北京オリンピックの中国経済への影響

≪北京オリンピックの中国経済への影響≫

(中国を考える3)

天津社会科学院客員講師 古森崇史

1.はじめに

 現在、日本を始めとする多くの国で、2008年の北京オリンピック後に、中国経済は崩壊するという主張がなされている。

確かに、現在中国では、不動産市場等において、尋常とは思えない価格の上昇が起こっている。また、食料を始めとする日常必需品の価格の上昇も普通ではなく、多くの一般の中国人が対処に頭を悩ませている。よって、政府が、うまくマクロコントロールを行う事によりこれらの問題を解決していく必要が当然ある。

しかしながら、オリンピックを契機に中国経済が崩壊するという考えは、必ずしも正しいとは言えないと筆者は考える。


そこで、今回は、≪2008年中国経済の形勢(分析と予測)≫(社会科学文献出版社)に収められた、中共北京市委員会研究室の蔡兵の論文『北京オリンピックによる経済発展と展望について』を主に参考にしながら、北京オリンピックの中国経済への影響を考えていきたい。


2.オリンピックによる経済への影響について

 北京オリンピックは、北京の経済発展にどのような影響があるかについて、蔡兵は、以下(表1)のように分析している。


(表1)北京の経済発展に対するオリンピック経済の影響
期間 ベネフィット コスト
(1)オリンピック開催前 ・インフラの整備
・交通環境の改善
・産業発展
・オリンピック市場の開拓
・投資の費用
・オリンピック準備費用等
・機会費用(※)
(2)オリンピック開催中 ・旅行業界とその関係産業の発展・オリンピックによる収入 ・オリンピックの運営費用・都市中が混雑する・機会費用
(3)オリンピック開催後 ・オリンピック産業の発展
・会場等の運営による利益
・対外交流の増加
・会場や施設の維持
・機会費用

(出典)≪2008年中国経済の形勢(分析と予測)≫233頁

(※)機会費用(opportunity cost):経済学上の費用に関する基本的な考え方。例えば、ある財を生産するのに要する費用を測るのに、その生産によって犠牲にされた他の財の生産量をもってする。一般的にいって、あるものの価値を測るのに、そのものによって犠牲にされたものの価値を用いようとする考え方のこと。(出典:金森久雄編、≪経済学基本用語辞典≫43頁、日本経済新聞社)


 この表を参考にしながら、北京オリンピックの経済効果について、(1)オリンピック開催前、(2)オリンピック開催中及び(3)オリンピック開催後に分けて検討する。


(1) オリンピック開催前

 オリンピック開催前には、当然インフラの整備や交通環境の改善等が進む。これらがどれ位の経済効果を有するかについては、様々な見解がある。


 例えば、北京体育大学体育経済・産業教研室の林主任の見解によると、北京オリンピックの直接的な経済効果は、約3,500億元で、間接的な経済効果は、約2,500億元であり、北京オリンピック全体の経済効果は、約6,000億元という事になる。

 

また、オリンピック投資を三種類に分けて考える見解もある。この見解によれば、オリンピック投資には、「@オリンピックの会場の建設等だけをオリンピック投資とし、約280億元と見積もる考え。A@とオリンピックを開催するために新たに追加した都市建設項目をオリンピック投資とし、約1,349億元と見積もる考え。BAとオリンピックが行われなくても将来的には行うはずだったインフラの整備もオリンピック投資とし、約2,800億元と見積もる考え。」の三種類がある事になる。そして、これらの乗数効果を考え、北京オリンピックの経済効果を算出する。


 いずれの考え方を取るにせよ、北京の経済成長にオリンピック投資は大きな貢献をするが、中国全体の経済成長を考えた場合、それほど大きな貢献をしているわけではない。


(2) オリンピック開催中

 オリンピックの開催自体は、3週間にも満たない期間であり、開催期間に、それほど大きな収入が見込まれるわけではない。

例えば、≪2008年中国経済の形勢(分析と予測)≫(238頁)によれば、オリンピックによる直接の経済効率は、収入が16.25億ドル(このうちテレビ放映権等が最も多く8.33億ドル)、支出が16.09億で利益は0.16億ドルに過ぎず、それほど高いわけではない。


(3) オリンピック開催後

(3)−1 会場や施設の維持費用について

オリンピック開催後、オリンピックの施設や会場の維持費用は、今後大きな問題になるのではないかと筆者は、考えている。


 まず、宿泊施設について考えてみると、2006年度の北京市の海外からの観光客は、約390万人であるが、オリンピックを機会に、施設も整備され、北京の国際的知名度がさらに上がるため、ホテルを始めとする宿泊施設の需要は、今後も伸び続けるだろうという予測があり、今後の施設の運用についても楽観的な見解が多い。

具体的な予測数値については、様々あるが、政府関係者は、2008年の海外から北京への観光客は460~480万人前後で、国内からの旅行客は約1億人前後、2010年の海外からの観光客は500万人前後で、国内の観光客は1.1億人と予測している。

この他にも、政府が、北京オリンピック開催後も、金融・情報・物流・コンサルティング・研究開発等の分野と共に観光産業の発展のため更に力を注ぐため、観光産業の更なる発展は問題ないという考えもある。

しかしながら、日本を始めとして、世界の各国が、現在観光産業に力を入れており、北京オリンピックを機会に、観光客が増加するかどうかは今後の中国の努力次第である。


次に、会場について考えてみると、中国政府は、当然オリンピック開催後の会場の維持費の問題も考慮しているはずだが、新しく建設された会場は、特徴を出すために、独特の形をしているものが多いし、北京周辺は、空気が汚染されているため、建物の外側等は特に汚れやすい。このため、建物の外側は、熟練の職人が頻繁に掃除する必要があり、相当な維持費がかかると考えられる。

サッカーや野球の興行を将来このオリンピック会場で行って、興行的に成立するかどうかは疑問である。また、香港や台湾の有名歌手等のコンサートは、興行的には成立すると思われるが、どの位利益が出るかついての予測は難しい。日本でも、2002年のワールドカップ開催のために建てたスタジアム等の経営は、苦しいようだ。

建設されているオリンピック会場のうち、政府が投資したのは一部分という事であるが、今後、政府が管理するにしても、民間が管理するにしても、これらの問題を中国側はどのように解決していくかは注目されることになるだろう。


(3)−2 「オリンピック不況」について

いわゆる「オリンピック不況」が北京オリンピック後に起こるのではないかという点について検討する。東京オリンピックの時も含めて、以下(表2)のように、各オリンピック開催国の経済成長は、オリンピック開催の年又は開催1年前がピークであることがほとんどであり、開催後に、経済成長が鈍化し、場合によっては不景気になるのは、ほとんどの開催国に共通する事である。

よって、仮に中国の経済成長が、オリンピック後、多少鈍化したとしても、それは現在においても予想しうることである。中国側がどれだけその対策を講ずる事が出来るかが問題なのであり、多少の経済成長の鈍化が中国経済の崩壊を意味するわけではない。

実際、中国では、「オリンピック不況」が起きないように、政府が専門家によるチームを発足させ、あらゆるケースを想定し、対策を講じている。特に、バブルに関する研究を相当行っている。


(表2)開催国のオリンピック開催前後のGDP成長率
名称年度GDP成長率(%)
開催1年前開催年開催1年後
東京オリンピック196410.513.15.2
ソウルオリンピック198811.110.66.7
バルセロナオリンピック19922.50.9-1.3
トロントオリンピック19962.53.74.5
シドニーオリンピック20004.43.32.2
アテネオリンピック20044.64.73.7

(出典)≪2008年中国経済の形勢(分析と予測)≫232頁


3.結論

 以上の事を考慮すれば、北京オリンピック開催後、多少経済成長が鈍化し、またバブルが部分的にはじける可能性はあるが、中国経済が崩壊する程度のものではなく、今後も中国経済の成長は続くと考えられる。このような予測のもと、筆者は以下のように提言する。


「アメリカがくしゃみをすれば、日本は風邪をひく。」とよく言われるが、現在の日本は、認めたくない人も多いと思うが、少なくとも経済面に関しては、「中国がくしゃみをすれば、日本は風邪をひく。」という状況になってしまっている。このように、中国が、日本にとって無くてはならない経済のパートナーとなっているという現実を我々はまず直視しなければならない。

そして、このような状況下において、中国の悲願である北京オリンピック開催成功を願い、協力する事は、決して日本の国益を害する事にはならない。よって、日本は、北京オリンピックが無事成功するように、オリンピックの警備等も含めて中国側に包括的な協力をするべきである。

ただし、北京オリンピック開催に成功したからといって、中国がすぐに一流国家になれるわけでなく、一流国家になるための第一関門を突破したにすぎないという事を中国側も理解するべきである。


また、日本が北京オリンピック開催に協力する事は、日中間の国際関係において、日本にとっては大きなカードとなりうる。中国従属路線の福田政権でこのカードを有効に使う事が出来るかどうかは疑問が残るものの、間違っても、北京オリンピック不参加や北京オリンピック開催反対などに賛同し、このカードを捨てるべきではない。(2008年2月15日)