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曹 長青
「 中國の國慶大閲兵の假想敵は誰か 」
曹長青 「 中國大閲兵 假想敵是誰 」 ( 星期專欄 『 自由時報 』 10.4,4面 )
中國は 10.1 の國慶節に大閲兵をやり、國際的な注目を浴びた。
だが米國の二大有線テレビの報道は、左翼の CNN も 右派の FOX も 皮肉な調子で一貫してゐた。
「 中共 」 Communist Chinaと呼捨て、北京の國慶閲兵を北朝鮮軍人の整列行進並に扱つた。
なぜなら、極權國家は人民に自由がない社會、その舉行する閲兵式には暴力の展示あるのみ、專制力の誇示あるのみだからだ。
米國の某コラムニスト曰く、中國人は大閲兵で國慶を祝ふが、これは米國と全く異る。
米國では國慶日に閲兵などしない。
米國の國慶は 「 獨立記念日 」 であり、英國の統治終結を強調し、 「 新國家 」 建國の歡びを誇る。
米國の獨立記念日は大パーティ であり、誰でも參加できる。
人々は内心の歡びから大集會に參加する。
中國の國慶は少數者の ショー であり演出である。
參加者は嚴しい選擇と訓練を經て登場する。
それを見る觀客も特に許された者だけだ。普通の民衆は閲兵廣場に入ることさへ許されぬと。
武力犯台 對抗美國 ( 對台武力侵攻して米國と對抗する )
中國の大閲兵は、實は西側諸國への警告なのだ。
歴史の教訓によれば、獨裁國が軍事力を持てば世界に脅威を及ぼす。
その昔、同じやうに武器をひけらかし旗幟を靡かせ軍人が行進した ナツィス・ドイツ は 軍事力を誇示したあと、世界に戰爭を齎した。
CNN の 軍事專門家は北京の大閲兵を評してこう強調した。
米國國防長官ゲーツは最近、中國の軍事豫算の大幅増加に對し、軍事の不透明さや國慶節の大閲兵に對し、過去10年みられなかつた嚴しい批判を加へた。
今回の北京大閲兵は又もや、中國が攻撃的武器を蓄へ、米國のアジア太平洋地域に於る軍事力に對する挑戰を企ててゐることを證明するものだと。
米國内では、中國の軍事的興隆が米國の アジア太平洋戰略利益に對する脅威だとの聲が強い。
オバマ 就任後、いろいろ政策調整が成されたが、米國の軍事戰略の重心が歐洲からアジアに移つたのは別に重大な變化ではない。
今回の北京の大閲兵は、ペンタゴンに中國の軍事擴張を防ぎ封じ込めるための多くの 「 理由 」 を提供した。
中國はなぜ米國を假想敵にせねばならぬのか?
アジアに於る戰略的主導權奪回のほか、もつと主要な目的がある。
それは、對台武力侵攻を準備し、米國が干渉した時に米軍と交戰するためである。
ここから、馬政權がいかに各方面で 「 休戰 」 を稱へようと、ないものねだりに過ぎぬことが判明する。
中國は軍事費の二桁成長を續け、台灣に照準を合せた ミサイル を 全然減らしてゐない。
北京の閲兵は台灣に、馬政權の全面 「 休戰 」 が全面投降に等しいことを告げてゐる。
北京は對台武力侵攻準備を控へるどころか、歩調を加速し強度を増進してゐるのだ。
群體名義 極權統治 ( 集團を名目に全體主義統治 )
米國と台灣を假想敵にするほかに、北京の閲兵にはもう一つ、目的がある。
國力國威をひけらかして中國人に民族主義を植付け煽動することである。
世界史上、あらゆる獨裁政權は民族の熱狂を基礎にしてきた。
中共の今回の大閲兵は、北京五輪の開幕式同樣、元手を惜しまず、巨大な財力人力を注込み、きんきらきんの輝きを演出した。
整然たる行進・揃つた歩調・一律な手の動きが言はず語らずのうちに統一指揮・統一行動・統一思想に基く集團主義の價値觀を示し、最終的に集團を名目にした全體主義統治を注入するのである。
中華民國は獨裁の兩蔣時代にこの種の大閲兵をやつた。
その目的は中共同樣、專制統治の權威強化にあった。
台灣は暫く前、高雄・台北で世界運動會 ( ワールドゲームズ ) を舉行したが、二つの開幕式では共に個人の自由な精神を高く掲げ、國家や集團を表に出さなかつた。
だが中國の オリンピック開幕式も 今回の大閲兵も 主軸は國家主義・集團主義・民族主義の宣揚である。
これは正に あらゆる獨裁政治を支える三本足なのだ。
木然呆板 〈糸邦〉去刑場 ( ぼんやり突立ち、處刑前の引回しみたい )
五輪開幕式から今回の大閲兵まで共産黨が極力演出してきたもの──
泰山に頭を押さへつけられるやうな壓倒的な集團の壓力
絶對挑戰を受付けぬ秩序
個人を寒くもないのに震へあがらせる無法ぶり
うんと誇張されたもの──
天下の至聖孔子樣
民族の榮光
黨國の威嚴
こんな世界では、個人の存在も個性の聲も個人の自由も、全て集團の中に埋没し、一黒點・一符號・一抽象數字と化す。
だが今や インターネット を 操る コンピューター時代。
共産黨のこんな子供騙しの宣傳手法が通用するのか?
北京の大閲兵後、中國の ネット では既に少なからぬ皮肉な批判が出てゐる。
中國人はさう簡単に恐れ入らぬやうだ。中國民衆は はっきりお見通しなのだ。
今回の閲兵でも、軍隊は黨軍に過ぎず、スローガン は 全て 「 黨への忠誠 」 だと。
胡錦濤はさながら木偶の如く無表情。
何分か置きに唱へられたスローガンは、歴代中共指導者が唱へて來た 「 同志よ 今日は! 同志よ ご苦勞さん 」 のほかに變り映えのする新文句は全然出て來なかつた。
胡錦濤は 「 プロレタリアート の 老革命家 」 を演じて見せただけじゃないか。
道理で、ある中國觀衆曰く、胡錦濤は 「 ぼんやり突つ立つてゐる間抜け 」
「 まるで縛られて刑場で處決する前に街中を引回される囚人みたいだつた 」 と。
騙台灣 「 假中國人 」 ( 台灣の 「 贋中國人 」 を騙す )
また別の中國民衆が ネット でいふには、閲兵の行進も花で飾つた山車も大砲戰車の行進も、新年のお祭の花車の行進みたいだ。
華やかだが、作り物の虚しさを感ずる。
女民兵大隊が太股を丸出しにした赤い ミニスカート 姿で 自動小銃を持つて歩いてゐたが、まるで木偶の人形兵・武裝した チアガール隊の行進みたいだつたと。
さらに曰く、實は、もう少し汚職腐敗を減らして人民に安居樂業させてくれた方が、こんな物々しい武裝行列の閲兵より遙かに好ましいのにと。
國防は人心に在って武器にはない。
人心を得なければ、幾百萬の大軍も、多くの核兵器も役立たぬ。
宣傳で騙しても一時的、海外を騙せても、同じ大陸内で暮す廣大な民衆は騙せない。
こういふ中國の普通の民衆の實感と批評は、台灣の統一派メディアが北京閲兵を傳へるはしゃぎぶりと著しい對照を成す。
共産黨は中國人は騙せなかつたが、台灣の 「 贋中國人 」 は見事騙しおおせた。
これは全く絶妙且つ興味駸々たる現象である。