> コラム > 伊原吉之助教授の読書室
伊原註:以下は 『 関西師友 』 平成21年 5月號に載せた 「 世界の話題 」 ( 233 ) です。
賢くなる方法
賢さとは未來を見通す能力
「 日本國民よ、賢くあれ 」 と書いたからには、賢さについて、また賢くなる方法について書かねばなりますまい。
「 賢い 」 とは、何よりも 「 先を讀む力 」 です。
そして洞察力を養ふには、多くの事例を知ることが先決です。
先づは、傳記 ( 個人の物語 ) と歴史 ( 集團の物語 ) を讀むこと。
但し、實踐的な讀み方が要ります。
傳記は、 「 こんな時、自分ならどうするか 」 と考へつつ讀むこと。
歴史は、覆轍回避の教訓を得るため讀むこと。
この讀方で應用力が身につきます。
ところで、傳記も歴史も 「 讀み取る力 」 がものを言ひます。
讀書力の基礎は、國語を驅使する能力です。では讀書力つて何?
高級な言語能力とは?
讀書を樂しむだけなら、著者の言分をその儘受取つてゐれば宜しい。
いや、著者の意圖如何に拘らず、氣に入つたところだけ撮み食ひしてもよい。
但し、さういふ我儘な讀み方をしてゐては、教訓が得られない。本を讀んでも向上しません。
私が大學で教へてゐた時、必修の英語の單位を落した學生に英語を教へるクラスを受持つたことがあります。そのとき、かう言ひました。
言葉には、高級と低級の二種類ある。
諸君は、高級な言葉の習熟を目指しなさい。
「 通じればよい 」 水準なら、外國語を 「 學ぶ 」 必要などないよと。
では、 「 高級 」 とはどんなレベルか?
豐富な語彙の中から最適の語句を選んで使ふことです。
表現する時、單語も慣用句も、二つ三つの候補からではなく、七つ八つかそれ以上の候補の中から選ぶ。
だから候補の語句を澤山知つてゐることが必要です。
低級言語や仲間言葉しか使へぬ人は語彙が極端に尠い。
例えば、強調するのに 「 大變 」 「 非常に 」 を連發する。
同じ言葉を繰返すと、單調で説得力を失ひます。
「 非常に 」 や 「 大變 」 は、頗る・甚だ・酷く・大いに等々に置換へられますし、別の表現であらはすこともできます。
「 非常に ( 又は大變 ) 驚いた 」 の場合──
「 仰天した 」 「 びつくり仰天した 」 「 たまげた 」 「 驚いたなんてもんじゃない 」 等々。
戰後の國語簡略化 ( 當用漢字+現代假名遣 ) は、戰前の日本人が共有してゐた豐富な語彙を頗る貧弱にしました。今の新聞の用語など、戰前の日本人の語彙からみて、お粗末極りない。
語彙が貧弱だと、思考も薄つぺらになります。
戰後、淺薄化した日本人
戰後の日本人は紛れもなく戰前の日本人より考へ方が淺くなり、顔も卑しくなりました。
電車で席を爭ひ、本を讀む人が激減する一方、居眠りする人が激増したのを見るにつけても、さう思ひます。
そこへ、テレビが普及して益々思考力が退化しました。
私に言はすと、テレビは極めて受動的な道具であり、 「 頭を空つぽにし、人を下品にする道具 」 です。
一人で觀て居ても群集心理に捲込みます。
こんな道具を子供に見せてはいけません。判斷力が育つまで遠ざけませう。
( 高校生か大學生になつたら、見せても宜しい。それまでは嚴禁 )
ラヂヲがいい。ラヂヲは主體的な道具ですし、思考力を鍛へます。
ラヂヲを聴いて意味を辿るには、知性 ( 知識+推理力 ) を働かさねばなりません。
テレビのように受身でなく、繪で理性を眠らされることもなく、 「 賢く 」 聽かねばなりません。
だから、小さな子供にはラヂヲを聽かせませう。
リズムを強調する音樂も、頭を退化させます。
音樂の三要素 ( リズム/ハーモニー/メロディ ) 中、リズムが最も原始的です。
だから幼兒も動物もリズムには敏感に反應します。
メロディが一番洗練されて居り、從つて高尚です。
最近の若者が聽く音樂がリズム中心なのは、知性が退化し、餘りものを考へなくなつてゐるからではないかと危惧して居ります。
人の賢さは、 「 國語力が全て 」 です。
その國語力を、戰後、私達はすつかり劣化させました。米占領軍の日本弱體化政策に嵌つたのです。
日本人の國語力の弱さは、以下の諸點に現れてゐます。
小學校の國語の時間が外國よりうんと尠い。
片假名を教へぬから、片假名の筆順が出鱈目!
教へる漢字が僅かで、教へ方も間違ひ。難しい字でもどんどん教へれば子供はちやんと讀みこなします。
現代國語の骨格を成す漢文も國文も敬遠した。
言葉は先づ音なのに、朗讀の時間が極端に尠い。
國語能力低く幼稚な親が核家族・個室で機器を子守にして育て、兄弟姉妹も近隣の遊び友達も尠いので、子供の言語能力が育たず、自閉症 ( 他人との意思疏通能力が育つてゐない状態 ) になり易い。
テレビで變な言葉は直ぐ覺へて子供の頭を汚す。
テレビの普及で、地方辯と標準語の使ひ分けが出來なくなつた子供が輩出してゐます。
( この項、續く )
( 09.3.22/5.3 )