敗戦後遺症を引きずる「文化の日」を卒業せよ-岡本教授の時論・激論

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海南タイムズ 平成23年11月


敗戦後遺症を引きずる「文化の日」を卒業せよ

京都大学法学博士 岡本幸治


  独立国には国民の祝祭日というのがあって、その国の歴史・文化・宗教などに重要な関わりを持つ記念日を休日として国民こぞって祝うことになっている。戦後の日本には「国民の祝日」という法律があり、十一月三日は「文化の日」となっている。


  僕はかつて十一月になると大学生によく尋ねたことがある。「文化の日」は何を祝う日か、どんな文化を、どのように祝う日であるか、と。学生はきょとんとしてまともな答えが返って来たことがない。稀に「文化勲章を偉い人に渡す日ではないですか」と答える者がいるぐらいである。


  文化勲章の授与は昭和十二年に始められたが、戦前に勅令で定められた「国民の祝祭日」には「文化の日」などはなく、十一月三日に文化勲章の授与が行われたことはない。十一月三日は明治天皇ご生誕を寿ぐ「明治節」であった。明治とは、アジア諸国が欧州列強に植民地化・半植民地化される困難な国際環境の中で、司馬遼太郎が活写した子規や秋山兄弟を初め、日本国民が「坂の上の雲」を目指して自主自立自尊の近代国家形成に奮闘努力した時代である。


  それを記念する「明治節」を、占領下の法律で非歴史的な「文化の日」に改名したのはなぜか。昭和二十一年十一月三日はGHQが原案を作成した新憲法の公布日であり、「自由と平和を愛し文化をすすめる」という「文化の日」の意義付けは、実は新憲法の中身を圧縮した表現であった。この憲法は半年後の五月三日に施行されたが、その日も「憲法記念日」という祝日になっている。この憲法内容は実は対日初期占領政策の集大成であった。「日本が再び米国にとって脅威にならぬ国にする」ための重要な法典であったから、制定当初に九日しかなかった祝日のうち、二日も憲法関連の祝日になっているのだ。


  敗戦後の新聞雑誌でよく見かけるお歴々の文章を見ると「文化国家たれ」という主張が多い。この場合の文化とは戦争否定という意味が強かったのであり、その意義付けは新憲法の内容そのものであったのである。


  文化とはもと「文徳で民衆を教化する」という意味で、江戸期の年号「文化、文政」はその例であるが、近代以降はcultureの訳語として、文明開化やハイカラ・西洋風・高級・進歩的などを意味するようになった。民族文化を研究する文化人類学では「生活様式の総体」を指す言葉であり、高級とか進歩的とかいう価値観は排除されている。


  文化とはこのように多義的な言葉なのであるが、年一回「文化の日」に「すすめる」ことになっている文化とは一体何なのか。占領軍から下賜された有難い憲法の公布を記念して、相も変わらずそれを祝いたい日なのであるか。


  GHQの対日占領政策にとっては重要な意義があったが、日本国民が挙って祝うに足る歴史的意味を持たない「文化の日」はそろそろ清算して、これを「明治の日」としようではないか。そうすれば近代日本の苦難と栄光に満ちた明治を回顧し、しばし立ち止まって祖国のあり方に思いを致す有意義な祝日になるだろう。かつて昭和天皇のご生誕日を、国会が定めた「みどりの日」から、国民運動によって「昭和の日」に変えたのと同じ意義をもつ作業である。敗戦後遺症の脱却にも貢献するというものである。