趙無眠氏へのコメント
小林路義(鈴鹿国際大学大学院非常勤講師)
趙無眠氏に本会の「国交三十年を迎えた‘中国認識’を問い直す」というシンポジウムで講演して貰ったのは,平成14年3月のことだったが(祈小春氏通訳),その時の話「もし,日本が中国に勝っていたら」が今年の2月,文春新書の一冊として出版された(富坂聰訳).5年前のその同じシンポジウムで話をさせて貰った者として,氏の見解に対して何らかのコメントをするのは私の義務であろうかと思う.
我々があの時聞いた話は,その後中国のサイト上に「如果日本戦勝了中国」として掲載され,中国の言論界ではかなり有名な論攷になっていたらしい.中国の大手サイト「論壇」のコーナーでは,この論攷に対して日夜激しい攻撃が加えられ,趙氏は四大漢奸の一人とまで言われていたとのことである.我々がシンポジウムの後で氏を囲んで話していたとき,中国の方々が「我々は漢奸になるのだろうなー」と言っておられたのを思い出す.勿論ネット上には少数ながら趙無眠氏を評価する書込みもあり,富坂聰氏によれば一流の知識人は殆どが趙氏論攷の存在を知っていたとのことである.それほどの論攷を我々は早い機会に,しかも当のご本人から直接お聞きしていた訳である.尚,上記新書の出版前にその内容の概略が『文藝春秋』平成18年11月号に,「本誌編集部」名で紹介されていたことも付記しておきたい.
長きに亘る中共政権下の閉ざされた言語空間の中で,よくこれまでの視点に達し得たものと感服おく能わざる論攷であるが,その紹介は既に各種の書評等で書かれているので,ここではその内容紹介は省いて,「ユーラシア大陸の文明論的視点」から一つだけコメントしておきたい.
氏の講演及び論攷のタイトルから,ある程度予想できたことだが,氏の結論は「もし,日本が中国に勝って,中国を征服することになったら,もともと‘中国人よりもさらに中国的な日本人’は容易に漢化されて中国人になり,一つの中国が実現するだけだ」というところにある.この結論部分の論理構成は,我々が実際にお聞きした講演においても,また上記『文藝春秋』の紹介においても,必ずしもはっきりしなかったのだが,今回の翻訳ではそれが明確に示されており,初めて論評が可能になったのである.
中国の歴史を漢文(普通話では文言文という)だけで見ていると,王朝交代の同じ歴史がひたすら繰返されるだけのように見えるが,勿論実際は数々の異民族王朝によって中国の社会も文化も,そして漢民族自身も何度か大きく変化している.しかしそれを一貫した歴史とみなすために,中国文明は三つのイデオロギーを用意する.一つは正統史観であり,今一つは言うまでもなく,中華思想=華夷秩序という概念であるが,それでは異民族王朝の存在を説明できない.
そこで,いくら異民族が中国を征服して王朝を建てても,彼らは結局,漢化されて中国に同化してしまうという漢化=同化というもう一つのイデオロギーを持ち出して,中華思想を救出するのである.中国正州(本土)だけを見,漢文の歴史書だけを見ていると,一見いかにもそのように見えない訳ではない.しかも偶々直近の清王朝の終焉によって,満州族が中国の中に埋没してしまったように見えるものだから,今は尚更,中国の歴史がずーっとそうだったと思い込み易いという訳である.
しかし乍ら,ユーラシア大陸全体を見渡せば,これらの自己中心的なひとりよがりの視点は一遍に吹っ飛んでしまう.実際は中央ユーラシア文明ないし遊牧民文明が厳然と存続していて,それと並列するように,中国正州に中国文明が存続していたということに過ぎない.遊牧民文明はその時々の中心民族がくるくると変り,民族興亡の変遷があるだけに過ぎないように見えるかも知れないが,遊牧民帝国の変遷は中国において王朝がくるくると変ったのと同じことである.それどころかその遊牧民文明が中国正州に張り出してきて,中国を呑み込んでしまったことが何度かあるということなのである.何度かあるどころか,中国の歴史の約半分がそうである.
当然乍ら,遊牧民帝国に呑み込まれて中国の社会,文化も変化を繰返してきた.それどころか同じ漢字で書くから解らなくなってしまうが,漢民族自身がその内実を変えてきた.隋唐時代の漢民族はもはや漢の時代の漢民族ではなく北族としての,宋時代の漢民族は新北族としての漢民族である.今日の漢族はほぼこの新北族の子孫である.
趙氏は歴史上の同化のパターンを五つに分けて,その議論を援用しようとしているが,五つとも漢化=同化なのではなく,むしろ中国の方が異民族化したのである.一つひとつ反論できるが,枚数がないので今回は省略して,ここでは北魏の孝文帝についてだけ触れておく.孝文帝は平城(大同)から洛陽に都を移し,移住させた遊牧民に漢語と漢人の服装を強制したものだから,異民族の漢化の典型のように言われるが,事情は全く違う.そもそも当時の華北は,漢化も何も,打続く戦乱で漢人そのものが激減しており,荒れ果てていた.孝文帝の目的は言葉も何もばらばらの遊牧民を一つに纏め上げ,部族社会を解体して連合政権を皇帝の専制政権に変えることにあった.今日のシンガポールがどの民族とも関係のない英語を実際上の公用語にし,高層アパートでの部屋割も同じ民族が集らないようにばらばらに配置して,シンガポール人という国民意識を作ろうとしているのと同じことであったのである(岡田英弘『皇帝達の中国』).
中華思想=華夷秩序と漢化=同化という中国文明の二つのイデオロギーは,対等な関係というものを理解できない中国人の宿痾であるが,これは中国文明が近代文明の世界にどうしてもうまく適合できない原因となっている.唯,ふとこうも思うのである.閉ざされた言語空間のなかで,中国側に不都合な真実をこれほどはっきりいくつも述べ乍ら,そのサイトが遮断される(或いはアクセスを禁止される)ことなく存続できたのは,最後のところで再び中華イデオロギーに収束して,安心感を与えたからかも知れないと.