中国の歴史記念館に見る日中友好の阻害要因-岡本教授の時論・激論

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海南タイムズ  平成22年10月


中国の歴史記念館に見る日中友好の阻害要因


大阪国際大学名誉教授  岡本幸治


  最近、中国遼寧省を通過して北朝鮮国境沿いにロシア沿海部に入り、ウラジオストク(「東方を支配せよ」の意)などを視察してきたので、瀋陽(旧奉天)で見た九・一八(満州事変)記念館について紹介しておこう。広大な敷地をもつこの記念館は、満州事変だけでなく、日清戦争まで遡って日本帝国主義がいかに中国を侵略してきたかを示す国民教育施設であり、外国人も入場無料である。中共政権下で一九八〇年代以降に本格的に進められた資本主義的対外開放の結果揺らぎだした思想統一を、江沢民は反日教育の全国展開によって強化しようとした。その代表的な官製歴史観普及用の聖地がこれなのである。御丁寧に説明文に日本語訳まで添えられているのは、謝罪好きの日本人に対する教育浸透効果も狙っているのであろう。


  僕が格別興味を持ったのは、長大な展示の終わり近くに、四人の日本人が中国侵略に荷担した「ファシスト」として大きな写真入りで紹介されていたことである。四人の名は、頭山満、内田良平、大川周明、北一輝。この四人に共通しているのは、欧米のアジア侵略に対抗し、日中の提携によるアジアの復興を目指したアジア主義者であったという点にあるが、中共式歴史観によれば、中国侵略を鼓吹した代表的日本人となるらしい。


  孫文が生前最後の訪日となった神戸の講演前に面会を切望したのは頭山であった、その背後には失敗続きの不完全革命家孫文とその一統を、頭山が終始心身両面で支援したという事実がある。内田は頭山の弟分で、辛亥革命前後の混沌たる時期に革命派に最も手厚い物的・人的支援を行った民間人である。『支那革命外史』を著して革命支那と改造日本との提携協同によるアジアの独立と復興を強力に主張し、大隈内閣の対支二十一ヵ条要求を真っ向から批判した北一輝も、内田の支援によって辛亥革命直後の大陸に派遣されたのである。その革命体験は、のちに祖国日本の抜本的改造を主張した『日本改造法案大綱』に反映されている。上海で断食してこの原案を執筆中の北に日本からわざわざ会いに来て、支那よりも日本が危ない、帰国してアジア主義に基づく日本改造の啓蒙実践を指導してくれと頼みに来たのが大川周明であり、アジア主義者であったがために日本改造の必要を痛感していたこの二人の人物は、志を同じくする満川亀太郎の設立した猶存社に拠って、以後何年か同志として活動したのである。


  日華関係が悪化していた昭和十一年に、北は国民政府蒋介石のもとで外務大臣となっていた張群(北がかつて夫婦の日本留学の面倒をみて以来の同志であった)と会い関係改善を期していたが、彼が時期尚早と考えていた 二・二六事件の勃発で逮捕収監処刑され、その願いは空しく終わった。これらの史実は、ミネルヴァ書房刊の拙著(日本人評伝シリーズの一冊)『北一輝』にすべて言及してある。この四人のアジア主義者を、公共の歴史記念館でファシストと呼び中国侵略者とするのは悪意に満ちた歴史の歪曲であり、国内統一のために中共政府は「ウソも方便」を平気で重ねるとされて、日中友好の阻害要因となる。この記念館の展示物に示された歴史観は、正しい相互理解の上に安定した日中関係を築きたいと願っているまともな日本人を、嫌中に向かわせる逆効果記念館だ。日本の親中派には、こういう忠告をしてやる者が全くいないのか問題である。