帝國陸軍を變質させた二二六事件

> コラム > 伊原吉之助教授の読書室


紹 介:


  帝國陸軍を變質させた二二六事件



藤井非三四 『 二・二六  帝都兵乱──軍事的視点から全面的に見直す 』

          ( 草思社、2010.2.18 )


  伊原註:標題は原書の儘 ( 略字使用 )

          私の讀書室では最近、 「 戰前の書物が讀めるやうに 」 との願から、

          讀者に讀み慣れて戴かうと、歴史的假名遣・正字を使つてゐます。

          だから以下、可能な限り本字を使ひます。


  帯に曰く、

    蹶起將校に國家革新の覺悟はあつたのか

    人事・組織・將校の心理・戰場の環境・戰略方針──。

    戰史から浮び上る〈昭和維新〉の眞相!


  表紙裏 ( 紙カヴァーの折曲げた部分 ) に、かうあります。

      ( 伊原註:簡潔に本書の意圖を述べてゐるので、採録します。

      ( なほ、私は二二六事件にも五一五事件にも 「 ・ 」 を入れません。

      ( 戰後 「 にーてんにーろく 」 「 ごーてんいちごー 」 と讀むやうになりました。

      ( しかし戰前の讀み方は 「 にーにーろく 」 「 ごーいちごー 」 です。

      ( そして私にとって、二二六事件は飽くまで 「 にーにーろくじけん 」 です )


  「 二二六事件 」 觀を一變させる新視點の登場!

    昭和11年2月26日、雪の帝都・東京で、

    在京勤務の將校が中心となり、昭和維新を斷行すべく

    部隊を動かし、重臣たちを襲撃・殺害した。

    明治維新以降、首都で起きた最大の騷亂だつた。

    この事件を飽くまで戰史として捉へ、

    戰場の環境、蹶起・鎭壓雙方の戰略方針、

    戰鬪經過の流れ、更には將校達の心理を考究。

    蹶起の眞の目的と敗退の理由、大東亞戰爭への影響を

    冷徹に描き出した劃期的な 「 二二六事件 」 史。


  私は本書を3月8日、本町の紀伊國屋書店で買ひ、12日朝、讀終へました。

  私の讀後感:

      二二六事件→陸軍變質 ( 歪 イビツ化 ) →支那事變→大東亞戰爭→敗戰、と位置付ける論。

      二二六事件は論じ盡されたかに見えるが、本書は二つの新見解を提示した。

      ( 1 ) 二二六事件を 「 軍事作戰 」 として分析

      ( 2 ) 事件の後遺症が日本を敗戰に導いた一因と、上記の 「 歪化 」 の線を辿つてみせる


  以上で本書の特徴はお判りでせう。以下、具體的紹介に入ります。



            はじめに


  二二六事件は極めて特異な事件である。

  なぜなら、二二六事件當時の東京は、歩兵聯隊が 6箇も衛戍 ( 任務として常駐 ) してゐる超過密軍事都市だった。

  二二六事件はそのど真ん中で發生したのだ。

  →これ、皆さん、ご存じでしたか?


  もう一つ、特異な點がある。

  その前史の血盟團事件を含めて、史料がよく殘つてゐることだ。

  →とりわけ、敗戰の結果、實に詳しい各種史料が公刊されてゐます。


  論考は多いが、蹶起側にも鎭壓側にも 「 軍事作戰 」 であつたと見て、その顛末を 「 戰史 」 といふ視點で考察したものは尠い。

  →ここに本書の特徴があります。


  戰史の視點でみると、これまでの疑問が氷解する。

  第一、蹶起部隊は、なぜ皇居を封鎖しなかつたか?

    答: ( 1 ) 蹶起趣意書の目的と皇居封鎖は矛盾してゐた。

        ( 2 ) 蹶起側の兵力 ( 入營早々の初年兵の小銃 8箇中隊では、近衞師團に對抗不能 )

  第二、鎭壓部隊は、天皇の強い鎭壓意志があり、壓倒的兵力を集中しながら、武力發動をなぜ最後まで躊躇つたか?

    答:問答無用の武力行使 ( 皇軍相撃 ) は徴兵制の危機を招くから。

  →この答で 「 ぴん 」 と來ない讀者は、最後の方で種明かししますから、ご期待を!



            第一章  最大の軍都  東京


  東京が超過密軍事都市になつたについては──

    明治 4年、御親兵と東京鎮臺が發足した、

といふ建軍當初からの經緯が絡みます。


  前者が近衞師團に、後者が第一師團に發展するのです。


  このほか、陸士 ( 陸軍士官學校 ) ・陸大 ( 陸軍大學校 ) 初め、多くの軍學校もあり、

  何より陸軍省・參謀本部・教育總監部の陸軍三官衙があつたし、

  其他のあらゆる軍機關の本部が集中してゐた。

  この軍事力の集中が 「 野望を抱く者 」 の食指 ( 制覇の慾望 ) を刺戟する。

  櫻會結成以來の軍人の動きはそれを示し、現實化したのが二二六事件だと。


  第一章に、重大な指摘があります ( 30-31頁 ) 。


  警察と陸軍の啀合 ( いがみ合ひ ) の歴史です。曰く、

  明治の當初から、憲兵と警察、いや軍隊 ( 陸軍省 ) と警察 ( 内務省 ) の關係は險惡だつた。

  明治11.10.に出た 『 軍人訓誡 』 では文官に敬意を拂へ、警察官に協力せよと注意を喚起せねばならなかつた。

  そこへ昭和7.の五一五事件。

  現役軍人が、警視廳が管轄する首相官邸を襲ひ、警察官 2人を銃撃した上、警視廳に手榴彈を投げた。

  その犯人を英雄視する動きが軍内にあり、これで警察の軍に對する反感は決定的となつた。


  續いて昭和8.6.17  午前11時30分、大阪天六交差點でゴーストップ事件が起きた。

      伊原註:これについては、下記を參照。

      朝野富三 『 昭和史ドキュメント  ゴー・ストップ事件 』 ( 三一書房、1989.10.31 )


  天六交差點で赤信號を無視した第四師團歩兵第八聯隊の一等兵を交通整理の警官が咎めた。

      一等兵: 「 陛下の軍人に何をするか、軍人は憲兵にのみ從ふ 」

      警  官: 「 我々も陛下の警官、街を通行する軍人は法規を守るべきだ 」

  口論の末、交番で毆り合ひになつた──といふ些細な事件。

  似たやうな事件はこれ以前も以後も、つまり始終、起きてゐました。


  しかしこの時は違つた。

  第四師團長寺内壽一が激怒し、警察の 「 不法 」 糺彈を嚴命して事がこじれます。

  藤井さんは書く ( 31頁 ) 、

  「 この事件は軍部横暴の象徴として語られるが、結末まで知るとさうとも言へない 」

  なぜなら、和解のあと、寺内師團長は大阪府・警察の關係者一同を南の料亭に招待して大盤振舞した、

と結んで、雙方圓滿に収つたかの如く書きますが、これは實情を知らぬ藤井さんの早とちりです。


  史料をきちんと踏まえた周到な朝野富三 『 ゴー・ストップ事件 』 の記述によると、

  この事件は明かに寺内壽一のごり押しです。

  法律的には警察側に何ら問題はなく、第四師團側の主張が強引だつたのに、

  軍が強引に 「 警察の不法 」 → 「 陳謝せよ 」 で押切りました。


  朝野さんは、事件が起きた昭和8年 ( 1933年 ) を、

  「 日本現代史に於る潮の變り目の年 」 としてゐます。

      經濟の逼迫 ( 昭和恐慌と農村不況 )

      滿洲事變〜國際聯盟脱退による日本の國際的孤立

      軍部の擡頭 ( 政黨を代表とする既成勢力の没落 )


  朝野さんが、明治以來の軍警對立の理由につき、貴重な示唆をしてゐます ( 78頁 ) 。

  明治の初めに、兵士も巡査も大半が士族出身だつたこと。

  つまり 「 同根 」 なのです。

  そして數々の軍警對立衝突事件を列擧してゐます。

      明治7.1.の本郷事件

      同年6.の愛宕事件

      翌8.4.の上野事件

      明治18.1.大阪松島遊廓で起きた軍警の大衝突事件etc.


  ゴー・ストップ事件以前も以後も 似た事件が起きてゐた、と書きました。

  ではなぜゴー・ストップ事件が 5ヶ月もこじれて、當事者を憔悴させたのか?

    ( 警察側には、憔悴の餘り死者まで出てゐます )

  その理由が、上記の昭和8年節目説なのです。


  この事件は實に戰後も尾を引き、現在なほ日本の國益を毀損し續けてゐます。


  自衛隊を警察官僚が乘取り、内局とか文民統制とか稱して制服組を抑へ續けてゐるのです。

  また、專守防衞と稱して自衛隊に警察法を當てはめ、撃たれてからでないと反撃を許さない。

  自衛隊がデモ隊に襲はれても、守るのは警察であつて自衛隊に防衛させない、etc.


  これは明かに、ゴー・ストップ事件で陸軍に屈服させられた警察の仕返しです。


  かくて日本の自衛隊は 「 軍 」 扱ひされぬまま、戰鬪法規も整備されぬまま、哀れ警察にいいやうに扱はれて放つたらかしにされてゐるのです。

  こんな馬鹿な話があるか、と私は思ひますが、さう思はぬ人が多い所為か、誰も問題にせず現在に到つてゐます。

  これは明かに政治家が惡い。その政治家を選舉の度に選び續けてゐる國民が惡い。


  警察官僚に屈從させられてゐる自衛隊!  これは軍隊ではありません。

  日本現代史の負の連續面です。



            第二章  蹶起した將校達の實像


  二二六事件の背景に、第一次大戰後の日本社會の動きがあります。

      全面的歐化・軍縮・大正デモクラシー……


  陸士を出た將校の實情が具體例を擧げつつ説明されます。

  地方ではともかく、都市では將校の生活は樂ではありません。

  「 貧乏少尉、遣り繰り中尉、やつとこ大尉 」

  大阪ではもつと酷く、

  「 乞食少尉、貧乏中尉、遣り繰り大尉、やつとこ少佐 」

と揶揄されたさうです。


  著者曰く ( 48頁以下 ) 、陸士組の其他大勢と、陸大を出たエリート組の昇進・待遇格差が、二二六事件の一つの原因だと。


  次の指摘が面白い ( 52頁 ) 。

  陸士卒業生中、成績が中下位の 「 目立たず特色のない者 」 が 「 深刻な問題を起す 」 のだと。


  注目點は、士官學校の教育水準の高さです ( 63頁以下 ) 。

  「 二二六事件に關はる軍縮期に育成された將校は、萬全と言へる教育を受けてゐた 」

  内容は、徹底した理數系教育と、抜群の語學力です。

  特に幼年學校から來た者は、帝大卒業生の上を行く語學力を身につけてゐたさうです。

  何しろ、教育目標は、舊制高校の ナンバースクール ( 一高〜八高 ) だつたさうですから。


  音樂教育が充實してゐた、とも。

  「 選んだ外國語でその國の國歌を歌へるやう教育されてゐた 」

  私は、遠洋航海でトルコを訪れた海軍兵學校 ( 海兵 ) 卒業生が、トルコの海兵生徒と交歡したとき、相手が見事な合唱をやり、蠻聲を張上げて軍歌を歌ふだけの自分達が恥ずかしかつたといふ回想を讀んで口惜しがつた記憶があるのですが、音樂教育があつたとは知りませんでした。

  舊制中學の教練で 「 號令演習 」 があり、 「 蠻聲 」 で叫ばされたのを思出します。

  下士官・將校は指揮命令しますから、透る聲を出す 「 發聲練習 」 が必須の筈です。


  第二章の結論に曰く、

  陸士で養成したのは豪傑ではなく、人付合が良く、風に靡く性格の青年である。

  なぜなら、組織の中で角の立たぬ人材が必要だつたからだと。

  そこで、強氣の人に引連られることになる。

  蹶起に加つた少尉の殆どは 「 付合で飛出した筈だ 」 と。



            第三章  軍内革新勢力の分裂


  周知のやうに ( 周知ではない? ) 、明治15.1.4 に下賜された軍人勅諭 「 忠節 」 の項に

  「 世論に惑はず政治に拘らず 」 とある。

  そして明治憲法の下では、軍人には選擧權も被選擧權もなかつた。

  だが、時代の進展は、軍部 ( この言葉が定着するのは昭和初年代後半 ) の政治關與を促す。

  それには、幾つかの事情が前提として在つた。


  第一、明治43.8.の韓國併合:

  この後、陸軍は朝鮮半島警備のための常設 2箇師團の整備を認めぬ政府 ( 第二次西園寺内閣 ) に上原勇作陸相が辭表を出し、後任の陸相を推薦しなかつたので、内閣は總辭職した。

  →陸軍がいふことを聽かぬ内閣を潰した第一號

    このあと、 「 大正政變 」 を誘發する ( 山縣と組んで西園寺内閣を潰した桂太郎の打倒運動 )


  第二、第一次大戰後の軍縮:

  常設21箇師團中、山梨軍縮と宇垣軍縮で實質 9箇師團を整理。

  →この 「 屈辱經驗 」 が、昭和になつて強烈な 「 反撥 」 に轉じます。


  第三、政治が問題解決能力を喪失。大正14.3.普通選擧法成立/昭和3.2.實施

  名望家政治→大衆政治 ( 選舉費用激増 ) →汚職腐敗の横行 ( 疑獄事件相次ぐ )

  政黨の泥仕合へ

  金融恐慌、農村恐慌  →青年將校、憤激。これで國防に獻身できようか!


  かくて軍人の政治不信に始り、政權乘取りを目指すに到る。

  その走りは、橋本欣五郎の 「 櫻會 」 ( 昭和5.9.〜 ) 。

    目的  國家改造を以て終局の目的とし、要すれば武力行使も辭せず。

    會員  現役陸軍將校中にて階級は中佐以下國家改造に關心を有し私心無き者に限る。


  三月事件=未發に終つた プロヌンシアミエント ( 宣言 )

      將校團が一致して政權に要求を突付けること。我國では 「 強訴 」 といふ。

  滿洲事變=國内改造と並行してゐた滿蒙問題解決

  十月事件=クーデター ( 二二六事件より大規模 )



伊原註:長くなりさうなので、今回はひとまづここで打切り、あとは 「 續編 」 にします。


( 平成22.3.14記 )