「転禍為福」  大天災を「日本真生」の出発点とせよ-岡本教授の時論・激論

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海南タイムズ  平成23年4月


「転禍為福」  大天災を「日本真生」の出発点とせよ


大阪国際大学名誉教授    岡本幸治


  三一一大地震巨大津波の爪痕がす早く修復整備され、まずは被災者に必要な物資と生活再建に必要なサービスが確実に提供される日の一日も早からんことを祈念しつつ、以下の感想を記したい。念頭にあるのは、この天災で突如として幽明境を異にしたあまたの同胞の死を無駄にしない ために、生き残った我々のなすべき課題は何かという問いである。


  三一一以後数日間テレビ映像に終日流れる凄惨な被災状況を見て、私の脳裏にまず浮かんできたのは大正末の関東大震災であった。首都圏の直下型地震であったために人的物的損害は甚大であった。その再建途次に昭和の金融恐慌次いで世界恐慌の人災に見舞われ、その後の昭和史は暗転した。三一一の天災は、勢いを失った平成史の暗転を決定づけるものになるのでは、という暗い思いがまず浮かんできたのである。


  次いで思い出したのは、昭和史暗転の果てに迎えた大東亜戦争の敗北によってもたらされた惨憺たる戦後の数年である。この時代に小学生中学生であった私にとっては、歴史教科書で知る抽象世界ではなく、生き延びるための食糧入手に辛酸をなめた厳しい現実世界であった。都会では戦災孤児と靴磨き少年、闇屋とパンパン(占領軍相手の慰安婦)、そして飢えた子供に菓子をばらまく羽振りの良い米軍兵士が眼に付く占領時代であった。


  ところが私が大学を出た頃には日本はすでに高度成長期にあった。商社に入った私の給料は毎年確実に上がっていった。六〇年代の終わりには、日本はGDPでドイツをも追い越し、その後長らく米国に次ぐ世界第二の経済大国の地位を持ち続けた。


  まなじりを決した時の日本国民の実行力には素晴らしいものがある。スターリンが日本敗戦の年に、蒋介石の息子でソ連滞在が長くロシア人を妻にした蒋経国を招いて面談したとき、「これで日本は二度と立ち上がれないでしょう」と言った蒋に対し、「いや十年以内に立ち上がる」と述べたことが記録に残っている。このソ連の独裁者は、かつて帝政ロシアの大軍を打ち負かし、短期間で満州国を整備して工業基盤を作り上げた日本人の創造的能力や、米英仏などの先進国を相手に物資不足に堪えて大東亜戦争を戦い抜いた団結力とねばり強さに、ひそかに高い評価を下していたのである。


  いや、敗戦後の日本人はダメだ。占領政策で背骨をへし折られ、高度経済成長でうつつを抜かし、一世代前の日本人がもっていた高貴な精神を失ってしまったと指摘する人々がいる。確かに、惨憺たる戦禍のな中から始まった戦後史において物質的繁栄、経済的福利が優先され、そのために失ったものが多々あることは否定のしようがないが、三一一後の被災者の振る舞いを見て諸外国のメディアや指導者が羨望の念を交えて賞賛したように、日本人の美質は未だに決して消滅してはいないのだ。


  つまり日本人の資質そのものが劣化したわけではない。しかしながら、ひたすら精神力を強調した戦時中の反動もあって戦後日本が物質的経済的価値の重視に傾き、便利快適な「文明生活」を追い求めたために見失った重要なものがあるという事実は否定できない。


  私は思う。このたびの天災で命を失った多くの同胞に酬いる最善の道は、戦後日本のあり方を根本的に見直してその足らざる処を克服する「真生日本」の構築にあり、これを二十一世紀の新たな国家目標としてその実現に精励することにある、と。これが禍を転じて福となし、犠牲者の御霊に酬いる最高の御供養にもなるのだ、と。