北朝鮮・朝総連で今何が起きているか
―朝鮮労働党新規約の特徴と三代世襲―
朴斗鎮
2011・7・11
はじめに
北朝鮮が現在総力を挙げて集中している作業は、三代世襲体制への安定的移行である。2012年に実現するとしている「強盛大国」もその土台作りと位置づけられる。
こうしたことからさまざまな「後継者情報」が乱れ飛んでいる。今年も年初から「金正恩訪中」が騒がれたが、結局訪中したのは金正日総書記(5月20日から27日)であった。
北朝鮮権力中枢に関する誤情報は、今回に限ったことではないが、その原因の一つは北朝鮮に対する基礎研究、特にはその権力構造に対する研究が不十分なところにある。そうした意味から、3代世襲決定後の権力構図と後継者権力の行方を朝鮮労働党の新規約から読み解いてみる。
1、朝鮮労働党が「金日成の党」に変質するまで
周知の通り、北朝鮮の権力体制は、指導者の体質がそのまま政治に反映する「首領独裁制」という極めて特異なものだ。そこでの最高「戒律」は「党の唯一思想体系確立の十大原則」である。この「戒律」を知らなければ北朝鮮では政治的生命を維持することはできない。時には肉体的生命までも抹殺される。
この「戒律」を三代世襲体制という新たな権力体制に具体化し明示した「公文書」が昨年9月の朝鮮労働党代表者会で新たに採択された「朝鮮労働党規約」である。この規約では、朝鮮労働党を金日成の党と規定し、マルクス・レーニン主義の文言を跡形もなく消し去った。また金正日の絶対権力が明記され、朝鮮労働党の新たな権力構図が示された。
ではまず朝鮮労働党が、「金日成の党」に変質する過程を見てみよう。
第1回大会(1946年)で採択され、2回大会(1948年)で改定された規約では、朝鮮労働党について「朝鮮勤労大衆の利益の代表者であり擁護者」と定義され、1956年の第3回大会では、「わが国の労働者階級と全勤労者大衆の先鋒的、組織的部隊、朝鮮人民の革命的伝統の継承者」と定義されていた。
そして「8月宗派事件」(1956)を克服したことで「勝利者の大会」と位置づけられた<>第4回党大会(1961年)では、「わが国の労働者階級と全勤労者大衆の先鋒的、組織的部隊」「マルクス・レーニン主義を活動の指導的指針とする党」との規定の他に「抗日武装闘争の栄えある革命伝統の直接的継承者」との文言が追加された。これは第1回党代表者会(1958)で抗日武装闘争だけが朝鮮労働党の「革命伝統」と規定したことを受けたものであった。それでもここまでの朝鮮労働党は、金日成の反対勢力に対する過酷な粛清があったものの、他の社会主義国家と同じように、指導者は党と国家の下位に位置していた。
これが逆転し、党と国家の上に指導者(個人)が君臨し始めたのは1967年の朝鮮労働党第4期15回中央委員会全員会議での「革命と建設における首領の決定的役割」(5・25教示)が採択されてからである。
北朝鮮権力の私物化はここから始まった。それは1974年に金正日の後継者内定後に出された「党の唯一思想体系確立の十大原則」で金日成が神格化されることによって一足飛びに進められた。そして第6回党大会(1980)での金正日後継公式化によって父子を共に神格化する道に入った。
こうした過程で、朝鮮労働党の「指導思想」といわれるものも大きく変化した。
第4回党大会(1961年)までは、他の社会主義国と同じくその指導思想は、「マルクス・レ―ニン主義」と規定されていたが、第5回大会(1970年)では「マルクス・レ―ニン主義をわが国の実情に創造的に適用した金日成の主体(チュチェ)思想」となり、第6回党大会(1980年)では「「朝鮮労働党は偉大な首領金日成同志の主体(チュチェ)思想、革命思想によってのみ指導される」と規定し「マルクス・レ―ニン主義」と決別した。
昨年の党代表者会で採択された新規約ではそれを一段と明確にし、「朝鮮労働党は、偉大な首領金日成同志の革命思想、主体思想を唯一の指導思想とする主体型の革命的党である」と規定し、共産主義の用語まで削除した。
北朝鮮社会はいま時間と共に後退している。この後退は、首領(個人)が、党、国家、軍隊、さらには思想までも私物化したところから始まっている。近代に入って時間と共に後退する社会は多分北朝鮮だけだろう。
2、党新規約の特徴
新たに改定された朝鮮労働党規約は、朝鮮労働党を王朝的軍事独裁の党へと変質させてきた内容を正当化し整理完成したころに最大の特徴がある。
1)変質した党の性格
朝鮮労働党新規約序文では、「朝鮮労働党は偉大な領袖金日成同志の党である」と規定し、北朝鮮を「金日成朝鮮」と呼称した。この変化の意味するところは、朝鮮労働党が労働者階級の党ではなく金日成を始祖とする「金日成朝鮮」の王権を守る党になったということだ。
新規約序文ではまた、2010年に修正された憲法同様、「先軍思想」を「チュチェ思想」とともに党の思想と規定し、金正日を金日成と並ぶ領導者とした。これは世襲権力体制が朝鮮労働党の権力継承方式であることを規約の中に明示したもので、3代世襲を進める上できわめて重要な意味をもつ。
「先軍思想」が党の思想と規定された意味は、核武装を軸とする「先軍政治」が今後とも北朝鮮の基本政治形態となったということだ。このことは、昨年4月の改定憲法でも明示されていたが、党規約で規定されることによって、この路線が何人も犯すことの出来ないものとなったのである。
ではこの核武装路線で北朝鮮が狙うものは何か?それはほかでもない韓国の併呑である。この点はこれまでの規約と全く変わりない。新規約序文では党の当面目的と最終目的を「朝鮮労働党の当面目的は、共和国北半部で社会主義強盛大国を建設し、全国的範囲で民族解放民主主義革命の課題を遂行するところにあり、最終目的は全社会をチュチェ(主体)思想化して人民大衆の自主性を完全に実現するところにある」と規定した。
2)金氏王朝の僕(しもべ)となった党の地位と役割
朝鮮労働党の地位は、序文で示されただけでなく規約条文でも明確に示された。
それはまず、党大会が最高指導機関(21条)から「指導」が削除され単なる最高機関となったことである。すなわち党員と党機関は党大会の指導ではなく、首領である総秘書(書記)個人の指導を受けなければならないということだ。これは党よりも総秘書(書記)が上位にあることを示したものだ。
そのために、新規約では22条を新たにもうけて総秘書の項目を追加し、「朝鮮労働党の総秘書(書記)は党の首班である」とし、「朝鮮労働党の総秘書は党を代表し全党を領導する」と規定すると共に、党総書記を選挙ではなく推戴する(21条4項)とした。
党の役割も変化し、党の軍に対する指揮権も削除され軍の私兵化も明確にされた。
6回党大会での規約27条では「党中央委員会軍事委員会は、党軍事政策遂行方法を討議決定し、人民軍を含む全武力強化と軍需産業発展に関する事業を組織、指導し、わが国の軍隊を指揮する」となっていたが、新規約では「指揮」が削除され、「党中央軍事委員会は党の軍事路線と政策を貫徹するための対策を討議決定し、革命武力を強化し、軍需工業を発展させるための事業をはじめとして国防事業全般を党的に指導する」とだけ規定されている。
軍を指揮するのは唯一国防委員長の権限となったということだ(国防委員会ではない)。2009年の憲法改定で国防委員長を国防委員会から分離し、国家の最高指導者として唯一統帥権を行使できるようにしたのもそのためだ。そして「朝鮮人民軍は党の偉業、チュチェ(主体)革命偉業を武力でで擁護保衛する首領の軍隊,党の先軍革命領導を最先頭に立って奉じて行く革命の核心部隊、主力軍である」(46条)と規定された。軍は党の軍ではなく首領の私兵となったのである。こうして金正日のみが党、政府、軍の上に君臨できる完璧な一人独裁体制が規約として明文化された。
また党員資格の規定にも私党化は示された。第6回大会での規約ですら「朝鮮労働党党員は、党と首領、祖国と人民のため、社会主義と共産主義のために献身する主体型の共産主義革命闘士である」(1条)と首領よりも党を上に置き、祖国や人民にも献身することを求めていたが、新規約では「朝鮮労働党員は、偉大な首領金日成同志が開拓され偉大な指導者金正日同志が導く主体(チュチェ)革命偉業、社会主義偉業のためにすべてを捧げて闘う主体型の革命家である」と金日成・金正日にだけ忠誠を誓うことが党員の資格と規定され、党員もまた首領の僕(しもべ)となったのである。
3、党新規約と3代世襲
朝鮮労働党の私党化完成によって、世襲後継体制構築にも変化をもたらした。それは何よりも世襲を正当化する「後継者論」をも不必要なものにしたということだ。
金正日が後継者として登場した当時は、まだ社会主義陣営が存在し、その指導思想はマルクス・レーニン主義であった。こうした状況下で国際的にも国内的にも権力の世襲を行なうには多くの困難があった。この困難をとくほぐしたキッカケは、中国共産党が1969年4月の第9回中国共産党大会(「9全大会」)で、規約の中に後継者として林彪を明記したことであった。そして北朝鮮では世襲後継を正当化する「後継者論」が作成され、国内外への説得が始まったが、それには約10年という長い歳月を要した。
しかし金正日によってマルクス・レーニン主義も共産主義も捨て去られ、党も国家も軍隊も私物化された状況ではこのような複雑な手続きは必要なくなった。
首領がすべてを決定し、その決定を奉ることだけが忠誠の証として賞賛され、「ウリ式」ですべてが正当化できる状況の下で、「後継者論」などという回りくどい説得も手続きも必要なくなったということだ。後継者もただ首領が指名するだけですべてが決着することになったのである。
1)金正恩後継公式化過程の特徴
私党化完成の下で進められた金正恩後継公式化の特徴は、一言で言って王朝的独裁国家の後継者選定、すなわち上意下達による「皇太子擁立」であったということである。そこではマルクス・レーニン主義も国際共産主義も、金正恩の業績も関係なかった。強調されたのは「血統」だけである。
2)改定「党規約」で示した金正日の権力継承スタイル
改定された規約から伺えるもう一つの特徴は、金日成と共に金正日が絶対化され、金正日にすべての権力を集中した上で後継者体制を敷くというところにある。したがって後継者権力の構築は金正日の時とは大きく異なるものとなっている。それは一言で言って金正日レイムダック防止を優先させた権力継承だということだ。すなわち、金正日が死亡するまでは権力の分離移譲が出来なくなったということだ。金正恩には「後継者唯一管理」という「摂政」の権限は与えられていない。
そこには「沈む太陽」になりたくないという金正日の強い意志が働いている。
*金正日が後継者となった時は、「後継者唯一管理制」という絶大な権力を手にした。
金正日はその権力によって父親の権力をもぎ取っていった。が今回金正恩に与えられた権力は、
党軍事委員会副委員長という絶対権力とは程遠いものである。
*現在、金正恩は、国家安全保衛部、人民安全部など主に警護・、
治安部門の権力を任されているがすべてが金正日権力の枠内にある。
そうとはいえ一方で金正日は、自身の有故時、速やかに金正恩への権力継承手続きが行なわれるようには準備した。朝鮮労働党新規約での党大会開催時期の条項を削除し、「党大会は党中央委員会が召集して党大会召集日は六ヶ月の前に発表する」(21条)としたのもそのためである。
*党大会の開催は、はそれまでの規約では「党大会は、5年に1回、党中央委員会
が招集する」「必要に応じ党大会を規定された期間より早く又は遅く召集すること
ができる」と規定されていた。
金正日はまた、党代表者会の権限を「党の路線と政策、戦略戦術の重要な諸問題を
討議決定し、党中央指導機関構成員を召還し補選する」「党代表者会は朝鮮労働党最高指導機関を選挙したり党規約を修正補充することができる」(30条)と最高指導機関を選挙出来るように強化し、権力継承の迅速性を担保した。
4、金正恩権力構築の前に立ちはだかる障害
1)困難な国内状況
現在、金正恩が引き継ぐ課題は多難なものばかりだ。端的にいって食料、エネルギー、外貨が決定的に不足している。また住民の金正恩に対する信頼度も高くない。彼の前に提起された困難な国内状況をいくつか挙げると次のようなものがある。
@再生不可能な経済
1980年代末、いわゆる社会主義市場が崩壊し、すでに20年が過ぎ去ったにもかかわらず、北朝鮮は依然として3大不足―食糧、外貨、エネルギー―を解決できないでいる。
食料配給中断により300万人の人々が餓死したという「苦難の行軍(1995〜1997)」以降金正日政権は、毎年世界各国に対し、食糧支援を訴えている状態だ。
電力と資材不足により、主要企業と工場の稼働率は、30%内外という。最近は中国との経済協力の幅を広げ多少の支援を受けているが、「2012年強盛大国の大門を開く」ための食料問題の解決と配給制の復活は不可能な状況である。
特に金正恩が主導したとされる2009年11月の「貨幣改革(デノミ)」の失敗は、「苦難の行軍」以後、個々人が自力で築いた市場依存的生産力を一挙に崩してしまった。その結果、国民の金正日政権に対する不満を高め、反政府的「民意」を生み出させた。
A軍事部門の肥大化
金正日によって確立された「先軍政治体制」は軍部の特権化と権力化をいっそう強化し、「第二経済(軍事経済)」が北朝鮮経済全般を支配する状況をもたらした。
資金、資源、労働力の配分は、第二経済優先で、第一経済(国民経済)は副次的位置に転落している。こうしたことから北朝鮮に対する大規模援助はすべて「軍事援助」とみなすことが出来る。それゆえ国連制裁下にある北朝鮮に対しては中国さえおいそれと援助できない。
B深まる南北格差
金正日時代に入って南北間の経済的格差は深まり、北に対する南の経済力は30倍以上に膨れ上がった。核とミサイルによる「火の海」発言で南に対する脅迫を叫んでいるが、北朝鮮住民の南認識は根底から変化を見せている。
このような状況の下では、北朝鮮住民の後継者に対する忠誠心を引き出すことはできない。
C蔓延する腐敗
現在の北朝鮮社会では、「お金さえあれば買えないものはない」から「お金さえあれば出来ないことはない」という状況に変わっている。
賄賂(ワイロ)は一般的社会現象となり、ワイロを使えば旅行証明書、居住地移動、大学入学、兵役免除、入党資格取得など、いかなることも可能な状況である。不正腐敗は各界各層に蔓延しており、麻薬と売春は青少年にまで浸透している。いわゆる「社会主義道徳倫理観」はすでに崩れたといえよう。
*万景台金日成生家事件と社会安全部長朱相成の解任
2)難しい偶像化作業
金正恩後継体制構築の難関は、北朝鮮の政治経済的苦境だけではない。その偶像化作業の難しさにもある。
@未熟な金正恩
金正日が脳卒中に倒れた2008年以降、金正日によって進められた党、政府、軍の私物化によって後継者の決定はいともたやすくスピーディに成し遂げられた。しかしスピーディであった分だけその権力基盤は脆弱だ。党、軍、政府の組織、人事、経済運営、社会統制、監視網作戦、対南工作等をを具体的に学習したとはいえない。父金正日は、健康で強力な指導力を持った祖父金日成の下で30余年間(1964〜1994)帝王学を学習しただけでなく、実際の仕事を通じて成し遂げなければならない役割を遂行する能力も身に着けた。
このような父に比べれば、息子金正恩の帝王学は、いまだに初級水準にあるといえよう。今彼を偶像化している内容は「花火の天才」「砲術の天才」「コンピューターの天才」といった修飾語のレベルのものに過ぎない。
A複雑な「家庭」
母親が正室でもなく在日出身であるため「革命家系」の宣伝が出来ないでいる。金正日の時のように父母がパルチザンだったということや、母親が革命家だったというようなプロパガンダを行なえないでいる。また本人も正室の子でもなく長男でもないため「革命家系」の偶像化に困難が生まれている
*日本で流布されている高英姫が高太文の娘・高春幸であるという説が完全に間違っているということが、最近われわれのルートで現地確認された。
現在高春幸は、平壌市中区域トンアン洞で、夫チョン・ヒョンソン氏(1972年3月、163次帰国船で帰国、2005年10月現在平壌機械大学学部長)と暮らしており、二人の息子(ジンヒョク、クァンヒョク)がいる。
また奔放な兄たちの存在も「革命家庭」偶像化を困難にしている。
むすび 3代世襲体制と朝鮮総連
金正日が北朝鮮の指導者として登場した後、朝鮮労働党は「金父子」による私党化の道をまっしぐらに進んだ。この過程で朝鮮総連も「金父子」の私物に転落した。
朝鮮総連では、3代世襲に関する特別な作業は行なっていない。北朝鮮の発表に従っているだけだ。下僕(しもべ)は従うだけでよいということだ。これは金正日が後継者に決定された時とは大きな違いだ。
金氏王朝の下僕に貶められた朝鮮総連はいま、3代世襲体制安定のために奔走している。特に来年の韓国2大選挙に大きな力を注いでいる。在外韓国人が投票権を行使できるようになったからだ(朝鮮総連の中には韓国籍の人もいる)。
そして韓国政府に「太陽政策政権」を復活させようとしている。韓国に「6・15共同声明」を支持する政権を誕生させないかぎり、北朝鮮後継体制が定着できないとことを、李明博政権によって骨身に感じさせられたからだ。
了