> コラム > 伊原吉之助教授の読書室
伊原註:以下は、 『 関西師友 』 2月號掲載の 「 世界の話題 」 ( 242 ) です。
増補してあります。
馬英九國民黨政權の退潮
選舉の“常勝者" 馬英九
台灣と韓國の政治情勢に並行現象を見る、以下のやうな見方があります。
社民リベラル政權 → 保守回歸
台灣:陳水扁民進黨政權 → 馬英九中國國民黨政權
韓國:盧武鉉民主黨政權 → 李明博ハンナラ黨政權
私には寧ろ、台灣の有權者の選擇と、日本の有權者の選擇の間の共通現象に見えます。
2008年 1月の台灣の國會選舉 ( 國民黨壓勝 ) ・ 3月の馬英九國民黨候補の壓勝
2009年 8月の日本の小澤一郎民主黨政權の壓勝
並行現象 1 ) 政權黨への愛想づかし。愛想づかしの理由=メディアの操作にのせられた。
並行現象 2 ) 媚中政權の登場
並行現象 3 ) 背後に中共の 「 第一列島線 」 懷柔の統一戰線工作あり。
ところが先行した馬政權が傾き始めました。
台灣人が對中急接近を嫌ひ始めたのです。
媚中への危惧からの反撥です。
では日本人は民主黨の媚中にどう反應するのでせう?
馬英九は、マスメディアを握る 「 中國國民黨 」 在台シナ人勢力が育てたタレントの二代目です。
李登輝が蒋經國の後を繼いだ九十年代、台灣人總統の登場を牽制するため、“統一派メディア" は、趙少康といふ有望な若手立法委員を始終テレビ畫面に出して人氣を煽りました。
しかし、趙少康は汚職で自滅します。
この趙少康の跡繼に仕立てられたのが、馬英九です。
ランニングシャツと短パンツでジョギングするイケメン馬英九の人氣は絶大で、特に中年のおばちゃん層の人氣を獨り占めにしたと言はれます。
だから、台北市長として市民の壓倒的支持があつた陳水扁の再選を、見事、阻みました。*
*1998.12.5 實施の台北市長選舉の得票率は以下の通り。
馬英九 ( 國民黨 ) 51.13 %
陳水扁 ( 民進黨 ) 45.91 %
王建● ( 新 黨 ) 2.97 % ( ●=火宣 )
斯くて 「 台北市長再任 」 の願を阻止された陳水扁は、 「 台北市民から市長の實績を高く
評價されてゐたのに、選舉で落ちるとはどういふことか! 」 と嘆きましたが、馬英九の
テレビ人氣には叶はなかつたのです。
これで民進黨は、馬英九には絶對勝てぬと思ひ知つたのです。
馬英九はその後、ろくな業績もない儘、テレビ人氣だけで台北市長に再任し、先輩である連戰を押し退けて國民黨主席になり、總統選まで壓勝し續けました。
總統就任後の“陰り"
馬英九は指導者として致命的な缺陥があります。
危機に遭ふと閉籠る。機轉が利かず、論爭に弱い。
彼が出來るのは練習を積んだ演技だけです。
台北市長時代に閉籠りの前例があります。
當時、取材していた記者から直接聞いた話です。
2003年に中國發で台灣でも猛威をふるつた新型肺炎SARS對應で、馬英九台北市長は一番肝腎な時に一週間姿を消しました。
台灣のSARS事件で最大の危機は、和平病院を封鎖した時です。
「 それまでちよろちよろテレビに出て、予防對策だの何だのと言つてゐた馬市長が、突然行方不明になり、姿を消しました 」 と。
完全防備の台北市衛生局長 ( 女性 ) が ハンドマイク で病院に向つて
「 外に出ないで下さい 」
と叫び、病院の裏口からは看護婦たちが逃げ出したり、
病院の窓からSOSの垂幕を掲げたりといふ混亂状態。
指導者なら、こういふ時こそ姿を見せて陣頭指揮すべき筈なのに!
この翌日か翌々日、和平病院にゐた患者・見舞客・職員らが、隔離のため、三軍病院など、他の病院に移されることになり、バスで運ばれました。
三軍病院にバスが到着すると──
なんと、そこに馬市長が入口に居り、手を振つて出迎へました。
このとき、バスで運ばれた 「 被災者たち 」 は、一週間、病室をホテル代りにして何もなければ出られると判つてゐた。
だから、馬市長を罵倒することもなく、冷やかな目で眺めただけで収まつたと──
要するに、馬英九は緊急事態に對應できないのです。
この缺陥が昨夏2008年 8月の水害で再現し、 「 救災活動の遲れ 」 が非難の的となりました。
胡錦濤が側近に 「 馬英九は大丈夫なのかなあ? 」 と連發したさうです。
胡錦濤は、馬英九國民黨政權と統一協定を結んで台灣を併呑するつもりなので、
馬英九がそういふ大事な仕事が出來る男かどうか、頼りなく思つたのです。
この救災不手際で馬英九總統の支持率が急落し、 「 選擧常勝 」 實績に陰りが出ます。
伊原追記:實はもう一つ、米國牛肉輸入解禁事件の失敗があります。
與黨の立法委員まで輸入反對に回るほど、馬英九と總統府が孤立した事件です。
しかし、それを述べてゐると長くなるので、今回は省略します。
馬英九の 「 選舉常勝 」 の陰りを證明する 「 選舉結果 」 が五つあります。
( 1 ) 去年 8月31日の花蓮縣長候補を決める黨内選擧 ( 電話投票 )
馬英九が推した葉金川 ( 前衛生署長 ) が杜麗華 ( 縣政府参議 ) に敗れた。
葉金川は、台北副市長・總統府副秘書長を務めた馬英九の側近です。
( 2 ) 去年 9月26日の立法委員補缺選舉 ( 雲林縣第二選擧區 )
民進黨候補が得票率を前回の 38%餘から 58.81% に伸ばして當選した。
落選した國民黨の候補は、馬英九のお聲懸かりで出馬した落下傘候補でした。
( 3 ) 去年 9月26日の澎湖諸島のカジノ建設の可否を問ふ公民投票
觀光産業で生きる澎湖諸島にカジノを開設し、シナ人を呼び込む目論見です。
事前に六四で賛成多數と豫想されましたが、投票結果は次の通り。
賛成 43.56% /反對 56.44%
( 4 ) 去年12月 5日の縣市長選擧 ( 後述 )
( 5 ) 今年 1月 9日の立法委員補缺選擧 ( 後述 )
これで、野黨民進黨に復活の兆しが出て來ました。
縣市長選では、17縣市長中、
前回:國民黨14縣市・民進黨3縣 → 今回:國民黨12縣市・民進黨4縣・無所屬1縣
議席の變化は僅かながら、國・民兩黨の得票率が,大きく接近したのです。
前回:9ポイント差 → 今回:2.5 ポイント差
底流を察知した内外メディアは軒並み 「 國民黨大敗、民進黨小勝 」 と判定します。
中でも國民黨法統派の新聞 『 聯合報 』 の危機感が凄まじい。
「 馬英九の失政が招いた結果である。國民黨が駝鳥や亀宜しく反省せねば、
「 來年の五大直轄市長選舉で更に負け、馬英九の總統再選は絶望的となる 」
馬英九の集票力の陰りは、民進黨が三議席全勝した 1月 9日の立法委員補缺選擧で一層顯著です。
これで民進黨は27議席の劣勢を30議席にし、定員 113議席の立法院で 4分の1 を上回り、總統罷免・憲法改正が提案できるやうになりました。
( といふより、國民黨の憲法改惡を阻止できるやうになつた )
この三議席は、國民黨の立法委員が買収で當選無效の判決を受けての補選です。
桃園と台中では民進黨の元候補が當選、台東では緑陣營史上初の當選でした。
國民黨全滅の主因は 「 馬政權の失政 」 といふ 「 大環境の不利 」 だとされます。
つまり、野黨民進黨の魅力といふより、與黨國民黨の 「 敵失 」 が主因なのです。
2月末には、更に四議席の立法委員補選があります。
これは縣市長に轉出した立法委員 ( 國3民1 ) の補選です。
そして年末の五大直轄市長選。
これまで台北・高雄の二つだった直轄市が、新規昇格した新北 ( 台北縣 ) ・台中 ( 市+縣 ) ・台南 ( 市+縣 ) を加へて五都になりました。
直轄市の市長は閣僚級で、閣議にも列席します。
台灣の選舉は活性化中です。
( 2010.1.13/2.5 加筆 )