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伊原註:下記は、10月23日の21世紀日亞協会第155回の報告 「 シナに仕へる馬政權 」 で觸れた
王崑義の第二評論です。
台灣を考へる際のご参考までに掲載します。
王 崑 義
( 台灣戰略學會秘書長・教授 )
「 從馬英九這個人
談馬系班與新系班的政治賽局 」
「 馬英九の人柄から、中國國民黨の馬英九グループと民主進歩黨の新潮流グループの政治對決を語る 」
出 典:政治解析 『 玉山周報 』 No19/2009.10.15〜21號, 26-27頁
( 1 ) 馬英九、我らが 「 ハーヴァード大學卒の總統 」 は 確かに 「 英明 」 だ。
就任以來一年餘で行政院長の首を一人すげ替へた上、 「 能力 」 抜群で 就任前の聲望 7割 が 「 天怒り人恨む 」 事態を招き 今や 支持率僅か 18% に下落した。
この點、阿扁が初就任した時に比べ、自分の力量不足を嘆くほかない。
( 伊原註:陳水扁が總統に就任した時は、就任後一年餘經つても人氣は餘り落ちなかつた )
現在、縣市長選擧が迫つてゐる。
國民黨は 17縣市中 6縣市で公認候補一本化に失敗、 8人が黨規に反して參選する異常事態となつた。
多くの縣市で參選者が極力馬英九と距離を置きたがつてゐる。
完全に斷絶した譯ではないが、これまで馬英九と誇らしげに並ぶ寫真を選舉に使つてゐた候補者が、今や馬英九敬遠に回つてゐる。
あんな短い間にこれほど多くのことをやつてのけた馬英九とは、一體何者なのか?
慎重にこの問題を考へてみよう。
( 2 ) 宅男總統的心理特質 ( 引籠り總統の心理的特徴 )
馬英九とは一体何者か?
私は これまで兩岸の學者多數にこの問を發したが、適切な回答は殆ど得られなかつた。
馬英九が判りにくいのは、時には頗る開明的、時には頗る保守的で 開明と保守の間に彼の特質を探しても容易に答がみつからぬからである。
この問題につき、2006年に馬英九が旋風を捲起した時、私は一文を草したことがある。
當時、私は 3特徴を擧げた。
第一、新保守主義
第二、 「 反共不反中 」 の理念
第三、國民黨獨裁期の榮光への復歸願望
それから 3年、状況は變つたが、彼の特徴はその儘のやうだ。
( 3 ) 第一の 「 新保守主義 」
馬英九の政治的成長期は、歐米に ネオコン neo-conservatism の動きが起きた1980年代である。
彼も ネオコン の影響を蒙つた。
だから 彼は傳統的倫理道徳を大事にし、家庭を重んじて几帳面に規律を守る。
政治上、民力を重視して政府の關與を排し、自由競爭を主張する。
從つて彼は、既に大權を掌握する身ながら、權力を弄さない。
彼に陰謀は似合はぬのだ。
この ネオコン の 價値觀が 馬英九を第二線に退きたがる 「 引籠り總統 」 にした。
出しやばらず、問題が生ずると 解決に取組む前に謝つてしまふ。
台灣で八八水害發生後、周圍の誰もが緊急命令の發布を求めたが、彼は我道を行く頑固さを貫き、顰蹙を買つた。
世間が彼に軍隊の救災派遣を期待しても、彼はその必要を毫も感じなかつた。
( 4 ) 第二の 「 反共不反中 」 の價値觀
これは蒋經國の直傳と言へる。
蒋家には 「 中國への想ひ 」 があるが、共産黨は不倶戴天の敵。
馬英九の中國觀も 似たやうなもの。
彼にとつて 「 中國 」 とは 「 文化・經濟の中國 」 であつて、政治上の 「 共産中國 」 ではない。
だから 「 中國 」 との交流は文化・經濟面限り。
政治面に觸れぬ譯ではないが、 「 慎重 」 を要し、軽々しく取上げてはならぬ領域なのだ。
こんな 「 引籠り總統 」 が兩岸關係を開放するのは、彼の個性にそぐはない。
民進黨人は馬英九の性格上の限界を見極めた。
だから適度の挑發をして 彼を個性の 「 陥穽 」 に突落したのだ。
これはまた、八八水害前に中國がひたすら馬政權に兩岸の軍事的相互信頼機構の構築と平和協議の調印に向かふやうせつついた理由である。
だが高雄市長陳菊が巧妙に水害を利用してダライ・ラマ來台を求め、馬英九が調子に乘って同意したため、兩岸の 「 政治的相互信頼 」 にブレーキがかかった。
馬英九のこの 「 小細工 」 は兩岸に政治上實に多くの主張を生み出し、途端に狼狽が生じて皆さん、どうしてよいやら判らなくなつた。
( 5 ) 第三は國民黨一黨獨裁當時の榮光への復歸願望である。
過去の 「 台灣の奇跡 」 とは、舊國民黨統治期に彼らが我が世の春を樂しんだことをいふ。
だから 昨年彼は就任するや直ちに劉兆玄ら一群の老官僚を起用し、 「 準備完了 」 と高言して台灣經濟が 「 直ぐ 」 好くなると言ひふらした。
殘念ながら世の中は思ひの儘にならない。
老官僚は百年に一度の グローバル な金融危機に遭遇し、呆然無策、結局中國に經濟の施しを求めるほかなかつた。
これは馬英九が台灣人民に約束した國民黨獨裁期の榮光恢復の期待にそぐはぬものだつたから、馬英九の聲望は急落した。
問題は、中國が台灣に經濟支援をしても、馬英九のこの方面の心理的態度が變らなかつたことである。
從つて中國が台灣に 「 施し 」 をすればするほど、彼は狼狽した。
だから適當な時期に ブレーキ をかけ、彼の心理の反動を抑へる必要があつたのである。
( 6 ) 馬英九的用人哲學 ( 馬英九の人事哲學 )
馬英九の心理意識の背景を知るため、もう一度彼の人事哲學を見てみよう。
ここから彼の 「 引籠り總統 」 の限界が窺へるかも知れない。
昨年就任した時、彼は劉兆玄に組閣させ、今年の八八水害後、呉敦義に取替へた。
これには多くの青陣營の政治人物が驚愕し、 「 なぜあんな奴が? 」 「 なぜあいつでないのか? 」 と訝つた。
ここで先づ 「 なぜあいつでないのか? 」 を見よう。
この命題を理解するため、我々は先づ、馬英九が起用を避ける人事哲學を檢討する。
それは以下の通り。
功績が任命者より高く、魅力が自分を上回る者は使はない。例=台中市長胡志強
意識調査トップ乃至自分より民衆に歡迎される者は使はない。例=新竹市長林政則
自分に代つて責任を負つてくれず、逆に責任を自分に押付ける者は使はない。例=台北市長龍斌
中國との關係良好で北京に氣輕に出入りする者は使はない。例=連戰の三大幕僚、張榮恭・李建榮・鄭麗文
地方派閥と關りの深い者は使はない。例=王金平の仲間や雲林地方派閥の大將許舒博
一度黨に背いた者は使はない。例=親民黨の宋楚瑜、新黨の仲間
曾て自分と爭つたことのある國民黨の政治人物は使はない。例=國民黨立法委員丁守中
以上、馬英九の人事タブー 一覧表から見てとれるのは、青陣營の人材がいかに多士濟々でも、馬英九が登用する段になると支障百出で、凡そ手の中には打つべき カード が一枚もない有樣となる。
これぞ、台灣民衆が國民黨執政にどれほど期待しようと絶對滿たされぬ主因である。
( 7 ) 上述した人材登用 タブー表のほかに、正面から 「 なぜあんな奴が? 」 といふ起用哲學を見て、その中にある問題を考へてみよう。
馬英九の人材起用は全く一面的である。
彼は黨内外で派閥を作らぬ者しか起用しないし、青陣營の黨派間の バランス をとることもしない。
これは 阿扁時代の登用方式の反動なのかも知れない。
阿扁時代は、民進黨内の派閥を操作するため、各天王を順繰りに行政院長に起用した。
その結果、天王間に權力バランス が形成されず、逆に權力鬪爭が激化して最後には施政がお留守になり、民心が離れた。
馬英九は阿扁の人材登用法の問題點を見抜き、就任後、こんな權力均衡人事はするまいと考へた。
そこで青陣營内で實力を持つ派閥の頭目は殆ど一切使はず、學界から人材を起用し、その黨性を嚴しくチェックした。
淡江大學アメリカ研究所教授陳一新ほどの優秀な人材も、曾て國民黨に背いて新黨に走つたため、自分のためには動かぬものと考へて起用しなかつた。
( 8 ) こんな一面的な人事思考をするので、馬英九は今や大權を握りながら、青陣營内の權力は甚だ手薄なのである。
はつきり言へば、一群の 「 馬系集團 」 員が權力ゲーム をやつてゐるだけなのだ。
一旦風波が起きれば、青陣營内で 「 馬系集團 」 員への攻撃が多分、緑陣營からの攻撃以上に激化するだらう。
曾て馬英九の重要幕僚だつた台灣大學哲學系教授林火旺が、テレビで劉兆玄を颱風の最中に白髪染めに行つてゐたと痛撃した。
行政院秘書長薛香川が父親節の御馳走を食べてゐたことも攻撃した。
林火旺の猛攻に、事情を知らぬ人は、林火旺は民進黨員と誤認したが、殘念ながらさうではなかつた。
ここまで來ると、秘話を漏らさねばならなくなる。
八八水害後の内閣改造は、元々小幅な企劃だつた。
だが結局、行政院長劉兆玄が異動する羽目に追込まれた。
その原因は、呉敦義の策動などではなく、林火旺の攻撃が劉兆玄を狙ひ撃ちしたからだ。
かくて元來下が動き上は不動の筈の人事が、馬英九が泣いて馬謖を斬る羽目になり、劉兆玄が辭任し、林火旺は駱駝に載せる最後の一本の藁の役目を擔つたのである。
因に、林火旺と呉敦義は無關係である。
( 9 ) 當然、馬英九はこのあと、呉敦義の起用が適切であつたかどうかを問はれる。
今の所、答は不明の儘だ。
だが呉敦義が就任したその日に被災者を見舞つたことにより、馬英九の呉敦義起用は必ずしも適切と言へぬことが判明した。
なぜなら、呉敦義の見舞劇の ショー は劉兆玄の見舞の時間より長かつたものの、九月になつての被災見舞など 必要ない。
それを彼はやつてのけた。
被災者から抗議の聲が出たのも當然だ。
この點、呉敦義が就任した途端に年末の内閣改造を豫告し、呉伯雄が國民黨秘書長の職務を引繼いだ時、忘れず念を押した。
「 年末の内閣改造をお忘れなく 」
この一言は、呉敦義の年末の行動を豫告してゐるのだらうか?
私は當らずと雖も遠からずと見る。
馬英九が理想とする行政院長の人選は、博士號を持つ 「 高級外省人 」 である。
呉敦義は博士の學位なく、 「 高級外省人 」 でもない。
彼は行政院長は 「 長命百歳 」 だといふが、朱立倫が彼より先に死なぬ限り、彼がお參りされることにならう。
( 10 ) 「 馬系團 」 與 「 新系團 」 鬪爭 ( 「 馬系集團 」 と 「 新潮流系集團 」 の鬪爭 )
馬英九の人事哲學により、青陣營中に逐次 「 馬系集團 」 が形成された。
民進黨はこの集團との鬪爭を考へてゐるが、實は難事でない。
そこで當然、この鬪爭の策略を話す前に、先ず民進黨の目下の人事について見ておかねばならぬ。
昨年の失權以來、民進黨内の新潮流系は阿扁政權の補佐失敗を謝罪して下野することもなく、逆に機に乘じて民進黨の大權を窺ひ、今や殆ど全ての黨支部及び地方行政首長は全て新潮流系が握つてゐる。
だから民進黨の權力は實は、國民黨を 「 馬系集團 」 が握つてゐるのと同樣、全部 「 新系集團 」 が握つてゐる。
從つて今後、兩黨の鬪爭は黨對黨の鬪爭ではなく、 「 派閥 」 と 「 派閥 」 の鬪爭になる。
問題は民進黨の 「 新系集團 」 員は皆、レーニン から 毛澤東に到る鬪爭哲學をマスターしてをり、從つて今後の二 「 派閥 」 間の鬪爭では、 「 馬系集團 」 は 到底 「 新系集團 」 の敵ではないのだ。
例: 「 新系集團 」 の大將陳菊を見よ。
彼女は救災の亂に乘じて ダライ・ラマ に來台慰問を要請した。
「 馬系集團 」 は思はず我を忘れて ダライ の來台に賛成し、北京を怒らせてしまつた。
( 11 ) 事實、民進黨内の 「 新系集團 」 には小賢しいのがごろごろ居て、彼らは北京をからかつては喜んでゐるのだ。
以前、邱義仁の 「 狼煙外交 」 戰略は北京をからかつて樂しむのを事とした。
今の新世代の 「 新系集團 」 員が 集團討議する問題は、いかに國共兩黨の間をひつかき回すかである。
できれば國共兩黨を反目させ、漁夫の利を得る。
だから ダライ 來台に 續いて ラビア を招き、今や法輪功の教主李洪志の招請まで考へてゐる。
( 伊原註:李洪志は既に 「 台灣に行くつもりなし 」 と公表濟 )
民進黨の目的はほかでもなく、ひたすら北京を からかふことである。
北京は 多分、 「 新系集團 」 の惡戲を見抜いてゐるのだらう。
だから ダライ 來台で北京は馬英九を責めず、專ら民進黨を罵つた。
所が 「 新系集團 」 は 北京が民進黨を罵っても氣にしない。
彼らは罵られないと氣に病むのだ。昨年の總統選で北京は全然罵らず、そのため民進黨は得票を大量に失つた。
だから 今年、台灣の縣市長選では、いかに北京にこれまで通り民進黨を罵らせるかが 「 新系集團 」 の最高機密なのだ。
( 12 ) 馬自割傷口 預告呉揆短命? ( 馬英九が自ら傷を負つたのは、呉敦義行政院長の短命を豫告するものか? )
從つて民進黨がいかに馬英九が自分で創つた二つの傷口をいたぶるか、今年、操作される筈の選舉策略は以下の通り。
第一に國共の 「 傷口 」
陳菊が ダライ に來台を求めたあと、國共間に 「 傷口 」 が出來た。
今後、民進黨は引續きこの 「 傷口 」 に 塩を擦り込めばいい。
北京は我慢出來ず、引續き民進黨を罵り續けよう。
これで民進黨は息を吹返す。
民進黨がかうする 「 本 」 =台灣の 『 天下雜誌 』 九月號に載つた意識調査が、その一端を示す。
この調査は、兩岸の經濟貿易往來が一年餘經過した現在 7割以上の台灣民衆が兩岸往來を續ければ、台灣は主權を失ふと懸念してゐることを示してゐる。
だから民進黨が國共の 「 傷口 」 に塩を擦り込めば、民進黨は 「 主權 」 の守護者として有權者の心を獲得できるのである。
第二に青陣營の 「 傷口 」
「 馬系集團 」 が雛形を出して以來、青陣營の有志が大勢 「 落胆 」 した。
これは胡志強の發言だが、胡志強が敢へて口にしたのは青陣營内の多數者の思ひを代辯したのである。
青陣營人士と 「 馬系集團 」 間の 「 傷口 」 は多分、呉敦義の就任で顯在化した。
この氣分は、大陸委員會主任委員頼幸媛が居坐つて辭任しなかつたあと、徐々に醸成された模様。
この 「 傷口 」 は、年末の縣市長選でどれだけの青陣營人士が馬英九の支援を求めるかに始り、人の縁が薄い呉敦義が選舉でどれだけ動くかに到る。
恐らく人々にはよく判つてゐるのだらう。
國民黨が大敗すれば、人心は呉敦義の辭任を求める。
だから 呉敦義は 年末の内閣改造を豫告した。
呉敦義の短命は豫告濟なのか?
皆さん、刮目して御覧じろ!
( 13 ) 人は よく 「 人生無常 」 といふが、政治は人生より無常だ。
劉兆玄が辭任したのはさつぱり譯が判らない。これは無常だ!
呉敦義の就任は豫想外の出來事で、これまた無常!
陳菊が 5月に北京に行つて 「 親善 」 し、8月にはがらりと態度を變へて ダライ を招請した。これも無常!
馬英九は一年といはず、多年、兩岸の 「 和平發展 」 を心掛けて來たが、無理をして ダライの來台に同意した。これまた無常!
台灣にはかくも多くの政治無常がある。
馬英九は民意の壓力があつて 「 無常 」 になれぬと斷言できる者が居るだらうか。
多くの無常の下、我々は虚心坦懐に台灣の政治演義が今後どう演じられるか見續けようではないか!