「占領後遺症」という悪しき遺産を直視せよ-岡本教授の時論・激論

> コラム > 岡本教授の時論・激論


海南タイムズ  平成23年9月


「占領後遺症」という悪しき遺産を直視せよ

京都大学法学博士   岡本幸治


  米国の対日占領政策が本格的に始動したのは昭和二十年の九月、講和条約が発効したのは二十七年四月であるが、それから約六十年を経た今も占領政策の後遺症は日本政治を大きく拘束している。政治家は保守革新を問わず「改革」を叫んでいるが、目先の対応に汲々として、日本「真生」のために取り組むべき根本的課題が何であるかがよくわかっていない。最重要課題の一つは、過ぎ去った占領政策の拘束をキチンと認識することである。


  戦後政治は長らく保守と革新という言葉で色分けされてきた。この分類は「日本が再び米国及びその同盟国に敵対しない国にすることを確実にする」ことを究極目標として掲げた初期占領政策に由来するものである。これに飛びついて米国を「解放軍」として迎えたのがいわゆる革新であり、苦々しい思いで受け入れたのが保守である。


  米国の初期占領政策は、昭和十七年の夏にまず国務省内で立ち上げ、戦争の帰趨が明らかになった十九年以降に軍事占領を視野に陸軍省海軍省を入れた三省調整委員会(SWNCC)によって積み上げた政策文書が基本になっている。それは上からの指令による徹底的な日本改造を目指したものであり、僕は「占領革命」という表現が適切であると考えている。その中で最も重要な目玉政策は東京裁判と新憲法制定である。前者は過去の日本の全面的否定を目指したもの、後者は初期占領政策を改正困難な憲法に法典化することによって、初期占領政策の永続化を狙ったものである。わかりやすく言えば、日本の古い反動的木造建築物を一掃して更地にし、米国好みの「進歩的」コンクリート建築に置き換えようとした試みである。これに呼応して我が世の春が来たと勇み立ち、戦後日本の言論界・思想界を支配したのが「進歩的文化人」である。思想的には社会主義と左派自由主義の連合体であった。


  ところが昭和二十二年頃から冷戦対立が激化し、新たな敵であるソ連中心の社会主義陣営と対峙するために、米国の占領政策は大きく変化した。これ以後の後期占領政策の主眼は、左翼に好意的であった民主化を親保守に切り替え、日本を半永久的に米国陣営にとどめて太平洋における反共の防波堤にすることであった。従来の日本弱体化政策は放棄され、日本の安定化を促進する政策に大きく変わったのである。朝鮮戦争の勃発によってこの転換は決定的になった。徹底的な軍事解体を目指した初期占領政策は、今や日本再軍備指令へと百八十度転換した。右翼・国家主義者と見なした者を公職追放にした初期政策は、左翼(共産党)のパージに変じた。


  日本の実情を無視した初期の天下り革命の推進では日本の不満が高まるので、早期講和の締結が模索されるようになった。しかしそれと抱き合わせに、米軍の自由な基地使用を認める日米安保条約が締結された。左から右へのこの転換過程で保守は息を吹き返し、社会主義に好意的な革新は反米に転じた。ところがその後経済大国となった日本の政治家は、国家のために一命を捧げた戦士の御霊を祭る靖国参拝を中韓の批判を恐れて躊躇し、歴史認識カードを突きつけられると忽ち恐れ入るようになった。米国に自国の安保を全面的に依存したために米国に追随する「オメカケ外交」や、国際協調の美名のもとに進行しつつある対中「ポチ外交」などは、克服すべき占領時代の後遺症なのだということがわからない。このままでは二十一世紀の日本は迷走を続ける。