「前例」にこだわる核外交の愚かさ

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海南タイムズ  平成22年2月


「前例」にこだわる核外交の愚かさ


大阪国際大学名誉教授        岡本幸治


  官僚は「二レイ主義」(法令と前例)で生きている人種だと二カ月前に指摘した。さて外交というのは国民にとって最も見えにくく、わかりにくい政治の分野である。そのために、外務官僚が何をやっているのかについてはあまり関心がなく、メディアも首脳外交の公式声明を報道解説してお茶を濁すのが通常の姿である。


  私はかねてからインドの台頭に注目し、日本のアジア外交が、これまでの中国偏重型から、インドの重要性をもっと採り入れたものに再編すべきであると主張してきた。その点で外務省役人の好きな核に関する「前例主義」に文句を付けたいことがある。


  インドは一九七四年に核実験に成功した。毛沢東の中国はその十年前に核実験に成功しており、さらにその二年前の一九六二年には印中国境紛争があった。非同盟主義で平和が維持できると考えていたネルーのインドは、無惨な敗北を喫していた。インドの核は明らかに中国に対抗するためのものである。その後中国は、北京から遠く離れた少数民族の居住地で何十回もの核実験を行っている。


  日本はこれに対して一応の抗議はして見せるが、人道援助の一時停止を行う程度で済ませてきた。ところがインドが一九九八年に第二回核実験を行った際には、日本はODAの全面停止という厳しい制裁措置に出ている。インドに対しては核不拡散条約に加入せよと日本政府は言い続けてきたが、インドは国連常任理事国五カ国の核はそのままにして、未開発国の核実験を押さえ込もうとするのは根本的に不平等であるとして、加入するそぶりも見せていない。それに対する警告・苛立ちという意味合いもあったかと思われるが、日本にとって潜在的脅威である中国の核実験には優しく、友好国インドの核実験には厳しく当たるのが日本の「前例外交」であった。


  インドは九〇年代に入って経済自由化に踏みきったが、あいにく日本はバブルが弾けて内向きとなり、インド進出に後れをとった。遅まきながら九〇年代後半に入って日印の経済・貿易関係は上昇機運に向かいつつあったのが、この厳しいODA制裁で、経済は無論のこと、政治関係も一気に冷え込んでしまったのである。


  客観的に見てインドの核は日本にとってなんの脅威にもならない。むしろ中国核の牽制として有用ですらある。日本の国益から判断すれば、潜在的敵性国家である中国核には厳しく、衛生無害のインド核には優しく接すべきところであるが、これが逆になっている。その大きな理由が、「世界唯一の被爆国」である日本は、「核不拡散条約」の推進に努めなければならないという「前例主義」が、外務省役人のオツムを占領してきたからである。


  「非核三原則」を誇りにしてきた日本は、実は沖縄返還時の密約によって、実際は「二・五原則」に過ぎないことがとっくの昔に明らかになっている。インドの知識人は、日本は米国の核に依存しているではないか、我々は自力で安全を護らなければならない。だから核実験もしなければならないと言う。その通りだろう。、我々は核に守られながら核(実験)反対というごまかしの「前例」を、バカの一つ覚えでやり続けてきたのである。


  最近インドは、増大する電力需要を多数の原発建設によってまかなおうとしているが、日本は不拡散条約の縛りのために、市場参入に完全に後れをとっている。


  いい加減に、核に関する空疎な前例主義は卒業しようぞな、もし。