> コラム > 伊原吉之助教授の読書室
紹 介:
日下公人×石平
『 中國の崩壞が始まった! 』
( WAC,2008.6.28 ) 933圓+税
二人の中國通の、密度の高い中國論です。
頗る大事な指摘があり、日本人必讀の文獻です。特に中國人と付合のある人には。
石平さんは、中國で古典を學んだあと、文革體驗を通じて中國の深い闇を體得し、日本へ來てシナの古典が理想とした自然と調和した和の世界が日本に現存してゐるのを見て感激し、日本に歸化します。
日下公人さんは、私と同じ1930年 ( 昭和 5年 ) 生れの神戸人。常識豐かで智慧がある人。
本書の主題 「 中國 」 については、中國人相手の ビジネス をちやんとこなした實績がある稀有の人です。
のつけから 「 中國人は外交が下手 」 といふ、常識と反對の話になります ( 17頁 ) 。
全く、江澤民世代以降、中國は居丈高な強面に出るだけの外交下手になりました。
外交下手の證據に、江澤民時代以降、日本人の中國嫌ひがうんと殖えました。
周恩來は例外だつたのでせうかね。
本文では、周恩來は日本の凄さを知つてゐたから、日本懐柔に動いたのだとあります。
こんな、力を誇示する能力しかない中國が、空母まで建造しようといふのですから、狂ひに刃物、と言ひたくなります。
中國人に 「 對話の精神なし。獨善そのもの 」 ( 日下 )
石平さんは 「 北京でやるのは五輪ではなく、北京を中心とする一輪だけ 」 と應ずる。
「 北京一輪 」 とは面白い、と日下さん。
日本人にしか判らない日本人のメツセージ:
石平さんは、福田首相が毒入り餃子事件について 「 シナの姿勢が非常に前向き 」 と言つたのを 「 大馬鹿 」 と罵倒します。
日下さんの解説= 「 あれは 『 暫く時間を與へるから前向きに變りなさい 』 と言つたの 」
石平さん= 「 日本人には判つても、胡錦濤には絶對判りませんよ 」
「 日本の総理大臣がこれほどの馬鹿なら、幾らなめてかかつても大丈夫と喜ぶだけです 」
日本語の微妙さが、日本の國益を損つてゐるのです。
日本人と中國人の行違ひ:
日下さん曰く、日本は明治時代にシナに期待した。
「 白人のアジア侵略に對抗して一緒に戰はう 」
「 戰友にならう 」
しかし、それを蔣介石が裏切つたので、日本は夢から醒めた。
戰後、田中角榮以降、中國との付合が復活してからの日本人の感情:
「 中國人は貧乏で可哀相だ。手傳ふから働きなさい 」
倉敷レーヨンの大原さんが、特許を棚上げにして中國にビニロン工場をつくり、衣服を提供した。
しかし、その日本人の好意に、中國人はちつとも感謝しない。
日本人は思ひ遣りの氣持でずつと中國の建設を支援して來たのだが、 「 何れ判つてくれるだらう 」 といふ日本人の期待は裏切られつ放しで、日本人の日中親善感情は滿たされなかつた。
文革のあと、中國人留學生がどつと日本に來た。日本人は親切に應對した。
彼等は日本人がなぜこんなに親切なのか、不思議でならない。
そこで尋ねると、日本人は 「 可哀相だから 」 といふと相手を傷つけると思ふから、 「 昔、シナに惡いことをしたから 」 と言つて誤魔化した。
「 何れ判つてくれるだらう 」 と考へるのが、日本人の奥ゆかしさである。
( 以上、日下説 )
石平さんは、以上の日下説に對して、 「 それは完全にボタンの掛け違ひ 」 といふ。
中國人は言葉通り、 「 さうか、日本人は私達に惡いことをしたから、その贖罪のため親切にするのか 」 と思ひ込み、親切にされて當然と考へるやうになつたのだと。
日下さんがいふやうに、 「 あれは我々に心理的負担を掛けないために言つてゐるに過ぎない 」 とは絶對思ひませんよと。
この日中の發想の行違ひは、重大な指摘です。
江澤民以來、中國で抗日愛國主義教育をして來たから中國人が反日になつたやうに見えますが,私の先輩 ( 中國體驗あり ) 曰く、日中あひ戰つた體驗ある世代が死んだり引退したりして、あの戰爭を知らない世代が實權を握るやうになつて 「 日本攻撃 」 が始まつたのだよ、日本側も知らないから反論できないのだと。
これに對し、本書では日本人と中國人の發想法・行動樣式の違ひ、つまり正に文化の違ひが問題だといふ指摘がされて居ます。
日本人の相手を思ひやる優しさが、そういふ發想法を持たない中國人には通ぜず、却つて對日惡感情を齎してゐたのです。
これではこの隣人同士、とても仲良くなれさうにありませんね。
中國にとつて日本は元々存在感がない:
石平さん曰く、中國人は蔣介石だけでなく、日本人が中國を思ふほどには、昔から日本のことなど念頭にありませんよ。
違ふのは、汪兆銘の時代だけ。
南京國民政府が米英に宣戰布告した時、彼等は 「 同甘共苦 」 と言つた。
( 伊原註:これは、日本が負けたら、彼等は 「 漢奸 」 になるほかなかつたからです )
石平さん曰く、中國人同士でも 「 同甘共苦 」 なんて無理ですよと。
中國の若者は日本人を人間とは思つてゐない:
この項目 ( 52頁以下 ) では、一人っ子の 「 性格 ( タチ ) の惡さ 」 が説かれてゐます。
拝金主義下で我儘に育つた彼等 ( 伊原註:祖父母 4人と父母 2人の計 6人から甘やかされて育つ ) は、善も理念も哲學も、要するにお金以外のものは何も信じない。
そして反日教育を受けたから、彼等は日本人を人間とは思つてゐないのだと。
この恐ろしさが、皆さん、お判りですか?
イギリスより日本をずつと憎む中國人:
阿片戰爭以來の中國近代史を見ると、イギリスの方が日本よりずつと惡いことをしてゐる。
中國の高校教科書でも、日本 1頁に對してイギリスには 3頁を費やしてゐる。
それでも中國人は、イギリスより日本の方を何十倍も憎んでゐる。
なぜか?
白人には一目も二目も置くが、近隣諸國は歯牙にもかけないといふことが一つ。
中國人は日本の底力を知らないといふことも一つ ( 62頁 ) 。
阿片戰爭はずつと昔のこと、抗日戰爭は最近のこと。
日本が碌に反駁しないから、日本人も自分の惡を認めてゐると信じ込んでゐること。
イギリス人がやつたことは植民地政策、日本人がやつたことは犯罪 ( cf. 「 南京大虐殺 」 )
だから、日中提携を考へた日本人の思ひ ( 大アジア主義 ) は全くの片思ひ!
日中關係の決定的な違ひ:
日下さんが、大事なことを述べてゐます ( 83頁以下 ) 。
大東亞戰爭で日本は アメリカ と戰つたが、必死で戰つたから、負けても必死で立直つた。
中國にはそんな眞劍さはどこにもない。
蔣介石軍も中共軍も逃げ回つて居た。
そして結果として勝つたのを 「 勝つた、勝つた 」 と宣傳した。
それと同じく、今も經濟立て直しや國づくりに必死な人が居ない。
中國も本氣で戰つて負ければ良かつた ( 88頁 ) 。
それを 「 勝つた、勝つた 」 と宣傳したものだから、誰も必死にならなかつた。
日下さんは、こんなことも言つてゐます。
共産黨は略奪專門だから、民間經濟から償却分まで根こそぎ取上げる。
取り終ると民間は骨と皮だから、次に取るものがない。
ソヴェト聯邦はそこで亡びる筈が亡びなかつたのは、石油があつたから。
中國は地下資源がないから、豐富な勞働力を資源として活用するため改革開放をして外資を導入した。
かくて新たな 「 略奪對象 」 を作り上げたのだと。
中國に進出した外國企業は、共産黨政權の略奪對象なんですが、そういふ自覺がありますかね?
163-164頁で日下さん曰く、中國人と付合へる男を私 ( 日下 ) は 2-3人しか知らない。
日本人は中國人とどう付合へばいいのか?
一番いいのは付合はぬことだと。
石平さん慌てて曰く、隣同士だからどうしても付合はなければならない局面もあるんだから、中國人と付合へる人材を育てればいい、と。
その石平さんの提案が振るつてゐます。
「 先ず小學校から、平氣で嘘をつくように訓練する 」
次に 「 人間に良心があると思ふな 」 。ニコニコして平氣で嘘をつき、心は常に鬼!
「 でも、そんな學校に誰も自分の子供を入れたくないですよね ( 笑 ) 。
これは冗談じやないですよ。
僕もそこまでできないから日本にまで逃げて來たんですから 」
さて、石平さんの結論はこうです。
やむを得ず中國と付合はねばならぬなら、日本は 「 敬遠 」 外交をするしかない ( 213頁 ) 。
中國の覇權主義に對して、日本が獨立國としてどう對應するか。
その問題さへ解決出來れば、逆に日本モデル ( 日本の文化、生き方、ライフスタイル ) がこれからの世界を救ふかも知れませんね、と。
日下さんは、 「 あとがき 」 でかう書きます。
中國人から 「 日本人は中國人を見下してゐる 」 と言はれたとき、二つ反論した。
第一、アメリカ人だつて有色人種を見下してゐますよ。
第二、日本人が中國人を見下すには理由があります。
この百年間、白人がアジアを侵略したとき、日本は命懸けで戰爭をしてそれを防いだが、中國は何もしなかつた。
日露戰爭では ロシヤが中國を侵略してゐるのに、中國は中立を宣言して傍觀した ( 伊原註:李鴻章は ロシヤに、日本を懲罰してくれたら滿洲を進呈すると密約していた。これを露清密約といふ ) 。
大東亞戰爭のときも中華民國は傍觀してゐた ( 伊原註:對日宣戰布告した ) 。
やがて日本が負けると、中國國民黨と中國共産黨は初めて本氣になつて戰つた ( 伊原註:いや、やはり 「 政治戰爭 」 であり、宣傳合戰だつた。中國國民黨軍は、國民政府の腐敗に愛想をつかして寝返つた ) 。
白人に對しては戰はず、内部の權力闘爭は全力を擧げて戰ふとはどういふ譯だ?
──といふのが日本人の氣持。
中國人が利己主義者なら、日本人に見下されて當然ではないか、と。
孫文が 「 三民主義 」 の講義の開巻劈頭で、中國人はばらばらの砂で團結しないと嘆いた事態は、今なお改まつてゐないやうです。
最後に一言。 154頁に毛澤東の 「 二番目の妻 」 の名を賀龍としてゐるのは、賀子珍の誤植です。
( 平成21.5.13記 )