曹長青 「 高級外省野蠻人 」

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伊原註:台灣の外省人記者 ( 但し、しつかりした本土派 ) ・鄒景〈雨/文〉の馬英九論に續き、

     米國亡命民主派中國人・曹長青の快論をお届けします。




    曹長青 「 高級外省野蠻人 」


           ( 自由廣場 『 自由時報 』 4.27, 15面 )




  自稱 「 高級外省人 」 郭冠英が台灣に戻つた時、黒衣黒帽の男らが空港で保護して連れ去り、その後上訴するとわめいてゐたが、忽ち聲をひそめた。

  己らの言行の 「 低劣さ 」 を悟つて、おとなしくなつたのかも知れない。

  ( 伊原註:これは文明人曹長青の 「 お愛想 」 。彼等が自分らの 「 低劣さ 」 に怯む筈など、初めからない )


  だが高級外省人現象の方は消滅することなく續いてゐる。

  最近、立法院の外省權貴 ( 外省人の高貴な御方 ) 李慶華が、本土派女性立法委員を頭ごなしに 「 没家教・〈シ發〉婦 」 ( 行儀知らず、しやべくり魔 ) と罵つたこと、

  中國時報の駐米 「 高級外省人 」 記者・傅建中が その コラム で緑陣營の理論家金恒〈火韋〉を侮辱したこと、などが典型的な事例である。


  事は、米國のさる議員が關はつた事件の報道と論評に始る。

  昨年の米國總選擧で アラスカ州の聯邦上院議員史蒂文斯 スティーヴンス が検察から、商人の贈り物を受取りながら財産申告を怠つた故を以て告發された。

  このため、僅差で落選した。


  傅建中はこれについて評論を書き、 スティーヴンス事件を陳水扁事件と結び付け、 「 扁は死罪相當 」 とし、陳水扁夫婦を 「 銅像にして、南宋の奸臣秦檜夫婦同樣、台北市の中正紀念堂廣場に設置して人々に唾を吐きかけ罵る對象に供せよ 」 と書いた。

  この種の高級外省人の仇敵を憎む恨みの深刻さは推して知るべし。


  それが、あらうことか スティーヴンス事件が最近、急轉直下、振出に戻つたのである。

  檢察は告發時、有罪を確信してゐたが、手續違反を犯してゐて、この告發は取下げられた。

  金恒〈火韋〉先生が最近 スティーヴンス事件が初め檢察の告發に遭ひながら、いかにその疑惑を晴らしたかの一部始終を紹介してゐる。そして傅建中がこの事件を報道・論評した時、指桑罵槐方式で陳水扁を引合に出したことを批判した。

  現在 スティーヴンス事件は潔白が立證されたのだが、傅建中は黙つたままである。


   コラム批評家の間に政治觀點の違ひがあつて批判するのは、どの國でも見られるありふれた事態だが、傅建中の論評は事實に即した論議ではなく、況して事實に即して道理を説くのではなく、街頭をうろつく チビゴロツキ の如く金恒〈火韋〉を罵り、 「 金恒〈火韋〉は陳水扁に飼馴らされた忠犬であり、スティーヴンス の罪が晴れたのを見て歡びの餘りワンワン吠え廻つてゐる 」 と腐す。

  この口調や言葉遣ひは、郭冠英が范蘭欽の ペンネーム で 書いた文章の中で金恒〈火韋〉と陳師孟を 「 暴獨的宦犬 」 ( 猛烈な獨立派の宦官犬 ) と罵つたのと軌を一にする。


  傅建中は 『 中國時報 』 の 「 資深 」 ( 老練 ) な記者である。

  常に 「 高級 」 「 大物 」 の看板を掲げ、大きな顔をして人を罵る。

  そのくせ、彼はまともな文章を書いて道理を説く能力が全然ない。

  「 罵大街 」 ( 大勢の前で惡口を言ふ。夫婦喧嘩で女房が通りへ出てやる常套手段 ) 能力があるだけだ。

  この程度の男が 「 資深 」 なら、一體 『 中國時報 』 の一般的な水準の記者はどの程度なのか ???


  今日、對岸の共産黨の新聞が記者を募集する時、ニュースに對する常識と作文能力が試される。

  恥ずかしながら、傅建中程度の 「 傅 」 淺な ( 淺薄な ) 記者は忽ち恥を晒すだらう。


  傅建中がこのように道理を説かず、徒らに罵るだけといふ言行を白日の下に晒したのは、今回が初めてではない。

  私は曾てコラム で 彼を批判したことがある。

  彼が、蕭萬長が訪米時に42名の米國會議員と 「 會つた 」 、兩黨の大統領候補 の アジア關係の ブレーン と 「 朝食を共にした 」 などと書いたのを、でたらめだと批判した時である。

  彼は、これまで事實方面で究明したり間違ひを認めたりしたことはない。


  この時彼は、 『 中國時報 』 の コラム で 人身攻撃をした。

  私を罵つて 「 米國に流亡した下司の文人が、今や墮落して台獨の犬になつた 」 等々のたもうた。


  彼は他人を犬と罵れば、自分の捏造記事の醜さを隠すことができ、自分が 「 人 」 だと證明できると思つてゐるらしい。


  彼がどんな人なのか、私は知らない。

  私が知つてゐるのは、彼がこの種の低劣な文字を弄して、その度に自分が野蠻人だと證明してゐることである。


  實は、台灣人民が自分らの家園 homelandを選擇する權利を尊重するか否かの對立は、

    本地人と外省人の爭ひではない。

    青と緑の爭ひでもない。


    文明と野蠻の爭ひなのである。


  人民の選擇權尊重が既に最も基本的且つ普遍的な價値となつた今日、 「 高級外省人 」 を代表する郭冠英・傅建中の類の連中には、台灣人が台獨の道を歩むのを押しとどめる理由はないのだ。

  だからこそ、やたら人を罵つて憂さ晴らしをするのである。


  文人たるもの、文明に立脚して當然であり、 「 高級外省文人 」 は皆この域に達してゐるのに、李慶華のやうな 「 高級外省立法委員 」 が存在してゐるのは怪しむに足りない。

  大中國イデオロギー が存在する限り、野蠻人も存在し續けるのだ。

( 2009.5.5 )