「太平洋戦争」と歴史観の見直し-岡本教授の時論・激論

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海南タイムズ 平成23年12月


「太平洋戦争」と歴史観の見直し

京都大学法学博士  岡本幸治


  今年は日本政府が「大東亜戦争」と呼んだ戦争勃発から七十周年に当たる。米国はこれを「太平洋戦争」と呼んだ。米国は対日戦争を太平洋で戦ったので、これを太平洋戦争と呼ぶのに不思議はない。ところが戦後の日本では、自前の呼び方を封印して米国式の名称に従っている。これは一体何故なのか。


  日本が大東亜戦争で戦った相手は英・仏・蘭・支など様々であり米国だけと戦ったのではない。日本の戦場は支那大陸、東南アジア、インド洋、豪州などの広範囲に及んでおり、太平洋に限られていない。これを米国式の呼称で呼ぶのは実態と乖離しており、明らかにおかしい(参照、『世紀末から見た大東亜戦争』プレジデント社、序章の拙稿)。


  ではなぜ今日に至るまでこのおかしな呼称が、マスコミでも歴史教科書でもまかり通っているのか。


  それは昭和二十年十二月十五日、占領下の日本においてGHQが発した「神道指令」と呼ばれる通達において、公式文書では米国の呼称を用いよと命じたためである。米国はその一週間前、真珠湾攻撃の日をわざわざ選んで、日本のすべての全国紙に対し、米国の歴史解釈を示した「太平洋戦争史」を十日間連続して掲載するように命じている。


  その「序」には「これによって初めて日本の戦争犯罪史は検閲の鋏を受けることもなく、また戦争犯罪者たちに気兼ねすることもなく詳細にかつ完全に暴露されるであろう。(中略)これらのうち何といっても彼ら(戦争犯罪者たち)の非道なる行為で最も重大な結果をもたらしたものは、『真実の隠蔽』であろう」とある。これは、日本人が過去に教えられてき「国史」はすべて「真実の隠蔽」からなっており、これから始まる「太平洋戦争史」のみが真実の歴史であると宣言したものである。(この年末に「国史」の授業に対して禁止通達が出されている)。


  その目的は、日本人の犯した数々の罪を教えこんで贖罪意識を植え付け、すでに逮捕が始まっていた「A級戦犯」を裁く「東京裁判」の正当性をあらかじめ宣伝することにあった。神か悪魔か、白か黒かを峻別したがる一神教の価値判断を濃厚に受け継いでいる米国は、「太平洋戦争」とは「自由と民主」を守るために米国が戦った正義の戦争であり、それに敵対した日・独は、戦争犯罪を重ねた悪魔の国であるとみなしていた。このような単純な二分法を基本に据えた歴史観が「太平洋戦争史」を構成しており、これが日本の指導層を裁く「東京裁判史観」となったのである。


  大東亜戦争をこのような単純きわまる米国史観によって解釈する見方は、情けないことに今日においてもなお「戦後教育」を受けた多くの政治家のおつむを支配している。近隣諸国から「歴史認識カード」を突きつけられると、正義の味方「水戸黄門」で葵のご紋を突きつけられた悪代官のように、ヘヘエと畏まるのだ。


  ナチスドイツに追われロンドンに亡命していたフランスのドゴール将軍は、大英帝国によるアジア支配の重要拠点であったシンガポールが昭和十七年二月陥落した際に、「これは白人帝国主義の長い長い歴史の終焉を意味する」という感想を記している。この戦争を境にして世界に起きた大変動(AA諸国の独立)をみれば、彼の感想が予言的意味をもっていたことがわかる。歴史観の見直しなしに日本の真生はない。