陸を脱出して香港に居た時、香港の九龍で生れました。

  ( 英領香港の九龍で生れたから 「 英九 」 との説あり。本人は否定。古典から名付けたと )


伊原追記:

  自分の名について、馬英九自身が最近、こう解説してゐます ( TVBS 2.28/12:14 ) :

  2月27日、馬英九總統が90歳の詩人周夢蝶と會見した時、自分の名前の小さな秘密を漏らした。

  父馬鶴凌が長男の名前を考へた時、詩人陸游の詩 「 示兒 」 から文字を取り、膺九 ( 發音は英九と全く同じ ) を考へた。

  「 『 膺 』 は本來、拳拳服膺の膺だが、實は胸懷 ( 抱負・胸中の思ひ ) といふ意味なんだ。そして九は九州 ( 中國全土 ) の九なんだ 」

  馬鶴凌は、中共に奪はれた中國大陸奪回の夢を長男に託さうと考へたのです。

  「 父は大陸から香港に出て來たところで、神州が中共に奪はれたとの思ひが生々しかつたのだ 」

  だがあれこれ考へた末、英雄の英を採用して英九と名付けた。

  息子に 「 英才繼起 」 の望みを託したのである、と。


  父も母秦厚修も中央政治學校出身です。

    ( 中國國民黨の黨學校。台灣の國立政治大學の前身 )


  父は馬英九に 「 總統になれ 」 との意を籠めて、帝王教育を施したと言はれてゐます。

  もう一つ、反日教育も。


  この父は、青幇の巨頭、杜月笙の子分と言はれ、

  だから中共の上海制壓後に香港へ逃げた親分のあとを追つて香港に來たのだ、といはれます。


  馬英九の傳記的事項はこれくらゐにして──

  1998.12.の選舉で再選を目指す陳水扁市長と台北市長選を競つた時、應援に來た李登輝總統の

  「 君は何處の人かね? 」

といふ問に、

  「 私は台灣人です。台灣の米を食べ、台灣の水を飲んで育つた新台灣人です 」

と台灣語で模範回答を公言して台灣人の喝采を受け、人氣抜群だつた陳水扁市長の再選を阻みました。

  馬英九はその後も、折に觸れて台灣の下町 「 萬華 」 育ちであつたことをひけらかします。

  でも彼は 「 誇り高き中國人 」 として育てられましたから、台灣人とは交はらずに育ちました。

  長じてから、人氣取り用に學んだ彼の台灣語 ( ホーロー語 ) はたどたどしく、 「 ご愛嬌 」 の域を出ません。

  ( 最近、學習の成果があがつて、大分流暢になりました )


  馬英九自身は、上述したやうに香港生れですけれども、

  誇り高き中國人である父親から古典と中華思想を叩き込まれて育つてゐます。

  だから、邊境の台灣に本心から同化することはありません。

  彼の台灣意識は專ら選舉用のよそゆきの演技であります。


  そういふ馬英九の中國政策は、

      「 終極の統一 」 を言つて中國を後楯に台灣人に君臨し、

      あと半世紀、台灣で國民黨政權を維持すること、です。


  さて、以上は 「 在台中國國民黨 」 内の二つの中國政策の説明でした。


  ところが、袁紅冰が暴露したと稱する中共の台灣併呑策は、

  中國國民黨政權の息の根を止める 「 直轄統治 」 策なのです。


  第二の文書 「 對台軍事鬪爭準備案 」 は 2012.3.の台灣總統選後に

  3つの事態を想定をしてゐます ( 213 頁 ) 。


  第一、國民黨が負けた場合、新總統が就任する 5月迄は國民黨が政權を握つてゐるから、

        この間に台灣に進攻して占領する。


  第二、國民黨が勝つても、 「 台灣問題解決の政治戰略 」 に規定した方針を拒絶し、

        「 中華人民共和國政府を中央政府と認め、中華民國の憲法・國號・國旗を廢止する 」

        平和統一協議に調印を拒否するやうなら、武力で台灣問題を解決する。


  第三、國民黨が勝つたあと、中共と平和統一協議の調印過程で民進黨が大規模抗議活動を展開し、

        社會が混亂すれば、 「 反國家分裂法 」 に基き一擧に台灣を軍事占領する。


  馬英九は上述したやうに、中共を後楯にして台灣で更に50年間統治を續けるつもりです。

  しかし、國共内戰に完勝したと考へ、國民黨を歴史の遺物と見做す中共に、國民黨と共存を續ける氣など、さらさらないやうです。


  本書によれば、  2012年の總統選後、直ちに直屬組織として 「 台灣社會民主黨 」 を設立し、國民黨を監視させ牽制さす。

  そして2016年の次の總統選で台灣社民黨政權を設立し、國民黨と交代さす豫定です。

  國民黨はこれで消滅する筈ですが、假令生延びても、中共に弊履の如く扱はれる筈です ( 229 頁 ) 。


  袁紅冰曰く、

  過去一世紀近い流血の國共鬪爭史を顧みれば、

  一番 「 親共・媚共・投共 」 をやつてはならぬ政治黨派が國民黨なのだ。

  それなのに 「 親共・媚共・投共 」 をやつたから、恥晒しの末路を迎へるのだ、と ( 224 頁 ) 。


  日本=窮鳥が懷に入れば助けてやる。

  中國= 「 水に落ちた犬はぶつ叩け 」 ( 打落水狗 )


  歴史に學ばぬ者は、歴史に復讐されるのです。

  大體、中共が、一世紀近く死闘を繰返してきた政敵を生延びさせると思ふ方がどうかしてゐます。

  孫子曰く、 「 彼ヲ知ラス己ヲ知ラサレハ百戰殆フシ 」


  因に、台灣社民黨の資金源は、大陸在住の二百萬台灣商人だと本書は言ひます ( 230 頁 ) 。

  中共政權下で儲けようとした愚か者は、骨までしやぶられるのです。


  台灣社民黨の骨格勢力は、中共が長年に亙り台灣各界各層で培養してきた秘密勢力ださうです。


  指導層百名の中の 「 しつかり繋ぎ止める目標 」 として、次のやうな名前が擧つてゐます。

      民進黨  元主席  許信良

      前無黨團結聯盟主席  林炳坤

      親民黨  秘書長  秦金生

      新  黨  主  席  郁慕明

      中國國民黨副主席  朱立倫。


  台灣社民黨の具體的任務は──


  第一、2012年の總統選後に混亂が生じた際、

        台灣人民名義で中共軍に救援を求めること。

  第二、民進黨が勝つた場合、國民黨と聯繋して激烈な街頭運動をやり、

        中共に派兵を求める口實を演出すること。

  第三、國民黨が總統選に勝つた場合、

        政治・經濟・文化・社會輿論により全面的に壓力をかけて、

        秋の中共十八全大會までに中共と平和協議をさせ、

        「 中華民國の國號・國旗・憲法を廢止して中共政權を中央政府と認める和平統一政治協議 」

        に同意させること。

  第四、遲くとも2016年までに政權をとること。


  胡錦濤は 2008.6.の秘密會議で、かう言つたと本書は書いてゐます。

  「 2012年の政治統一實現より、

  「 2016年の台灣社民黨の執政 ( つまり、國民黨の追放 ) の方が大事だ。

  「 これにより、國共鬪爭が中共の全面勝利で幕を閉ぢるからだ 」 ( 232頁 )

  かくて哀れなる馬英九は、中共から 「 水に落ちた犬 」 扱ひされる運命に逢着します。


            三  台灣の希望は斷固たる 「 獨立意志 」 の表明


  台灣の自由と民主主義の餘命はあと 2年といふのですから、

  台灣は大騒ぎと思ひきや、一向騒いでゐません。

  袁紅冰自身、本書の中で、台灣人は鈍いと嘆いてゐます。


  先づ、彼の知友は、

  本書の内容に驚愕した末、中共の台灣併呑策は 「 筋が通らぬ 」 と反論した ( 73頁 ) 。

  袁紅冰は、獨裁者が筋の通らぬ決定をした例は史上珍しくないと實例を擧げて反論した。


  次に、 「 安逸を貪る氣分 」 が台灣社會に瀰漫してゐるといひます ( 260 頁以下 ) 。

  これには私 ( 伊原吉之助 ) から、

      「 天ハ自ラ助クル者ヲ助ク 」

と言つておきませう。

  この私の コメント は、

      米國が 「 台灣關係法 」 で助けに來てくれると信じてゐるお人好しの台灣人

にも當てはまります。


  著者袁紅冰は、

  中共の弱點 ( 六四天安門事件による權力の正統性の喪失と、經濟成長による政權の腐敗墮落 )

を指摘し、

  台灣の希望は自由のため燒身自殺した鄭南榕の精神を受繼ぐことだ、といひます。


  イスラエルを見よ、とも。

  亡國千年の後、國家を再建したのは、建國の意志を持續けたからだと。


  そして、台灣の大災難 ( 中共の暴政による併呑 ) と、

  今や臨界點に達した中共の政治大危機

    ( 先述した天安門事件による正統性喪失と、政權の腐敗墮落による大崩潰 )

は同時並行して進行中だと言ひ、


  台灣が鄭南榕精神を失はぬ限り、台灣は自由精神の希望の星。

  中共の鐵血の暴政は神人共に許さざる罪業。

──と斷定します。


  結語 「 台灣よ、汝は自由人を生み出すべし 」 で、袁紅冰は言ひます。


  この結語は、 「 詩人 」 袁紅冰の面目躍如たる部分です。


  人類は今や大危機に瀕してゐる。

  深刻な今回の危機は本質的に精神的なもの、生命哲學的なものである。

  この精神的危機の原因は、ヒューマニズム が人間を全面肯定し、歴史を神權政治の千年の暗黒から解放して天賦人權の名の下に、社會的自由に基く政治・法律・經濟體制を構築したことに由來する。

  これは疑ひもなく巨大な歴史の進歩であつたものの、

  殘念ながら物慾を引出し、貪慾を蔓延 ( はびこ ) らせた。


  今や世界は道義地に堕ち、毒物・暴力・色情が氾濫してゐる。

  更に生延びた全體主義が人類の精神危機に付け込んで自由・民主・人權を否定し、

  專制支配を擴大中だ。

  これぞ正しく人類の危機である。


  ソ連東歐の社會主義陣營崩壞後、西歐知識人は共産主義の失敗と斷言したけれども、

  これぞ淺はかな歐洲中心主義的偏見に過ぎず、

  東方で中共の暴政が生延びてゐる事實を失念してゐる。

  彼ら輕率なる西歐知識人は、中共はマルクス全體主義を放棄したと悦に入つてゐるが、

  中共の暴政は、受繼いだ全體主義專制支配の魂を毫も變へてゐない。

  變へたのは專制支配維持のための經濟運營方式だけだ。


  「 台灣よ、汝は自由人を生み出すべし 」


  私 ( 袁紅冰 ) が中共の暴政下で政治奴隷の屈從を強ひられた經驗が、かう言はせる。

  私 ( 袁紅冰 ) の魂の墓碑銘には、

      奴隷的屈從を強ひられた中國人・モンゴル人・チベット人の心靈の苦難

が刻み込まれてゐる。

  中共の暴政で生命を喪つた幾多の靈が私に本書を書かせたのだ。

  私 ( 袁紅冰 ) は血涙を以て本書を書いた。

  心靈の苦難を、自由の哲理と生命の史詩に昇華するために。

  鄭南榕は私 ( 袁紅冰 ) に肺腑の言を委囑した。


  「 台灣よ、汝は自由人を生み出すべし 」

  「 そのためには必ず血の海、涙の波濤を踏み越へて行かねばならぬ 」



  讀み終へて、私 ( 伊原吉之助 ) は想ひます、

  「 台灣の自由民主に期待するこの内蒙古人の肺腑の叫びが、台灣人に届くであらうか? 」

  そして、台灣と運命共同體で結ばれてゐる日本人には……?

                                                                            ( 10.2.11 )



伊原追記 ( 2010.4.1 ) :

  私は、本書を 「 中共の願望をほぼ正確に傳へたもの 」 と判斷して紹介しました。

  だから、 『 正論 』 四月号の私の紹介文には 「 筆勢 」 があつた筈です。

  また、だから御覧のやうに、私の知識で増補もしました。


  でも台灣では、信ずる人と疑ふ人が半々ださうです。


  袁紅冰が 『 台灣大劫難 』 で 「 中共の願望 」 を傳へてゐることは確かですが、

  中共文獻からの直截引用が尠いことなどからすると、

  彼は中共文件を直接見たといふより、ざつと見ただけか、

  或ひは大意を説明して貰つただけなのかも知れません。

  ( それを全くしてゐないとは思へません )


  ともかく、疑ふ人が大勢ゐるが、

  本物と信じてゐる人も大勢ゐる、

といふことをご承知の上で、お讀取あれ。


  台灣では、本書は 6萬部くらゐ賣れたさうです。

  台灣の人口2300萬人からすれば、なかなかのものです。


  日本では、註釋つきで 「 参考資料として 」 5月に譯本が 「 まどか出版 」 から

刊行される予定と聞いてゐます。


  但し本書 ( 中文版 ) は實に讀み易い文章ですから、中國語をきちんと學んでゐなくとも

讀めます。特に中國語の初學者にお勸めです。

  ぜひ 「 當つて碎けろ 」 で直接讀んで御覧になりますやうに!