新聞報道からこぼれ落ちた沖縄問題-岡本教授の時論・激論

> コラム > 岡本教授の時論・激論


海南タイムズ  平成22年6月


新聞報道からこぼれ落ちた沖縄問題


大阪国際大学名誉教授  岡本幸治


 日本の新聞は日々世界で起きている無数の出来事を「不偏不党」の偏見のない眼で選別し、それを読者に伝えることを誇りとし、多くの情報メディアの中で最も高い信頼を勝ち取ってきたように見える。毎日戸別配達される「情報のデパート」として便利至極でもある。しかし新聞が「社会の木鐸」であり、その報道が常にバランスのとれた信頼できるものだと思いこむのは危険である。


 僕がそのことに気がついた最初の経験は沖縄がらみの報道であった。といっても今から四十年以上も昔、沖縄がまだ米軍占領下にあった時代のことである。たまたま旅行社に勤務していた友人が支店開設に必要な仕事で那覇に滞在しており、商社を辞めて暇になった僕に遊びに来ないかと誘いがかかったのである。彼の下宿に泊まるからホテル代は不要。その分を飲み屋の支払いに向け、強い泡盛を安いコーラで割ってチビリチビリ飲みながら、民情探索に励んだのである。


 その甲斐あって分かったのは、沖縄の二つの地元紙やそれを情報源としているらしい本土の新聞などの沖縄報道には、大きな欠落部分があるという発見だった。沖縄県民挙って基地のない沖縄の実現を望んでいるという当時の新聞報道は一面的で、基地がらみで生計を立てている人が実に多いという事実であった。その後僕は大学の教師となり、返還直前の沖縄にゼミ旅行をした際に、学生に一つの宿題を課した。「間もなく祖国復帰が実現するはずの沖縄から米軍が完全撤退した時、沖縄はいかにして自立経済を実現できるか」という問いがそれ。


 「ハブ酒を増産して輸出し外貨を稼ぐ」から「本土の売春禁止法を適用しない特別地域とする」(これを僕は現実感覚に富むと評価して治外法権ならぬ「チン外法権」と命名したものだが)までいろいろあったが、沖縄が基地収入に頼ることなくやっていけそうな決定打は遂に出なかった。


 それは必ずしも我々の想像力不足・能力不足によるものではなかったこと、昭和四十七(一九七二)年に本土返還が実現して以後今日に至るまでの沖縄の歩みを見ればわかることだ。沖縄経済の大きな部分は、米軍基地の存在によって成り立つ「基地経済」であり続けてきた。それは米軍基地があるために生まれたさまざまな雇用やビジネスだけに限られてはいない。米軍基地のお陰で膨大な借地料・補助金その他が日本政府から支出されてきたのである。普天間基地を辺野古に移すという日米政府間の協定が自民党政権下でまとまり地元もそれを了承した時から今日に至るまでの間に、基地建設予定地の名護町だけでも千七百億円ものカネが落ちたと聞いている。


  最近の新聞報道を見れば分かるように、沖縄では住民挙って基地に反対しているというお話が溢れていたが、実は基地による地域の発展や収入増加に期待している者が、昔も今も少くないのだ。僕がかねて指摘してきた戦後日本の「三代目症候群」を絵に描いたようなわれらの首相は、最近「学べば学ぶほど」軍事的観点から見た沖縄基地の重要性に開眼されたらしい。学習意欲はおありの様子ゆえ、新聞では存在を抹殺されている感のある沖縄県民や首長の声なき声にも、自然に対するのと同様の優しき「友愛」精神の恩沢が及ぶよう、心からご期待申し上げる。