大東亞戰爭の再檢討──今なほ續く二百年戰爭!

> コラム > 伊原吉之助教授の読書室


伊原註:以下は、 2009.4.10 ( 金 ) 21世紀日亞協会 149回例會の報告レジュメを若干増補したものです。

      長いですが、問題點の指摘と、參考文獻を掲げてゐるので、適宜參照されますやうに。





           大東亞戰爭の再檢討


              ──今なほ續く二百年戰爭!──



  I. 大東亞戰爭 ( 日米戰爭 ) の發端と展開:

   @東亞百年戰爭: 「 西力東漸 」 と それに備へた 「 攘夷論 」 以來の 「 長〜い一つの戰爭 」 の 終曲

    伊原註:林 房雄は 「 百年戰爭の終曲であつた 」 といふ ( 17頁 ) が、 「 終曲 」 ではない。

        今なほ續く長い長〜い戰爭である。

        日本人の大半は盲目化されてゐて、今なほ戰爭中とは知らないやうだが。


    cf. クレマンソー説:I大戰後、パリで 日本人に忠告 「 米國は將來必ず日本に戰爭を仕掛けるが、戰ふな 」


    林 房雄 『 大東亞戰爭肯定論 』 ( 初版 1964/65。普及版 1976 ) :始期は以下の通り

     1840 阿片戰爭/42 蘭、英艦來日計劃を傳達→幕府、異國船打拂令撤回/43 露船エトロフ島に來航/45 米捕鯨船、漂流民を護送して浦賀に來航/46 米東インド 艦隊司令官ビッドル、浦賀に來航し通商要求、幕府拒絶……/53 ペリー浦賀に來航……


    岸田 秀 『 日本が アメリカ を赦す日 』 ( 毎日新聞社、2001.2.20 ) :

    日本は黒船に強姦され トラウマ を持續していた、といふ深層心理學的解釋:

    ハワイイで一太刀浴びせて滿足/米国は日本人をインディアンと同視してゐた。

    だから燒夷彈で民家を燒き、原爆を投下して大量殺戮を平氣でしたのだ。屬國の身分を自覺せよ

    尤も、東京裁判 で 「 自國の犯罪を完全に無視できるアメリカ人のあの無神經 」 も 「 病氣の一種 」 だ、とも


    cf. 三宅博 ( 八尾市議 ) :戰後日本に政府なし、米國の日本總督府あるのみ。

                日本に政治家なし、米國の下請を務める行政官僚あるのみ。


   A強力な 「 チャイナ・ロビー 」 「 日本嫌ひ 」 としての米國宣教師:

     「 米國の宣教師は年久しく日本と支那で活躍してゐた。特に支那ではその政治的意義は重大であつた。殆ど一世紀に亙つて、彼等は母國人に對する唯一の支那事情解説者であつた 」 ( A.Whitney Griswold, The Far Eastern Policy of the United States, NY, 1938, p.16, 柴田賢一譯 『 米國極東政策史 』 ダイヤモンド社, 昭和16.5.8, 17頁 )


     「 1899年には千人から千五百人の宣教師が支那に住んでゐたが、彼等やその前任者達は、その數より遙に大きな政治的影響力を持つてゐた 」 ( p.61/65頁 )


     「 支那を救はうとする古い傳道思想はなほ強く存し、政治的重要性をも有してゐた。その代表者とも言ふべきは、北京 メソヂスト福音教會の監督 Bishop たる J.W.Bashford であった。タフト大統領は彼に私的資格で米國の極東政策に關して意見を求めた。…… バシュフォード氏は、米國は支那の進歩を助け、支那の門戸開放と領土保全を支援すべきだと進言した 」 ( p.145/158頁 )


     「 排日運動者に口實を與へる者に米國宣教師が有る。日韓併合以前から朝鮮に居た其の連中は、朝鮮が比律賓になることを望んで居たのに、日本に併合され、日本の官吏から支配されるのが甚だ以て氣に食はぬ。其所で米國へ向けて日本人の讒訴をやる。又支那に居る宣教師連は、勿論支那贔屓で、日本人の惡口を云ふ。之に對し在日本の米國宣教師中、大に日本人の肩を持つ人も有るが、布教の必要を本國人に知らしむる爲には、日本人の缺點を誇張する必要もある。其所で日本人を辯護する宣教師は、陰で仲間から惡く言はれる 」 ( 土屋元作 『 太平洋問題觀瀾 』 大阪毎日新聞社、大正13, 雜説、12頁 )


   B太平洋國家米國の登場:太平洋問題・發生/米國=自然・原住民・黒人・隣國を侵略征服して成立

    1 ) 豊かな森を禿地にし、多くの動物を絶滅させた 「 無責任な移民 」 の國

    2 ) 原住民に多大の恩惠を得ながら、恩を仇で返す ( 米國の自由民主の原型は原住民が提供した )

     本間長世 『 アメリカ史像の探求 』 ( 東京大學出版會、1991.10.18 ) の第2章

     久保田泰夫 『 ロジャー・ウィリアムズ:ニューイングランド の政教分離と異文化共存 』 ( 彩流社、1998.12.5 )

     グリンデ/ジョハンセン ( 星川淳譯 ) 『 アメリカ建國とイロコイ民主制 』 ( みすず書房、2006.1.23 )

     三浦永光 『 ジョン・ロック とアメリカ先住民:自由主義と植民地支配 』 ( 御茶の水書房、2009.2.25 )

    3 ) 膨脹の合理化:使命觀としての Manifest Destiny 「 明白な使命 」 「 膨脹の宿命 」

     1820年代〜 西漸運動→原住民の土地を奪つて西進、テキサス・オレゴン へ/米墨戰爭で カリフォルニア領有

      →米國、太平洋國家となる

    4 ) 南北戰爭で一時中斷→19世紀末、海軍↑→米西戰爭→太平洋の諸島領有→太平洋國家へ


   C米國、1898年の米西戰爭で フィリピン領有 →對日警戒心↑

    1899.9./11. 國務長官ジョン・ヘイ, 「 支那に於ける門戸開放 」 覺書を列國に送付 ( 英國の勸奬による )

    1900. 7.   〃      門戸開放・領土保全・機會均等通牒を列國に送付

    1900.11.  海軍基地を求め、福建の三都澳口の割讓を要求

     日本、義和團事件を領土獲得の機會とせぬやう求めたヘイ通牒を引用し、 「 帝國政府はこの原則を嚴守してゐる 」 と回答。

    1905. 7.29 桂・タフト覺書:桂太郎首相と ウィリアム・タフト陸軍長官の覺書 ( 東京 ) 。

     日露戰爭で連戰連勝した日本軍が フィリピン に 進出する懸念を拂拭するための覺書。

     太平洋國家日米兩國が 韓國・フィリピン の特殊權益を相互承認

    1908.11.30 高平・ルート協定:高平小五郎公使と ルート國務長官との交換公文。

     日本が フィリピンの保全・支那の門戸開放と保全を、米國が日本の南滿洲に於ける自由行動を承認


   D日露戰爭後の對立:TR ( Theodore Roosevelt ) が軍事大國 ロシヤを相手に對等に戰った日本を 「 太平洋に出現した強力なライヴァル 」 と認識して警戒開始/媾和仲介→日本を抑へ、露と五分五分の結果に持込むため/日本陸海軍、假想敵が分裂

    イ ) TR:1904.4. Color Plan ( 對外戰爭計劃 ) 策定開始:赤 ( 英 ) /黒 ( 獨 ) /緑 ( メヒコ ) /オレンジ ( 日 )

    cf. NHK 取材班 『 ドキュメント昭和5 ) オレンジ作戰 』 ( 角川書店、昭和61.10.6 )

    1904. パナマ 運河着工。→14.8. 運河開通。16. 米議會、真珠灣基地の大擴張・兩洋艦隊建設計劃承認

    1905.8.29 付TR→Rockhill宛書簡= 「 余は從來日本贔屓であつたが媾和會議開催以來、一層日本贔屓になつた 」 。だが TR は日本人を尊敬しつつ恐れ、 ロシヤ人を救はうとした ( Griswold, pp.120-1/132頁 )

    1906. 3. 7 カリフォルニア州議會、日本移民制限に關する決議案を採擇。→日米戰爭の噂↑

    1906.10.11 サンフランシスコ 市、日本人學童隔離命令。→07.3.13 同市學務局、隔離命令を取消

    1907. 日本企業 カリフォルニア州南部の土地買へず:Rodge Corollary に阻止される

    1907.12.16-1909.2.22 戰艦・巡洋艦16隻の Great White Fleet世界就航。→日英同盟廢棄の端緒

     ( 1 ) この航海に際して Evans提督は 「 あらゆる萬一の危險に備へよ 」 との内命を受領

     ( 2 ) 1907.7. TR, フィリピン駐留司令官 Wood 將軍に 「 日本軍の攻撃に備へよ 」 と指令

     このため、大白艦隊出航時、日米開戰の噂に怯へ、脱走兵が多數出た

     →苦慮した日本政府、艦隊を 「 招待 」 して 「 大歡迎 」 し、矛先をかはした

     → カナダ、濠洲、米に感謝 ( 共に日英同盟を歡ばず )


    ロ ) 徳富蘇峰 ( 『 蘇峰自傳 』 中央公論社、昭和10.9.3,412頁 ) : 「 米國は三十七八年戰爭を界として、日本に對し、敢へて禍心を抱藏するとは云はぬが、その態度を一變して來た。さればこの大なる恐怖は、太平洋を越えて、早晩我を壓して來るべく、東亞大陸の政策上に於ては、日本の自由なる運動を阻礙するものは、米國に如くはなしと考へ、敢へて米國を敵視するでは無いけれ共、自ら防禦する丈の覺悟がなければならず。それには我が海軍の力を充實することが大切と考へ、從來對露政策から、陸軍に重きを置いたるものが、今後は對米政策から、海軍に重きを置くは必然のことであるから、その方面に聊か予も力を效した積りである 」


    ハ ) 國際情勢:世界=日英佛露 vs.獨墺伊/東アジア =日露協商 vs.米獨佛

     黒野 耐 『 日本を滅ぼした國防方針 』 ( 文春新書、平成14.5.20 )

    07.4.19 戰略 ( 國防方針 ) :南北併進 ( 陸軍=北進/海軍=南進 ) /假想敵=露米獨佛

    08.9.25 政略 ( 外交方針 ) :日英同盟が骨髓。東亞全域に發展。假想敵は獨のみ

     →國論分裂。官僚制↑/元老の調整機能↓ ( 帝國憲法改正が必要だつた! )


   E日米三十年戰爭:1915.の 「 二十一箇條 」 以來、米國が シナと組んで日本を挾打にした

    W.Wilson大統領の Bryan, Lansing 兩國務長官が 「 不承認聲明 」 發出 ( 滿洲事變の不承認へ續く )


   F ヴェルサイユ 會議・ワシントン 會議〜:米國の日本孤立化策

    ワシントン會議:日本を英國から切離し ( 日英同盟廢棄 ) ・日本の シナ權益吐出し

    昭和天皇 「 大東亞戰爭の原因を尋ぬれば、遠く第一次世界大戰后の平和條約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列國の容認する處とならず、黄白の差別感は依然殘存し加州移民拒否の如きは日本國民を憤慨させるに充分なものである。又青島還附を強ひられたこと亦然り 」 ( 『 昭和天皇獨白録 』 文藝春秋、1991.3.10,20頁 )


   G排日移民法 Japanese Exclusion Act 成立 ( 1924.5.26 ) :同年 7.1實施の32條から成る新アメリカ移民法

    大石揆一 『 日米問題實力解決策 』 ( 三光堂、大正5.8.8/大正6.3.25再版 ) 二段組 900頁の大冊!

    土屋元作 『 太平洋問題觀瀾 』 ( 大阪毎日新聞社・東京日日新聞社、大正13.8.1/9.25 再版 )

    松枝保二 『 驚くべし此の横暴此の國辱 米國排日の實相 』 ( 大日本雄辯會、大正14.5.18 )

    澤柳政太郎編 『 太平洋の諸問題 』 ( 太平洋問題調査會、大正15.7.20 )

    蓑原俊洋 『 排日移民法と日米關係 』 ( 岩波書店、2002.7.25 )


    4.12 下院:賛成 322/反對71。上院:賛成71/反對 4。

    4.18 上院、一旦覆すも、兩院協議會 が 5.10,下院決議通り採用決定。兩院通過後 クーリッヂ大統領署名

     →1908年以來、日米紳士協約により細々と續いてゐた日本人移民を 「 歸化不能外國人 」 の 入國禁止條項により、全面禁止。 「 米國がこの國をして白人の國たらしめんことを期するもの 」

     →日本政府、嚴重抗議。改正機運↑ →滿洲事變・I上海事變で對日感情惡化し、實らず


   Hロンドン海軍軍縮會議〜:帝國海軍が米國敵視へ ( 實は ワシントン會議以降、と 認識刷新 )

    帝國海軍の反米親獨化の始り ( 上層の一部=親英米/中堅以下=反英米親獨 )

    I大戰後、ヴェルサイユ條約によりドイツ の U ボート7隻を戰利艦として受取つた海軍は、その技術水準・工作水準の高さに驚嘆。以後 ドイツから設計圖を買取り、技師を招いて神戸の川崎造船所で潛水艦建造を開始。

  以後、英米派遣の海軍武官=親英米+反英米/ドイツ 派遣武官=例外なく親獨

     ( 拙稿 「 ローズヴェルト 大統領と第二次大戰 」 『 帝塚山大學教養學部紀要 』 第57輯、平成11.3.25,43頁 )

    潛水艦のほか、大砲・火藥・飛行機……光學機械etc.に感嘆し、ドイツ 賛美へ


   因に、米国經濟がいかに ドイツ經濟に負ふ所が多いか ( ドイツ 經濟の凄さ ) については下記を参照。

    菅原 出 『 アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか 』 ( 草思社、2002.7.22/8.16二刷 )

    武田知弘 『 ナチスの發明 』 ( 彩圖社、平成18.12.25/19.2.5 三刷 )


  I世界大不況〜:貿易戰爭で 「 持てる國 」 vs. 「 持たざる國 」 の 對立激化

    近衞文麿 「 英米本位の平和主義を排す 」 ( 『 近衞公清談録 』 千倉書房、昭和12.6.8,231-241頁 )

    池田美智子 『 對日經濟封鎖:日本を追詰めた12年 』 ( 日本經濟新聞社、1992.3.25 )

    石井 修  『 世界恐慌と日本の 「 經濟外交 」 1930〜36 』 ( 勁草書房、1995.11.25 )

    白木澤旭兒 『 大恐慌期日本の通商問題 』 ( 御茶の水書房、1999 )

    三菱經濟研究所編 『 太平洋に於ける國際經濟關係 』 ( 三菱經濟研究所、昭和12.7.31 )


    保護貿易・ブロック經濟化 → 「 持てる國 the Havesと持たざる國 the Havenots の對立 」 ( 近衞文麿 )

    この時期、日本が如何に 「 持てる國 」 英米に壓迫されたかは戰前の諸著に明か。→米國占領軍の焚書により、その大半が抹殺された。

  ∴戰後日本人は英米の惡に對し盲目にされた ( 調べればすぐ判るのに )

     cf. 西尾幹二 『 GHQ 焚書圖書開封 1/2 』 ( 徳間書店、2008.6.30 /2008.12.31 )

     ( 伊原註: 「 あの戰爭 」 の眞實を知るには、この二冊は必讀! )

     ( 伊原註:日本 を 「 惡者 」 と 信ずる人は 先輩達 が 「 どんな扱ひを受けたか 」 に 無知 )


    戰前の英米の惡を説いた入手可能なものとして下記がある:

     佐藤 優 『 日米開戰の眞實:大川周明 『 米英東亞侵略史 』 を讀み解く 』 ( 小學館、2006.7.1 )

       ( 第一部=米國東亞侵略史、第三部=英國東亞侵略史 )


   J滿洲事變〜:

    服部龍二 『 滿洲事變と重光駐華公使報告書 』 ( 日本圖書センター、2002.10.25 )

    外務省譯 『 英文・和文 リットン 報告書 』 ( 中央公論別冊附録、昭和7.11.1 )

    Reginald F.Johnston, Twilight in the Forbidden City, Oxford U.P., ( 1934 ) 1985/1988

    荒木武行譯 『 禁苑の黎明 ( 黄昏の誤譯 ) 』 ( 大樹社書房、昭和9.7.15 )

    入江曜子・春名徹譯 『 紫禁城の黄昏 』 ( 岩波文庫、1989.2.16/2000.7.5 26刷 )

    渡部昇一監修・中山理譯 『 完譯 紫禁城の黄昏 ( 上下 ) 』 ( 祥傳社、平成17.3.25/4.15 2刷 )

    ジョンストンは滿洲事變につき日本に有利な證言をした ( 殘念ながら、リットン調査團以後に出版 )

    岩波版は、その部分を省略して譯してゐる。反日出版社、反日譯者!

    クリストファー・ソーン 市川洋一譯 『 滿洲事變とは何だつたのか ( 上下 ) 』 ( 草思社、1994.11.4 )


   K支那事變〜:

    シナの實情に關して必讀の文獻:無法状態で横車を押す政權

    ラルフ・タウンゼント/田中秀雄・先田賢紀智譯 『 暗黒大陸 中國の眞實 』 ( 芙蓉書房、2004.7.20 )

    マクマリー/ウォルドロン/衣川宏譯 『 平和はいかに失はれたか 』 ( 原書房、1997.7.28 )

    K.カール・カワカミ/福井雄三譯 『 シナ大陸の眞相 1931〜1938 』 ( 展轉社、平成13.1.7 )


   イ ) 36.12.12 西安事變→抗日統一戰線結成→支那事變後、ソ聯が真先に蒋介石を支援


   ロ ) 37.10.5 FDR, 「 隔離演説 」 A Quarantine of Agressor Nations Speech

    日獨伊 の 3 「 強盗國家 」 three bandit nationsの 「 隔離 」 を 提唱

    → 「 日米戰爭の發端 」 ( 岡崎久彦 『 重光・東郷とその時代 』 PHP研究所, 2001,188頁 )


   ハ ) 支那事變=シナを舞台にした日ソ・日英・日米戰爭 ( 林房雄 『 肯定論 』 286頁 )


   A.支那事變に關して 「 論ずる 」 のは別の機會に讓る。下記文獻は必讀

    フレデリック V.ウィリアムズ /南支調査會調査部譯 『 背後より見たる日支事變 』 ( 南支調査會、昭和14.7.25 )

    山岡貞次郎 『 支那事變──その秘められた史實 』 ( 原書房、昭和50.8.15 )

     『 張治中回憶録 』 ( 我家の本の堆積の中に埋もれ、未發見! )

    北村稔・林思雲 『 日中戰爭:戰爭を望んだ中國、望まなかつた日本 』 ( PHP研究所、2008.11.7 )


   私も短いながら、支那事變に關聯して三編、文章を書いてゐる:

    拙稿 「 中國の政治 」 ( 岡本幸治・木村雅昭編 『 現代政治を解讀する 』 ミネルヴァ書房、1990.5.30,第II部第六章 )

    拙稿 「 大東亞戰爭と支那事變 」 ( 現代アジア研究會編 『 世紀末から見た大東亞戰爭 』 プレジデント社、1991.12.18掲載 )

    拙稿 「 蒋介石と日本 」 ( 『 運命の十年 』 扶桑社文庫、2005.9.30 )


   B.支那事變〜大東亞戰爭を スターリン ( 共産黨 ) の謀略とするもの:

    三田村武夫 『 大東亞戰爭と スターリンの謀略 』 ( 自由社、昭和62.1.20 )

    後述の中川八洋の 2冊も参照せよ


    C.蒋介石の支那事變=II上海事變。 ドイツ軍事顧問團の支援・煽動により上海で決戰を挑んだ蒋介石

    33. 5. Hans von Seeckt第一回訪中:國府軍の近代化を支援。→ゼークト・ライン建設へ

    34. 4. Hans von Seeckt第二回訪中: Alexander von Falkenhausen を伴つて一年滞在。

    35. 6. von Seeckt 病氣、後任 Alexander von Falkenhausen と 交代

     von Falkenhausen は 1910-1914に 東京駐在武官。∴日本語が出來、蒋介石と日本語で意思疏通

    37. 7. 7 盧溝橋事件:發砲者=宋哲元麾下第29軍37師 110旅 219團第三營に 属するシナ正規兵

     これ以前、藍衣社が挑發・煽動に立回る。宋哲元は戰意なく、故郷に逃避

     國府中央軍=常備軍 180萬人、軍閥軍共で 350萬人/日本陸軍=常備軍25萬人

    37. 8. 9 上海陸戰隊大山中尉・齋藤水兵が公務中、支那保安隊に慘殺さる

    37. 8.13 八一三事變勃發:II上海事變。蒋介石の作戰計劃= 「 上陸を挑發しつつ、來援する日本内地からの陸軍を ゼークト・ライン に呼込み、待機した國府軍精鋭が邀撃して日本兵の死體の山を築く 」

   I大戰以來の塹壕戰:國府軍=25個師33萬人 ( 後方を含め75萬人 ) /日本軍 7個師半20萬人

     日本軍にとつて奉天會戰以來の大規模作戰

    37. 9. 5 日本軍、第一次攻撃:孤立してゐた上陸本部の側面を解放

    37.10.10 日本軍 ( 司令官=松井石根 ) :總攻撃 ( 第二次攻撃 ) ゼークト・ライン 突破

    37.10.22 國府軍前進壕の全縱深を崩壞さす

    37.10.26 國府軍防衛線最後の要衝・大場鎭陥落。國府軍、總退却へ ( 南京方面への潰走 )


   蒋介石は ドイツ軍事顧問團の手厚い支援を受けて日本軍撃滅に自信を持つてゐた。


    田嶋信雄 「 孫文の 『 中獨ソ三國聯合 』 構想と日本 1917-1924 」

     ( 『 戰間期の東アジア 國際政治 』 中央大學出版部、2007.6.28,第一章 )

    阿羅健一 『 日中戰爭は ドイツ が 仕組んだ:上海戰と ドイツ 軍事顧問團の謎 』 ( 小學館、2008.12.21 )

    F.F.Liu, A Military History of Modern China 1924-1949, Princeton U.P., 1956.

     ( 劉馥〈1919- 〉梅寅生譯 『 中國現代軍事史 』 台北、東大圖書公司、1986. )

    William C.Kirby, Germany and Republican China, Stanford U.P., 1984.

    中國第二歴史〈木當〉案館編 『 中徳外交密〈木當〉 1927-1947 』 ( 廣西師範大學出版社、1994.10. )

    近代史研究所資料叢刊11 ) 『 徳國外交〈木當〉案 1928〜1938年之中徳關係 』 ( 台北、近代史研究所、1991.4. )


   L日米通商航海條約と附屬議定書 ( 11.2.21調印 ) の 廢棄通告 ( 39.7.26 ) →40.1.26 失效

    土井泰彦 『 對日經濟戰爭 1939-1941 』 ( 中央公論社、2002.8.15 )


     「 今次大戰は……世界の指導的強國間に於ける廣域生存圏戰爭 」 ( 矢部貞治 『 新秩序の研究 』 昭和20年 )

     「 經濟封鎖によつて生存の危機に追込まれたため止むを得ず戰を決意したのが眞相 」 ( 瀬島龍三 )


   40.11. 5 FDR, 反戰平和を訴へて三選。→12.29 「 民主主義の兵器廠 」 爐邊談話

   41. 1. 6 年頭教書で 「 四つの自由 」 提唱

     3.11 FDR, 「 武器貸與法 」 に 署名

     4.13 日ソ中立條約、締結 ( モスクワ )

     4.16 日米交渉、開始:ワシントン で ハル 國務長官と野村駐米大使

     5.27 FDR, 國家非常事態を宣言

     6.22 獨ソ戰爭、開始:ソ聯の對獨戰備 ( 翌春攻撃開始豫定 ) に對する ドイツの先制反撃戰爭

       ( ヴェルナー・マーザー著、守屋純譯 『 獨ソ開戰:盟約から破綻へ 』 學研, 2000.8.16 )

     6.24 日本、南部佛印進駐を決定

     7.25 米國、在米日本資産を凍結。英蘭も追隨 →ABCD對日包圍網、完成

     8. 1 米國、對日石油輸出禁止。→對日宣戰布告に等しい事態!

       cf. イタリヤの エチオピヤ戰爭時、國際聯盟は對伊石油禁輸を 「 宣戰布告 」 に等しいとして採用せず

     8.12 米英共同宣言 「 大西洋憲章 」

     10. 1 米英、ソ聯に武器貸與を約束 ( モスクワ で議定書調印 ) →米に 「 將來の敵 」 を育てる癖あり!


    A.ジョージ F.ケナン 『 アメリカ外交50年 』 ( 岩波書店・同時代ライブラリー57, 1991.1.14, 76-77頁 ) : 「 我々は十年一日の如く、……日本に向つて嫌がらせをした。それは我々の原則が立派なもの……といふ不動の信念に基づいてゐた。だが日本の膨脹する人口、中國政府の脆弱性或は他の列強の野心に對する實效的對抗策といふやうな本質的な問題は ( 無視した ) 」


    B.スイス の外交官・歴史學教授 ブルクハルト の 述懷 ( ゲーレン 『 諜報・工作 』 讀賣新聞社,1973.3.5, 14-15頁 ) :

     「 獨日は ロシヤの擴張の天性の敵對者だ。ところがロシヤの擴張によつて最も脅威を受ける筈の英米が獨日の弱體化に全力を擧げてゐる。日英同盟の廢棄は全く二次的な北米の權益に對する極めて近視眼的且つ不吉な屈服と見える。ロシヤ に關する限り、日本は ドイツより遙に確實な要素だ、云々 」


  伊原註: ( 1 ) 反共の獨日を叩けば、歐米は直接ソ聯と對峙するほかなくなる、との冷戰の豫告

        ( 2 ) 自由と民主主義にとり 「 二次的な敵 」 ( 獨日は民族主義。∴擴張性は小 ) を叩いて 「 眞の敵 」 ソ聯 ( ニヒリズム で人權無視、國際主義・普遍主義→世界に擴散する危險あり ) を育てた


   M日米交渉に於ける英國要因:

     cf. 小谷 賢 『 イギリスの情報外交 』 ( PHP新書、2004.11.29 )

    1930年代〜 極東で對抗したのは既得權益を持つ英 vs.新興日本。米國の既得權益は極小に過ぎず

    對日情報・戰略・外交:英國が主役

    1940年代=歐洲戰線↑ →極東外交、選手交代 ( 英→米 )

    日米交渉=歐洲戰線で手一杯の英國に代り、米國が對日交渉したもの。ワシントン を介した英の對日外交


   英國から見た日米交渉=米に日本の對外擴張を抑止させ、極東で時間稼ぎ ( 對日對決先送り→英帝國維持 ) +米國捲込み ( 英支援へと仕向ける )

   英の見通し:日中和解あり得ず →日米交渉の決着もあり得ず


   發端:1940.11.ドラウト神父の來日。ドラウトの背後に元英情報部員ワイズマン/MI6 米支部 BSC スティーヴンソン あり

   1940年後半〜 英米、情報協力:日本の外交暗號 「 紫 」 を米チーム が解讀 「 マジック 」 +英チーム の獨エニグマ暗號解讀 →日本の外交電報解讀により、獨伊の内情が手にとるように判明

   英外務省、國務省の對日強硬派 スタンリー K.ホーンベック 極東部長や サムナー・ウェルズ國務次官と結ぶ

   英 ( 現實主義的 ) =日本の南進を防ぐため、支那事變に深入りさせ長引かせた

  米 ( 原則主義的 ) =日本を一日も早く支那大陸から撤退さす


   日米交渉の悲劇=極東に死活的利害を持つ英・シでなく、極東に利害を持たぬ米と交渉したこと

    日本には 「 悲劇 」 、英國には 「 僥倖 」 !


   英の情報蒐集・分析能力の發揮:日本軍の南部佛印進駐。實際に進駐する數週間前から制裁を檢討!

   41. 6.25 連絡會議、 「 南方施策促進に關する件 」 決定 ( 南部佛印進駐 )

     7. 2 御前會議、 「 情勢の推移に伴ふ帝國國策要綱 」 決定:對ソ戰準備・南進のため對英米戰を辭せず

      →大本營、關特演 ( 關東軍特殊演習 ) 名目で滿洲に 70萬の兵力を集中

     7.23 日・佛印間に南部佛印進駐の細目話合、成立

     7.25 米、在米日本資産を凍結: 7.26 英國/ 7.27 蘭印も日本資産凍結

     7.28 蘭印、日蘭石油民間協定を停止

     8. 1 米、日本を目標に發動機燃料・航空機用潤滑油の輸出禁止。→對日石油輸出、全面停止

     8. 7 豐田外相、近衞文麿・FDR 會談提議を野村大使に訓令

     8.17 米、日本の態度宣明が先決と回答……


   御前會議の決定を受けて松岡洋右外相が大島浩駐獨大使・建川美次駐ソ大使に送つた電報

    →英米に筒抜け

   英米は充分時間をかけて對策を檢討・實施できた


   N大東亞戰爭:支那事變解決のための戰爭? 支那事變とは別の戰爭?

    41.12.12 閣議決定: 「 今次ノ對米英戰爭及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戰爭ハ支那事變ヲ含メ大東亞戰爭ト呼稱ス 」

    クリストファー・ソーン 市川洋一譯 『 太平洋戰爭とは何だつたのか 』 ( 草思社、1989.3.10 )

    細谷千博・本間長世・入江昭・波多野澄雄編 『 太平洋戰爭 』 ( 東京大學出版會、1993.7.30 )

    奥村房夫編 『 大東亞戰爭の本質 』 ( 同台經濟懇話會、平成8.6.11 )

    本橋 正 『 太平洋戰爭をめぐる日米外交と戰後の米ソ對立 』 ( 學術出版會、2006.8.10 )


   O終戰への政治過程:

    Robert J.Butow, Japan's Decision to Surrender, Stanford, Stanford UP, 1954.

     ( 大井篤譯 『 終戰外史──無條件降伏までの經緯 』 時事通信社、1958. )

    細谷千博ほか編 『 太平洋戰爭の終結──アジア・太平洋の戰後形成 』 ( 柏書房、1997.9.10 )

    長谷川毅 『 暗闘:スターリン、トルーマンと日本降伏 』 ( 中央公論新社、2006.2.10/12.10 五版 )

    鳥居 民 『 昭和二十年 』 第一部 12冊〜  ( 草思社、1985.8.15〜 今猶刊行中 )

    有馬哲夫 『 昭和史を動かしたアメリカ情報機關 』 ( 平凡社、2009.1.15 )


  II. 大東亞戰爭の性格:

   @米國=太平洋戰爭史觀/ソ聯=帝國主義戰爭史觀/反 Fascism戰爭/シナ=抗日戰爭史觀

    "民主 vs.反民主" は大嘘 ( 反民主のソ聯を支援! )


   A米國の 「 東京裁判史觀 」 。海軍・外務省がこれに便乘して 「 帝國陸軍元兇史觀 」 をでっち上げ

    →兵頭二十八 『 「 新しい戰爭 」 を日本はどう生き抜くか 』 ( ちくま新書、2001.11.20,28-29頁 ) :アメリカ占領軍がやつて來て暫くすると、舊海軍と外務省は、占領軍である アメリカの力を借りて舊陸軍の勢力を國内から永久に掃滅しようと圖る。そのため讓つてならぬものを讓り、認めてはならぬものまで認める。

    米国=原爆を含めた都市無差別爆撃で國際法違反の住民殺戮をやつてゐて後ろめたいところあり

    舊海軍=日露戰爭以來、ひたすら省益のため、陸軍の對ソ戰を妨害し、對米戰コース に國内を糾合・誘導して祖國を遂に破滅させたといふ負ひ目があつた。

    脛に傷持つ兩者の合作が東京裁判であり、 「 舊陸軍が惡玉 」 と説く東京裁判史觀である。

     →だから絞首刑は陸軍將官のみで海軍軍人なし

     →米國の根性惡!  判決=天皇誕生日/處刑=皇太子誕生日


   B日本が勝つた戰爭:太平洋戰爭は完敗だが、大東亞戰爭は アジアの解放といふ戰爭目的を達成した

    木ノ下甫 『 大東亞戰爭大勝論:日本人よ生きかへれ 』 ( 山手書房、昭和59.8.15 )

    岩間 弘 『 大東亞解放戰爭:眞相は日本が勝つたのだ ( 上下 ) 』 ( 岩間書店、2003.8.8 )

    清水馨八郎 『 大東亞戰爭の正體:それはアメリカの侵略戰爭だつた 』 ( 祥傳社、平成18.2.15 )

    安濃 豐 『 戰勝國は日本だつた:米陸軍寒地研究所にて 』 ( 柏艪舎、2006.5.8 )

     → 「 伊原吉之助教授の讀書室 」 に紹介濟なので參照されよ

    新野哲也 『 日本は勝てる戰爭になぜ負けたのか 』 ( 光人社、2007.8.17 )


   C帝國海軍の戰爭:敵は米英? 帝國陸軍?

     cf.戰爭中の戲言 「 帝國海軍は全力を擧げて帝國陸軍と戰ひ、餘力を以て敵米英に當る 」

    戰後、東條英機が述懷 「 敵であるアメリカよりも海軍の方が恐かつた 」 ( 中村菊男 『 昭和海軍秘史 』 番町書房、昭和44.2.20, 118頁 )


  III. 對英米戰爭の敗因:

   @總力戰の時代に限定戰爭觀を以て臨んだ ( 西尾幹二 『 GHQ 焚書圖書開封 』 129頁 )

    富岡定俊 「 私はリミッテッドの思想でした。I大戰でもドイツは敗けたが天文學的賠償を拂ふ代りに10萬の軍隊を認め、主權も存續してゐます。そこでII大戰も限定戰爭で行くと思つてゐた。軍事專門家であるにも拘らず、この點に氣がつかなかつたことは全く申譯ないことだと思つて居ります 」 「 FDR はトータル・ウォーの覺悟で來てゐた。こちらは トータルの研究が足りなかつた 」 ( 『 昭和海軍秘史 』 94頁 )


   A米國の力に負けた: 「 米占領軍が恐れた日本國民の静謐 」 ( 西尾幹二 『 開封 1 』 51頁以下 )

    戰後の日本人は戰爭には負けたが、正義で負けたとは思はず。だから占領されても平靜を保つた。

  そして 「 何れ見返してやる 」 との復讐心を秘めてゐた。それを恐れた米占領軍は 日本弱體化政策を徹底

    檢閲→自己規制/焚書→日本の正義を訴へる書物を抹殺

    → ナツィス に匹敵する惡魔的非道行爲!

     cf. 紫雲莊 橋本徹馬 『 占領治下の闘ひ 』 ( 紫雲莊出版部、昭和27.11.1/12.20 三版 )


   B統一指揮の不在:

    1 ) 大日本帝國を亡ぼしたのは、指導者不在と官僚の跋扈である ( 伊原 )

     元老の死滅→帝國憲法の不備を補填し日本を纏める存在が消滅→てんでんばらばら

     辛うじて天皇陛下が鈴木内閣の 「 輔弼 」 宜しきを得て終戰に持込んだ


    2 ) 日本軍:戰術あつて政戰略なし/參謀あつて司令官なし

     理由 1 ) 帝國憲法の不備:虚=天皇に權力集中/實= 「 輔弼 」 の臣下が決定權を持つ

        元老が早い目に 「 憲法改正 」 をしておくべきであつた

     理由 2 ) 時と共に日本の國家構造が官僚制化し、ばらばらになり、省益が國益に先んじた


    3 ) 「 日本政府内に於ける機構上の缺陥が、日本が不幸な戰爭に入り、徹底的敗戰を喫するに與つて力あり。日本の政府機構では、民間が軍部を制する如何なる方法もなく、陸海軍の間に有效な調整を行ふ方法もなかつた 」 ( 『 太平洋戰爭始末記 USA戰略爆撃調査團報告書 』 ジープ社、昭和25.5.20, 110頁 )


   C大正の間違ひ、昭和を殺す:大日本帝國を亡したのは 「 民政黨の謬見 」 である

    岡田益吉 『 昭和のまちがひ:新聞記者の昭和史 』 ( 雪華社、昭和42.11.25 )

      〃  『 軍閥と重臣:新聞記者のみた昭和秘史 』 ( 讀賣新聞社、昭和50.12.10 )

      〃  『 危い昭和史 ( 上下 ) 』 ( 光人社、昭和56.4.7 )

    高橋亀吉・森垣淑 『 昭和金融恐慌史 』 ( 清明會出版部、昭和43.10.1 )  →講談社學術文庫


    中西輝政 『 國民の文明史 』 ( 産經新聞社、平成15.12.20 ) :

    大正期の過ちが昭和の敗戰に繋つた ( 262頁以下 ) :三つの失敗→國益守れず、政黨政治終焉へ

     1. I大戰前平價による金解禁:金融と デフレ による日本經濟 の グローバル對應

     2. 普通選擧の實施:大正デモクラシー と言はれた議會政治の改革

     3. 國際協調外交:幣原軟弱外交

     cf. 昭和史=立憲的天皇と獨斷專行陸軍の對立

     ( 江藤淳 『 もう一つの戰後史 』 講談社、1978.4.10,17頁〜 )


   D政治家が黨利黨略で動き、國防・外交の識見低く、軍人の政界進出を呼ぶ:

    馬奈木敬信 「 當時、日本の政治家の多くは國防知識に對する レベル低く、各國一流の政治家と比肩すべくもなかつた。黨利黨略に明け暮れ、國防論が尠かつたため、勢ひ軍人の政治進出となつた…… 」 ( 中村菊男 『 昭和陸軍秘史 』 番町書房、昭和43.5.30,57頁 )

   →伊原註:現状と全く同じ!


   E大日本帝國を亡ぼしたのは、海軍の省益追求と 下手な戰ひ方である

    1 ) 省益に終始した海軍:鳥居 民 『 日本開戰の謎 』 ( 草思社、1994.? ) →これも所在不明……


    2 ) 連戰連敗の海軍:佐藤晃 ( 陸士61期 ) 『 戰略大東亞戰爭 』 ( 星雲社、平成8.4.30,5頁 )

     *ガダルカナル戰當時の戰艦・航空母艦の日米比は壓倒的に日本が優位

     *開戰時12隻 ( 含武藏 ) を保有していた我が戰艦が撃沈した敵艦は、驅逐艦數隻のみ

     *開戰時16隻あつた 我が空母が沈めた敵空母は レキシントン・ヨークタウン・ホーネット3隻のみ ( 潛水艦 が ワスプ撃沈 )

     *眞珠灣を除いて對米海戰で勝つた事實はない。全敗である。

     *我が戰艦・空母は ( 長門を除き ) 全部撃沈された ( 唯一殘つた長門 は ビキニ環礁の核實驗で沈む )


    佐藤晃 『 太平洋に消へた勝機 』 ( 光文社、2003.1.10/05.6.25 三刷, 12頁 ) :

      「 何と馬鹿な戰爭をやつたものか 」 といふ人あり。

      「 何と馬鹿な戰ひ方をしたものか 」 といふべし!


    3 ) アメリカ合衆國戰略爆撃調査團:

      「 ミッドウェイから サイパン、 フィリピン、 沖縄と日本は連戰連敗した。日本軍人は勇敢、素質も優秀であつたに拘らず、太平洋の前哨基地は次々優勢な米軍に奪回された。駐日獨大使オットー曰く、 『 どの島を攻撃するかは米軍司令部が決めた 』 。誰であらうと一箇所に集中出來る敵に對抗し得るものではなかつた 」 ( 正木千冬譯 『 日本戰爭經濟の崩壞 』 日本評論社、昭和25.6.25, 119頁 )


    4 ) 補給線を無視した帝國海軍:驅逐艦・潛水艦の使ひ方を誤る

      「 1941〜45年の日本ほど海運に依存してゐた國は世界中になかつた 」 ( 『 日本戰爭經濟の崩壞 』 84頁 )

     にも拘らず、帝國海軍は、日本の補給線確保にも敵の補給線撃破にも消極的

      「 日本の經濟及び陸海軍力の補給を破壞した諸要素中、單一要素としては、船舶攻撃が最も決定的 」


       日本船舶撃沈數 1941-45年 ( 『 日本戰爭經濟の崩壞 』 89頁 )   ( 登簿トン 千トン )

                潛水艦     航空機     機 雷

      41.12.-42.10.   480 ( 71.6% )    123 ( 18.3% )    68 ( 10.1% )

      42.11.-43.10.  1,188 ( 74.1% )    374 ( 23.3% )    41 ( 2.6% )

      43.11.-44. 8.  2,150 ( 70.6% )    846 ( 27.7% )    51 ( 1.7% )

      44. 9.-45. 8.  1,043 ( 37.6% )   1,379 ( 49.7% )   353 ( 12.7% )

       合 計    4,861 ( 60.1% )   2,722 ( 33.6% )   513 ( 6.3% )


   大井 篤 『 海上護衛戰──太平洋戰爭の戰略的分析── 』 ( 日本出版協同株式會社、昭和28.3.5 )

    〃   『 海上護衛参謀の回想:太平洋戰爭の戰略批判 』 ( 原書房、昭和50.9.30 )

    「 太平洋戰爭の敗因の最も根本的なものは船腹の喪失・激減であつた。それによつて日本本土に所要の原材料を運んで來れなくなり、從つて戰爭を支へる經濟能力が衰弱し、枯れ果てたことにあつた。

    「 あの程度の船腹しか持たなかつた日本があれほど廣い海域をかけ廻らねばならぬ大戰爭を、少なくみても我に十數倍する國力を持つ米國を敵に、展開したことに根本問題があつた 」

    「 あの戰爭は典型的なまでに民族生存のためのものだつた筈。それなら國民經濟のミニマムを確保するための海外物資の確保が不可欠だつた。

  民族生存→通商保護 ( 海上護衛 ) →制海權確保→艦隊決戰 ( 重要度順の連鎖 )

   ところが現實には主客顛倒、艦隊決戰のため、海上護衛は後回しになつた 」


    5 ) 運を引寄せた日本海海戰 vs.運に見放された大東亞戰爭:

    日露戰爭:04.5.15 巡洋艦春日 ( 7700トン ) ・吉野 ( 4150トン ) 衝突、吉野沈没/戰艦初瀬 ( 14850トン ) ・八島 ( 12320トン ) が 觸雷沈没 →戰艦 6隻→ 4隻へ ⇒全海軍、氣分引締め猛訓練、勝利へ


    大東亞戰爭:必死の緒戰 ( ハワイ・マレー沖海戰・南方進攻作戰 ) 大成功 →奢つて運に見放される!

    ミッドウェー:見張り怠る ( 二段索敵せず ) /淵田美津雄、盲腸→友永丈吉大尉が統率 ( 經驗不足 ) 。第一波空中攻撃隊の總指揮官として、地上に敵機の所在も確認せず全彈を飛行場に投下。彼の任務は敵航空兵力の撃滅であつて、飛行場に穴を開けることではない。……地上に敵機を發見しなければ、洋上の孤島のことだから空中退避中と判斷してやり過ごし、一回りした後、敵機が着陸した頃を見計つて一網かける工夫があつて然るべき。友永大尉は爆撃後、敵航空兵力撃滅を仕損じたことに氣付き 「 II攻撃の要あり 」 と打電。→ミッドウェー作戰躓きの端緒! ( 『 眞珠灣攻撃總隊長の回想 淵田美津雄自敍傳 』 講談社、2007.12.8, 201-202頁 )

    1943年、日本の大型潛水艦 ドイツで 電波兵器・ジェットエンジンなど積み、歸國。シンガポール出港後、觸雷沈没

    陸奥の爆沈といひ、信濃の就役前の撃沈といひ、ついてゐなかつた……  ( 『 海軍秘史 』 169頁 )


   Fソ聯策謀論:共産主義者が浸透し、戰爭による潰し合ひ→敗戰→共産革命へ

    近衞文麿手記 『 平和への努力 』 ( 日本電報通信社、昭和21.4.1/6.25 再版 )

    近衞文麿公の手記 『 失はれし政治 』 ( 朝日新聞社、昭和21.5.15 )

    近衞文麿 『 大統領への證言 』 ( 毎日ワンズ、2008.12.25 )

    三田村武夫 『 大東亞戰爭と スターリンの謀略:戰爭と共産主義 』 ( 自由社、昭和62.1.20 )

    中川八洋 『 近衞文麿と ルーズヴェルト:大東亞戰爭の眞實 』 ( PHP研究所、1995.8.17 )

      〃  『 聯合艦隊司令長官 山本五十六の大罪 』 ( 弓立社、2008.6.10/8.15第四刷 )

 

    中川の論旨 ( 1 ) :滿洲事變と滿洲國の建國は アジアの平和に大貢獻した ( 幕末以來、北進が正しい )

     支那事變に始る 「 八年戰爭 」 ( 南進 ) は共産化・ロシヤ の侵略を促し アジアの平和にとって弊害夥しい

     ロシヤ は滿洲事變後、對日謀略を強化し、南進して英米と衝突するやう仕向けた。cf. ゾルゲ の派遣

     その手先:近衞文麿・尾崎秀實 ( 昭和研究會 ) +海軍 ( 米内光政・山本五十六etc. )

     ソ聯の手先の生殘りが戰後、眞相を抹殺。→日本人は あの戰爭の眞相を誤解した儘

    中川の論旨 ( 2 ) :ソ聯の對日工作と日本國内の親ソ勢力のソ聯迎合


    イ ) マルクス主義・リェーニン主義による 「 啓蒙 」 :資本主義・自由主義もそれを守る英米も 「 時代後れ 」 と宣傳

     1930年代の世界大不況+日本の不況が資本主義没落論を信じさせた/右翼まで社會主義化

    ソ聯 「 五箇年計劃 」 を譽め稱へ、統制經濟・計劃經濟の優位を信じ込ます/河上肇→近衞文麿

 

    ロ ) 天皇を擔いで皇室潰し:北一輝/近衞文麿 ( 支那事變→大東亞戰爭で親ソ反米を貫く )

     昭和研究會はソ聯の手先の巣窟/終戰時、近衞親ソ内閣でソ聯軍を迎へ入れる豫定だつた……


    ハ ) 陸軍 ( 主流反ソ・若手親ソ ) への浸透:1930櫻會→31滿洲事變→36二二六事件→37支那事變→41大東亞戰爭→關東軍を南方で消耗し、滿洲にソ聯軍を迎へる準備を整へる

     陸軍の徹底抗戰・本土決戰主張は ソ聯軍迎へ入れのため ( 親ソ抗米 )

     1945年に米との仲介をソ聯に頼んだのは、ソ聯と結ぶ用意


    ニ ) 海軍 ( 多數無關心・少數親ソ ) への浸透:米内光政・山本五十六ら。軍縮反對派が優勢化

     米内の罪=支那事變長期化・潰滅海軍に繼戰さす・特攻制度+特攻兵器で若者を殺戮

     山本の罪=眞珠灣は 米國挑發・ミッドウェーは米に制海權を賦與・ガダルカナルは日本軍の大消耗作戰

     山本五十六の大東亞戰爭=長岡藩の悲哀と屈辱に對する怨念と復讐の 「 第二次戊辰戰爭 」

     高木惣吉=第二昭和研究會にソ聯の手先を集める。矢部貞治・佐々弘雄・田中愼次郎・杉原荒太ら

      →石川信吾らと結託して 「 對米戰爭必至 」 の 雰圍氣を醸成


    ホ ) 支那事變で南進へ: 1938.4.1 國家總動員法

     慌ただしく南進を決める:41.6.22 獨ソ戰爭→ 6.24 陸海軍、南進決定 ( 北進阻止のため )


    ヘ ) 大東亞戰爭で南進完成:日本を米英と噛合せた


    ト ) 東京國際裁判で眞相曝露を避けるため、近衞文麿に自殺させた ( 牛場友彦が青酸カリ を渡す )

     1945.11.9 東京灣上:ソ聯工作員による 4時間に及ぶ近衞文麿訊問 ( 通譯=牛場/都留重人が同席 )


    チ ) 戰後、海軍の生殘りは歴史の改竄・眞相隱滅に狂奔


   中川の結論 ( 1 ) :大東亞戰爭=日本國に對する國家叛逆戰爭。祖國を、同胞國民の生命を スターリン の アジア共産化の手段に供した戰爭 ( 『 山本五十六の大罪 』 第六章 )


   中川の結論 ( 2 ) : アジア共産化に奉仕するため日米が戰つた無益な戰爭。日米兩國ともソ聯・スターリン に奉仕

    その犠牲=軍人の戰死者:日本將兵 210萬人/米國將兵 9萬人餘/シベリヤ抑留 105萬、死者55萬etc.

         國民も 空襲・原爆・戰闘の捲添に遭ひ、大量死!


  IV. 戰後なほ續く對英米戰爭:歐米の植民地支配は杜絶/だが歐米白人の世界支配は繼續中


   高山正之 ( 西尾幹二 『 日本人は アメリカを 許して いない 』 WAC, 2007.8.6, 281頁 ) : 「 90年代に米國に特派員として赴任して驚いたこと…… NY タイムズや ロサンゼルス・タイムズなど一流紙に日本が登場する度に once colonized here ( 曾てここを植民地支配した ) との フレーズ が付いてゐた 」


   @日本の近隣諸國に 「 反日 」 を刷込んで反目させた米國:

     「 滿洲事變以前の状態に戻す 」 筈の戰後處理で、千島・樺太をソ聯に與へ、朝鮮半島を國連管理に、台灣を蒋介石に與へ、日本が戰後、これらの諸國と反目するやう仕向けた。

    韓國が反日になつたのも、米占領軍の反日宣傳のせゐ


   A米軍の日本占領政策:反日史觀を日本國民に刷込む:

    江藤 淳 『 日米戰爭は終つてゐない:宿命の對決──その現在・過去・未來 』 ( 文藝春秋、昭和62.6.25 )


    ( 1 ) 初期對日方針:45.9.22 SWNCC150/4/A 「 日本國が再び米國の脅威となり、または世界の平和及び安全の脅威とならざることを確實にすること 」 /日清戰爭以前の農業國状態に戻す/憲法を含む法律制定/日本語の退化 ( 當用漢字・現代假名遣 ) /間接統治/檢閲/焚書……

    内閣告示 46.11.15 内閣訓令第七號 「 當用漢字表の實施に關する件 」

                〃 第八號 「 現代假名遣實施に關する件 」

    國語改革の狙ひ:日本國民を戰前の文獻から遮斷。つまり傳統の破壞

    米軍檢閲:江藤淳 『 閉ざされた言語空間:占領軍の檢閲と戰後日本 』 ( 文春文庫、1994.1.10 )

     秘密檢閲・事後檢閲→自己檢閲へ ( 今だに續く 「 自己檢閲 」 ! )

    米軍焚書:前掲、西尾幹二の 『 GHQ 焚書圖書開封 1/2 』

     焚書選定協力者 ( 『 焚書開封 1 』 26頁 ) :東大文學部と尾高邦雄・金子武藏兩助教授+牧野英一 ( 中央公職適否審査委員會委員 )

    皇室にも時限爆彈を仕掛ける:財産没収・皇族激減・ヴァイニング夫人による皇太子の洗腦etc.

    東京國際軍事裁判で 「 日本惡者史觀 」 を押付けた

     →日本が敗れたのは 「 戰後の戰爭 」 ( 西尾幹二 『 國民の歴史 』 産經新聞NS, 平成11, 28章 )


    ( 2 ) 初期對日方針の手直し:冷戰の到來/朝鮮戰爭の勃發→日本がら空き ( 軍事的空白 ) →日本武裝化

    警察豫備隊 7萬5000人+海上保安廳の増員8000人 →保安隊 →自衛隊 ( 米軍の下請け兵力 )

    下請け兵力の例:滿洲國軍・チャンドラ・ボース 率ゐる自由インド軍・ アウンサン率ゐる ビルマ軍etc.

     cf.51.1.1 マッカーサー の 年頭メッセージ 「 日本の憲法は、國政の手段としての戰爭を放棄してゐる……。しかしながら、國際社會の無法状態が平和を脅かし人々の生命に支配を及ぼせば、この理想は、餘りにも當然な自己保存の法則に道を讓らねばならぬことは言ふ迄もない。そして國際聯合の原則の範圍内で自由愛好諸國と協力しつつ、力を撃退するため力を結集することが諸君の責務となる…… 」


   B反撃した昭和天皇:昭和21年元旦の 「 人間宣言 」 詔勅に 「 五箇條の御誓文 」 を挿入

    昭和天皇 「 神格などは二の次の問題であつた。日本國民が日本の誇りを忘れないやうに、あゝいふ立派な明治大帝のお考へがあつたことを示すために、あれを發表することを私は希望したのです 」

     → 「 日本の甦りはここに約束された 」 ( 中西輝政 『 國民の文明史 』 277頁 )


   C占領軍は管理だけ。法制を變へてはならぬのに變へた。→日本國民孤立分裂策 ( 例:民法改正 )

    協力した日本人學者 ( 中西輝政 『 國民の文明史 』 277頁〜 ) =宮澤俊義・我妻榮・横田喜三郎


    宮澤俊義:ポツダム宣言を 「 八月革命 」 と規定し、新憲法を 「 革命憲法 」 、第一條 ( 天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であって、この地位は、主權の存する日本國民の總意に基く ) や第九條 ( 日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 ( 2 ) 前項の目的を達するため、陸海空軍其の他の戰力は、これを保持しない。 國の交戰權は、これを認めない ) 、國家主權・平和主義・基本的人權などに關はる條項は一切改正出來ない。 ( 東大法學部・公務員試驗で日本國民を洗腦し續けて現在に到る! )


    我妻 榮: 「 個人を超へる人間同士の繋りは全て桎梏なので、全て斷切るべし 」 と揚言。國民バラバラ化!


    横田喜三郎:横田法學= コズモポリタン法学。國家を敵視する 「 脱國家世界觀 」 。國聯中心主義。 「 今も外務省に取りついてゐる横田型脱國家世界觀こそ、日本外交が世界から相手にされなくなつた思想的元兇である 」 ( 中西輝政 『 國民の文明史 』 283頁 ) 。


    彼ら三人の共通點=明治國家への憎惡/大正デモクラシーの埋れ火

     「 大正が準備し、戰後が舞台に押上げた "恐るべき毒" が戰後を風靡した! 」

     ( 中西輝政 『 國民の文明史 』 284頁 )


   D 1951.9.8 調印の對日平和條約第11條を巡る吉田茂の闘ひ:英國の 「 日本の戰爭犯罪明記 」 案を回避

    英國案=日本が ドイツ と 共に侵略戰爭を遂行した戰爭責任を負つてゐることを前文に明記する。

        國内の右翼團體を取締、聯合國に協力した日本人への迫害を禁ずる。

        領土條項で沖縄の主權を放棄する、等


    吉田茂が猛反撥:勝者が敗者に押付ける形で平和條約を結ぶことの非を鳴らし、現在の形にした。

     第11條 日本國は、極東國際軍事裁判所並に日本國内及び國外の他の聯合國戰爭犯罪法廷の裁判を受諾し、且日本國で拘禁されてゐる日本國民にこれらの法廷が課した刑を執行する。これらの拘禁者を赦免し、減刑し、假出獄させる權限は、裁判所に代表者を出した政府の過半數の決定及び日本國の勸告に基く場合の外、行使することができない。


   E日米安保條約で米軍の占領續く: 「 日米安保=瓶の蓋 」 論/米中結託しての日本叩きが今尚續く

    71.10.22 キッシンジャー・周恩來北京會談 ( 毛利和子・増田弘監譯 『 周恩來 キッシンジャー機密會談録 』 岩波書店、2004.2.24, 195-199頁 ) : ( 簡明化のため、一部言葉遣ひを變へてある )

    周恩來:日本の翼には羽が生へ、今にも飛立たうとしてゐます。日本がひとたび軍事的膨脹の道を歩み始めたら、それがどこまで行くか、豫見できません。

    キッシンジャー :日本人は唐突に激變します。封建制→天皇崇拝→民主主義へ/我々の七月會談 ( 71.7.9 ) によって日本は前途不透明化しました ( 伊原註:米と離れ獨自路線を歩む 「 危險 」 を危惧! ) /自主防衛する日本は周邊にとつて危險な存在となりませう。強國になるから。だから私は日米安保が日本を抑制する瓶の蓋だと確信してゐます/米中雙方が日本を抑制することが大事です/日本の核計劃は望ましくなく、米國は反對/米國は日本 のアジア制壓を阻止するため戰つたのです。今更日本にアジア制壓を許したりはしません/日本が大規模な再軍備に乘出すやうなら、米中の傳統的關係が復活しませう/要するに米國は、日本の軍備を日本の主要四島防衛の枠内に押込むべく最善を盡します。

    71.12.20 エドワード・ヒース英首相が バミューダでニクソン大統領と會談:頭越し米中接近に苛立つ日本の牽制を談合

    72. 7. 7 I田中内閣成立: 「 頭越し米中接近 」 への反撥で生れた内閣。∴ 「 自立の恐れ 」 あり!

    72. 8.31 田中首相、ニクソン大統領とホノルル會談:日本の對中傾斜を牽制

    72. 9.16 ヒース英首相訪日。目的=經濟大國化した日本を自由陣營に引止めてをくこと

    72. 9.29 日中共同聲明:日中國交正常化。→キッシンジャー, 「 最惡の裏切 」 と 罵倒


   F戰後、日本が 「 經濟成長 」 で一矢報ひると、1985 プラザ合意 ( 圓高ドル安 ) と 「 構造改革 」 で反撃

    結局、日本は飼馴され、三宅市議説 ( 日本總督府+行政官僚 ) といふ米の屬國になり果てた?


   G日本國民の墮落:志の喪失。青年の姿勢が惡くなり、顔が下司つぽくなり、服裝がだらしなくなつた

     「 戰時中の若い兵士・パイロット の顔寫真! 日本人は曾てかくも美しく澄んだ表情をしてゐたのか! といふ驚き 」 ( 富岡好一郎 『 新大東亞戰爭肯定論 』 飛鳥新社、2006.8.15/12.10 二刷、63頁 )


  V. 美しく良き日本を亡ぼすな!:そのための基本 ( 國防と教育 ) を忠實に實踐せよ

   @國防:日米安保破棄・自立して米國と對等の條約を結ぶ


   A教育:基礎中の基礎=國語の習熟

    イ ) 家庭・地域社會の再建 ( 躾けの復活 )

    ロ ) 小學校:讀み書き算盤+修身/國語=國文 ( 情操教育 ) +漢文 ( 論理 )

    ハ ) 中學校:常識の基礎育成

    ニ ) 高 校:歴史教育の徹底。例、數學より數學史を教へること

     註:歴史は暗記科目に非ず。思考・判斷・決斷教育科目なり

    ホ ) 大 學:考へる能力の育成。問答を重視せよ

    ヘ ) 大學院:テレビ と パソコン を使はずに 「 調べ 」 「 書く 」 訓練を施せ


   B占領期の法令・制度改廢の一齊見直し

    とりわけ、選舉制度の根本的改定が必要。立派な指導者が登場できる體制へ


   C 「 昭和史觀の崩壞 」 :西尾幹二 ( 「 米國覇權と 『 東京裁判史觀 』 が崩れ去るとき 」 『 諸君! 』 3月號,24-37頁 ) =田母神論文の登場は 昭和史パラダイム の 轉換を告げるもの。

     ( 1 ) 昭和史=自閉的日本現代史。中西輝政:東京裁判史觀= 「 日本が何をされたか 」 を見ない史觀

     ( 2 ) 原爆を落された國が落した國に縋りついてゐる 「 奇妙な構図 」 !

     ( 3 ) 江戸時代と大東亞戰爭は連續してゐる。江戸時代に西歐列強 の アジア侵略は完結

     ( 4 ) 日本もそろそろ自立自存せよ。それには精神的自立が先決!