日亜協会 第124回例会のご案内
中国は1980年代以降、靖国参拝問題と歴史認識問題を最も安上がりかつ効果的な対日外交カードとして用いてきた。安倍首相が訪中で示した靖国参拝曖昧戦術で靖国問題は当面後退したと思われるが、歴史認識カードを簡単に手放すことはないと思われる。
江沢民は90年代に盛んに「歴史の鑑」を持ち出して、国内においては「反日愛国主義」を高揚させ、対外的には日本の度重なる謝罪声明を引き出して、対日優位外交を確かなものにした。その際に最も活用されたのが、いわゆる「南京大虐殺」である。
中国近代史の専門家である今回の講師は、国民党の原資料を解読することによって、南京事件をめぐる従来の諸説の空白部分や定説化されていた考えに鋭く切り込み、多くの誤りがあることを指摘されたが(『南京事件の探求』文春新書)、これが外国においても注目され、最近英訳本がアメリカで刊行された。この機に、確かな学問的視点を踏まえて、南京事件をその原点から問い直すこととしたい。
日時:平成19年2月2日(金)18:20〜20:30(18時開場)
会場:大阪市立総合学習センター(大阪駅前第2ビル 5階第4研修室)
電話06−6345−5000 ・06-6345-5019
会費:千円 二次会(侃々諤々の交流会)は、同ビル二階北西隅「北大会館」
講師:北村 稔 立命館大学教授 日亜協会理事
演題:南京事件研究への新しい視角:連合国裁判でなぜ南京事件は捏造されたか
<会員各位>
* 本会の会計年度は5月から翌年4月までです。平成18年度分の会費未納の方がまだおられます。本会は会費以外には特別の収入をもたない組織なので、早期の会費納入によろしくご協力下さい。
* 本会はアジアと日本の正しい認識と関わり方に関心のある市民に、広く門戸を開いている自由参加の民間団体です。入会希望者は、案内表記の事務局へ連絡下さるか、例会に直接おいで下さるようお伝え下さい。会の目的や役員、これまでの例会内容などについては、案内表記のホームページをご覧下さい。
レジュメ
2007、2 、2 日亜協会 北村稔
「南京事件」をめぐる論争の国「ーその過去と現在
・ 論争の背景
(1)1937年12月、日本軍による南京占領→国民党国際宣伝処
米国を引き込むための宣伝政策
日本側の危うさ→戦争の実体に対する情報管理の不味さ→百人斬り
(2)1945年−連合国戦争犯罪裁判
A級 B級 C級
戦勝国による(1)の再演と処罰
「南京事件」をナチのホロコーストと同一視しようとする→現在の欧米に
おける研究の基本的姿勢
松井大将をA級戦犯として起訴→不可能が判明してB級として処刑
向井、野田両氏をC級として処刑
国民党による戦勝儀式→政治裁判・冤罪→忘却、台湾との国交
日中国交回復後の左翼マスコミの悪のり→論争の発生
台湾、中国の参加
・ 我々のとるべき対処方法
事実の確認 → 中国側は「感情の歴史」で対抗
(南京占領中の日本軍による食料配付、新聞記事の書きかえ)
・ 中国人の特異な歴史認識
「正史」とは何か? 嘘による自らの正統性(正当性)の主張に尽きる
伝統による洗練、「孫子」に驚嘆すべし!
忌避の伝統
”Prelude to Nuremberk”〈ニュールンベルクへの序曲〉
(Kochavi,North Carifornia Univ.Press=j
『BC級戦犯』(岩波、2005年6 月)の著者・林博史「連合国戦争犯罪政策の形成ー連合
国戦争犯罪委員会と英米」は二番煎じ也
UNWCCー連合国戦争犯罪委員会の成立(1943、10、20)
当初は調査機関ー告発機関への発展←イギリスの危惧
3つの分業部会 第一部会ー事実集め 第二部会ー裁判体制 第三部会ー司法解釈
WAR CRIMEに対する包括的な定義は戦争終結集結までなかった。
戦争法規違反、占領地でのアトロシティー 捕虜虐待(漠然とした概念)
具体的な事例を実際には呈示しえず、何が戦争犯罪なのか?
イギリスのライト卿(後ちにはUNWCC議長)は、「過去に比べて戦争実態が変化した
ので、第三部会の答垂ヘ第一部会へのガイドラインを提供するものである」と述べるに留
まる。
【最大の懸案は】、「侵略戦争は戦争犯罪」か?(aggresive war は
war crime?かであったが、戦争終結まで決着は出ず。
1944年3月にチェコ代浮フエチェルが初めてこの問題を提起
エチェル(Ecer,Bohuslav.1939年にチェコ脱出、亡命政府の法律顧問)
は第三部会で、「枢軸側(の戦争)は〈戦争の法と慣習〉の根底にある人道的配慮を踏み
にじり、その戦争目的は、外国の国民を奴隷化し、これらの国民の文明を破壊し、さらに
は人種、政治姿勢、宗教、に基づき、これらの国民のかなりの部分を肉体的に絶滅するこ
とである。ゆえに(このような戦争)に責任をおう個人は裁判にかけられるべきだ」と提
起した。
第三部会は1944年6月になりエチェルの主張を受け入れる答垂?セすが、UNWCC
総会はこれを差し戻した。差戻した理由は、各国ともに、そこまでやることには躊躇する
であろうと判断したからであった。
このあと、イギリス、チェコ、アメリカ、オランダの代表が臨時委員会を組織し、この
問題を継続審議した。そしてイギリスの法律専門家のアーノルド・マクネアーの意見を受
け入れた。マクネアーは「侵略戦争はいかに非難されるべきであろうとも、国際法におい
て犯罪とはなりえない」という考えを提示し、第一次世界大戦時終了時のカイザーに対す
るアメリカの対処法ーすなわち道義的にのみ責任があるー、を指摘した。
そして「たとえ、戦争を国家政策の遂行手段とすることを放棄したパリ不戦条約といえ
ども(1928年8月27日調印)、この状況をかえるものではない。・・パリ不戦条約
の約定においては違法であっても、戦争の遂行により国家が〈Capt lupinum
ー公権被剥奪者〉に変わってしまうものではない。パリ不戦条約は、制度として法律で規
範化された戦争を廃止したのである。そして国家が国際法に基づいて犯罪として処罰でき
る行為の範囲を、拡大したのである」と述べた。
さらに「個人が侵略戦争を追求するのは一つの犯罪であるが、しかしそれは戦争犯罪では
ない」と結論した。
この結果、1944年9月末の第三部会の多数派の答申では、「侵略戦争を準備し、ま
た遂行する目的の為にのみ行われた個人の行為は、〈lega lataー公布されてい
る法律によれば〉war crimeではない」であった。
これに対しエチェルは〈いかなるaggressive warも war crime
なのか否かではなく、第二次大戦がcrimeなのか否かを決めてほしい〉と食い下がり
、ヒトラーをはじめとするナチや枢軸の大物たちが、死刑判決に十分な他の犯罪を犯して
いると述べ、この見解が採用されれば、UNWCCが、枢軸側の犯罪的政策全般の遂行手
段となったすべての事例を正しく解決する方法を得る上で有益である、と考えていた。
エチェルはイギリス代浮フハースト(Hurst,Sir Cecil)の、〈敵側の
残虐行為は先の大戦における個人や団体による犯罪に論じることは不可能である・・・・
・枢軸側の闘争の特徴は・・世界制覇であり、ベルリンにより統御されてきた犯罪目的の
政策を追求する常態的繰り返しである・・〉という発言を引用しつつ、〈目下の戦争はそ
の犯罪的意図、ならびに基本的に犯罪的な政策を執行するための犯罪的手段の故に、非難
されるべきなのである。その結果、枢軸側のすべての犯罪は、犯罪的計画の準備行為とし
て、あるいはこの犯罪的計画の遂行手段として、審理されるべきなのである〉と述べた。
さらに〈この見解をうけいれることが、異なる人種を絶滅しようとするような犯罪をその
本質において裁くことを可能にするのであり、すなわち単なる〈戦争の法と慣習〉に違反
するものとしてではなく、犯罪的政策全般の遂行手段として、また犯罪的戦争の一部とし
て裁くことができるのである〉と結論した。エチェルの考えでは、国際法は、aggre
ssive war を個人の責任を伴う犯罪行為として扱う方向に発展しつつあった。
このあと種々の議論ありて、なかなかエチェルの方針は共通理解とはならず。 4
5年6月26日から8月8日までのロンドンの会議のち、侵略戦争の定義がアメリカ主張
をいれる形で、ようやく国際軍事法廷の方針にとりいれられた。
そしてこの新展開をもたらす上で決定的役割をはたしたのは、ドイツの敗北により強制
収容所の実態が明らかになり、ナチのユダヤ人虐殺が世界中に知れわたり、ドイツの戦争
遂行とナチのユダヤ人虐殺が風 をなすものとして一体化されたからである。
日本を裁くためには、日本人によるナチばりのホロコーストが必要とされた?!
「残虐行為」が、国際法においてが戦争を犯罪化しうる?