曹長青 「 不要第二次受騙 」 ( 二度も騙されてはならない )

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伊原:またまた、台灣の新聞の評論文の紹介です。

   外から見ると、台灣人が陥つてゐる窮状はよく判るのに、中に居ると氣付かぬのでせうか。

   台灣人で危機感を持つ人は、一部の文筆家だけのやうです。

   台灣人の多くは、お金と技術を持つて大陸に出掛け、 「 儲ける 」 つもりらしい。

   低信用社會・無法社會で金儲けなど出來ませうか?


   實は日本人も戰後、國家の維持運營を怠り、國防・治安・教育で手抜きして來ました。

   今、そのツケが各所に出始めて居ます。日本人も危機感を持ちませんねえ……。

   日本の 「 國防 」 「 治安 」 「 教育 」 の是正・擴充は喫緊の急務ですよ!





 曹長青 「 不要第二次受騙 」

         ( 二度も騙されてはならない )


         ( 星期專論/台灣 『 自由時報 』 7. 5, 4面 )



( 1 ) 今日、台灣の現状は憂慮に堪へない。

  馬政權は全面傾中し、誰の目にも明かに 「 終極統一 」 に向けて着々と歩行中だ。

  まるで サッカーゲームみたい。

  馬集團は ひたすらボール を 前へ前へと運んでゐる。

  都合のよい位置に來たら一蹴りで 「 統一 」 ゲート へ蹴り込む勢ひ。


  台灣人が今、強く阻止しないと 「 球 」 が ゲート 前に 据ゑられてからでは、幾ら騒いでも手遲れ。


( 2 ) 中國經濟が發展し國際的地位が向上してゐるのに合せ、馬政權は兩岸協力の利益なるものを掲げて台灣人に中國を受入れるよう誘惑した。

  緑陣營人まで慌てて中國朝貢に走る始末。

  さる政治人物曰く、台灣と中國は友人だと。

  千基もの ミサイル の 照準を台灣につける國が 「 友人 」 とは恐れ入る。

  これで多くの台灣人エリートが專制中國の本質に疎い實情が判る。


( 3 ) 菁英熱誠換來的是屠殺 ( 台灣人エリートの中國熱は、虐殺で報いられた )

  この認識不足は當時、台灣に巨大な災難を及ぼした。

  前車が覆つた教訓を忘れてはならない。


  1945年に第二次世界大戰が終つて日本が降伏した時、台灣は獨立か自治に入る千載一遇の好機だつた。

  台灣では日本の行政機構が運營を停止し ( 伊原註:止らなかつた ) 、中國國民黨の軍隊はまだ來台しない50餘日の政治的空白期があつた。

  この 1ヶ月半といふ長い期間に、台灣人は自治政府を作るか、獨立を宣言するかすれば良かつた。

  彼らは自治能力が完全にあつたし、當時自發的に設立された郷紳委員會などは台灣を秩序整然と管理し、何の騒ぎもごたごたも起さなかつた。


( 4 ) 李筱峰先生の著書 『 解讀二二八 』 によると──

  當時多くの台灣エリートは完全に中國幻想に取込まれ、獨立の努力をせず。

  逆に 「 國民政府歡迎準備會 」 を組織し、 「 台灣に光甦り、全島擧げて歡びに沸騰 」 と言ひ合つて舞上がつた。

  當時、台灣で初めて開催された雙十國慶節に參加した台南の文學家、呉新榮醫師は、その感激をかう話してゐる。

  「 この瞬間、私達は感激の餘り涙を流しました。

  「 一生のうちに台灣に光が甦り、私達が中國人になれるなど思つてもみなかつたからです 」


  正にこの心情の下に、中國國民黨軍の來台を台灣の作家呉濁流はかう描いた。

  「 歡迎ぶりは大變なものだつた。軍隊が通る道の兩側は黒山の人垣で埋まつた 」


  しかし 台灣人、とりわけ知識エリートの 滿腔の熱誠は、二二八事件の殺戮で報いられた。


  多くの台灣籍の知識分子は、醫者であれ教授であれ、はたまた辯護士・編集者・畫家・牧師であれ、片つ端から殺された。

「 國民政府歡迎準備會 」 の台灣エリートも難を免れなかつた。


( 5 ) 爲身上華人血統感到可恥 ( 我が身にシナ人の血が流れてゐるのは恥かしいことだ )

  前總統府資政彭明敏は回想録 『 自由的滋味 』 にかう書いてゐる。

  彼の父は高雄の 「 國民政府歡迎準備會 」 主席であり、高雄参議會の議長にも當選したが、それでも逮捕拘束された。

  國民黨警備總司令部の參謀長柯遠芬はかう豪語した。

  「 99人の無實の者を殺しても、只一人の本物を殺すためなら問題なし 」

  だから國民黨の軍隊は機關銃で開會中の高雄市議會を掃射したのだ。

  かくて無數の台灣エリート青年が殺された。

  台灣人を代表して國民黨軍を埠頭に出迎えた彭明敏の父は、生き長らへはしたものの、自宅に戻つたあと二日間、一粒の飯も口にしなかつた。

  國民黨を歡迎し、台灣人が祖國に復歸したといふ理想が完全に破綻し、政治にも中國人にも徹底的に絶望したのである。

  彭明敏先生はかう書く。

  彼の父は

  「 中國人の血統に繋がつてゐることを恥じ、子孫は外國人と結婚して子孫に中國人と言はなくて濟むやうにして欲しい 」

  ──とまで望んだのである。


( 6 ) 台南人最有政治熱情 ( 台南人は政治への熱情が一番高い )

  當時、台灣には50日の 「 政治空白期 」 があつた。

  台灣人は空前の政治參加の情熱と能力を發揮した。

  1946年に郷鎭の市民代表の初めての選舉が行はれた時、

  二重の審査を通つた者 3萬7000人弱。

  定員30名の省參議員に立候補した者實に1200人

  中でも台南人は最も政治情熱あり、定員 4名に 480人餘が立候補した 。


  當時の台灣──

    教育・農業・工業・法治などの各方面で中國より遙に水準高く、

    一人當り電力量は中國の50倍、

    工業化の程度も相當なもので、

    法治と文明の水準の高さは、夜、戸締りしなくても安心して寝られた程である。


( 7 ) 萬事備はつてゐた。

  但し、日本の著名な國際法專門家、前國連司法裁判所判事の小田滋曰く──

  ( 自著 『 主權獨立國家的 「 台灣 」 』 で )


  當時 「 獨立した台灣國 」 を建國するのは不可能ではなかつたが、

  台灣には國際社會に獨立を主張できる卓越した政治家が居なかつた──と。


  日本の植民地統治は 「 中國を懐かしむ 」 感情を育て、

  そのため台灣エリート青年に 「 身分認定 」 ( identity ) 上の惑ひを生み、

  その結果台灣は、獨立乃至自治を唱へる歴史的機會を失つた、のである。

  更に、これら台灣エリートに 大量殺戮の禍まで招いてしまつた。


  NY タイムズ の 當時の報道によれば──

  二二八事件で 當時台灣に滞在してゐた 「 外國人の推計によれば、殺された台灣人は 1萬人に達する 」 と。


( 8 ) 認同困惑將帶來災難 ( 今日、台灣はまたもや歴史的時刻を迎へてゐる )

  國民黨は聯共制台 ( 中共と聯繋して台灣を統制 ) するため、爭つて中國に朝貢してゐる。

  馬英九一派が聯共制台したいと考へるのは不思議でも何でもない。

  だつて彼らは、あの二二八で台灣エリートを殺戮した國民黨の繼承者なんだから。


  馬政權は 「 台灣民主紀念館 」 を 「 中正紀念堂 」 に戻すべきだとしてゐる。

  こんな、二二八事件の 「 直接の責任者 」 である獨裁者蒋介石を露骨に稱へる遣り方は、

  彼らこそ二二八の大量殺戮を惹起した當時の國民黨の正統な後繼者であることを、

  紛ふ方なくはつきり示してゐる。


( 9 ) もし緑陣營の目ぼしい指導者が、

  今の共産黨が天安門殺戮當時の共産黨とは違ふと認めたり、

  今の國民黨が二二八の台灣人殺戮をやつた國民黨の繼承者ではないと認めたりするやうでは、

  中國に朝貢に行くことの實質的危害など、判りつこない。

  それが台灣にどれほどの危害を及ぼすかが目にとまるまい。


  60年前に台灣エリートが identity に惑つたため、台灣は歴史的好機をみすみす喪つた。

  今また、折角の機會を見送ることになるのか?