明治維新を導いた大思想家

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伊原註:下記は 『 關西師友 』 平成21年12月號掲載の 「 世界の話題 ( 240 ) 」 です。

      「 読書室 」 掲載に當り、少し増補してあります。






 明治維新を導いた大思想家


        先進思想家・横井小楠


  東大教授山内昌之が 「 幕末から學ぶ現在 」 を 『 産經新聞 』 に連載してゐます。

  平成21年11月5日に載ったのが、第35回 「 横井小楠 」 です。

  これを讀んで俄に 「 明治維新を導いた大思想家 」 横井小楠について一言したくなりました。


  横井小楠、實名時存 ( ときあり ) 、通稱平四郎、小楠は號です。號の由來は小楠公に由來すると言われますが、私は、大楠公を尊敬していた平四郎が、大楠公にあやかりたいとの意を 「 小 」 楠に籠めたのではないかと想像してゐます。

  文化6年 ( 1809 ) 8月16日、肥後 ( 熊本城下内坪井町、現在熊本中央高校敷地内 ) に生れ、明治2年 ( 1869 ) 1月5日、61歳で暗殺された儒學者です。

  朱子學を學び 「 實學 」 を唱へます。

  「 實學 」 とは多義的な言葉ですが、ここでは、修身齊家治國平天下を實踐することを言ひます。

  朱子學徒の多くが訓詁解釋學に走つて 「 實踐 」 を忘れ、 「 實踐 」 に努めた學徒も多くは 「 修身 」 の域に留まり、平天下に及ばなかつたのに反撥して、平天下まで貫かうとしたことを言ふのです。


  彼の基本發想は公私の判斷です。

  藩政改革は 「 公 」 、即ち民を含む共同體の共存共榮であるべきなのに、多くの場合、改革は民を搾取して藩を潤します。

  こんな藩益中心の 「 私 」 はいけないと批判したため、地元熊本藩で嫌はれ、徹底的に冷遇されます。

  しかし鄭重に迎へられた越前福井藩では藩政改革を指導して、見事成功しました。


  福井藩の殖産興業策の成功は、藩札の正貨兌換を保障して生産者の儲けを保證したことが大きい。

  藩札が紙切れではなく正價の裏付けありと知つた生産者は喜んでせつせと働き、その結果、藩財政も潤ひました。

  政策提言能力があり、成果を生んだといふ點で、横井小楠は江戸期の儒學者中、稀有の存在です。


  福井藩の藩政改革への提言 「 國是三論 」 ( 萬延元年/60年 ) 、井伊直弼の死後、幕府の政治總裁に迎へられた松平慶永のために幕政改革案を書いた 「 國是七條 」 ( 參勤交代の廢止、公義政體論など。將軍家茂の上洛がこの提言で決る ) 、大政奉還後の新政の基本方針を松平春嶽に進言した 「 國是十二條 」 などが、横井小楠の政策提言の主なものです。


  坂本龍馬の 「 船中八策 」 や後藤象二郎の大政奉還論、由利公正の 「 五箇條の誓文 」 や太政官札の發行など、全て横井小楠の發想が淵源です。


      無道の國とは結ぶな


  横井小楠は、儒教を學んで實に柔軟且つ現實的な發想をしました。

  早くから開國論を唱へながら、必要に應じて破約攘夷論に早變りする。

  變つた途端、 「 破約 」 が條約締結國の道義的破綻に通ずると悟つて忽ち條約嚴守論に戻ります。


  横井小楠に 「 夷虜應接大意 」 といふ著作があります。

  ペリー來寇直後に長崎に來たロシヤ使節プチャーチンと應接する川路聖謨に與へた書簡です。

  この中で曰く、世界に有道 ( うどう ) の國と無道の國がある。

  日本は有道の國と積極的に國交を結び、無道の國とは絶對に和を結ぶなと。


  そして、横井小楠の當面の課題は、日本を有道の國、有徳の國にすることでした。

  無道の國との軋轢に備へて富國強兵を説き、日本を有徳の國にするため 「 民の聲を聴け 」 と説きました。そして民が勤勉の成果を得られるやうな有徳の國に日本がなれば、天下無敵です。


  横井小楠は 「 討幕の思想家 」 ではありません。

  彼の判斷基準は 「 公私の論理 」 です。

  「 藩財政のための改革 」 は 「 私 」 の政治、 「 民を安居樂行させて藩財政も改善する 」 のが 「 公 」 の政治だと。

  そして、幕府が民との共存共榮を圖る有徳の政治を行へば天下の爲になるから肯定するが、幕府の存續しか考へぬなら、私益ののさばりだから批判するのです。

  横井小楠が、地元熊本藩で嫌はれたのは、熊本藩の 「 私の政治 」 を批判したからです。


  横井小楠のこの論理は、今も有效です。


  政治家でも政黨でも、私益優先か公益優先かで善惡を判斷できます。

  世界各國も、この基準で善惡を判斷できます。

  國民の利益を配慮する有道の國か、政權の私益を優先する無道の國かどうか。


  勝海舟曰く ( 『 氷川清話 』 講談社學術文庫、2000.12.10,68頁 )

  「 俺は今迄に天下で恐しい者を二人見た。横井小楠と西郷南洲だ。

  「 横井は、西洋の事も別に澤山は知らず、俺が教へてやつた位だが、その思想の高調子な事は俺など梯子を掛けても及ばぬと思つた事が屡あつたヨ。

  「 俺は秘かに思つたのサ。横井は、自分に仕事をする人ではないけれど、もし横井の言を用ゐる人が世の中にあつたら、それこそ由々しき大事だと思つたのサ。

  「 その後、西郷と面會したら、その意見や議論は、寧ろ俺の方が優るほどだツたけれども、所謂天下の大事を負擔する者は、果して西郷ではあるまいかと、また秘かに恐れたよ。

  「 そこで俺は幕府の閣老に向つて、天下にこの二人があるから、その行末に注意なされと進言しておいたところが、その後、閣老は俺に、その方の眼鏡も大分間違つた、横井は何かの申分で蟄居を申付けられ、また西郷は、漸く御用人の職であつて、家老などといふ重き身分でないから、迚も何事も出來まいといつた。

  「 けれども俺はなほ、横井の思想を西郷の手で行はれたら最早それ迄だと心配して居たに、果して西郷は出て來たワイ 」


  横井小楠の大きさは、後代に理解されてゐません。

  吉田松陰は、討幕の人材は育てましたが、明治新政の構想に及んでゐません。

  横井小楠の思想は新政構築の大構想なのです。

  それも、今なお新鮮で前途を照らす大思想です。

  皆さん、ぜひ横井小楠の傳記を御覧下さい。


  横井小楠の傳記で優れているのは、思想史的にきちんと押さえてゐる松浦玲のものです。

  中央公論社の 「 日本の名著 ( 30 ) 」 『 佐久間象山・横井小楠 』 ( 昭和45.7.10 ) の冒頭の解説 「 理想の行方──思想は政治となり得るのか 」 が象山と比較しつつ横井小楠の思想の特徴を描いてゐて出色です。

  その後、朝日評傳選8として 『 横井小楠 』 ( 朝日新聞社、昭和51.2.15 ) が出、それが復刻増補されて出たのが 『 横井小楠 儒學的正義とは何か 』 ( 朝日選書 645, 2000.2.25 ) です。

  以上3冊中のどれか一冊をお讀みになることをお勸めします。

( 2009.11.6/2010.1.16補筆 )