異文化との出会い

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異文化との出会い

京都産業大学法学部教授 木村雅昭


  研究者としてのかけだしのころ、デリーに滞在していたときのことである。うだるような暑さの公文書館での生活にうんざりし、モンスーン到来前のある日、パンジャブ・ヒマラヤにでかけることとなった。同行者はブルース・クレグホーン君というケンブリッジ出身の若い歴史家である。デリーから夜行列車でチャンディガルまで行き、そこからバスで北へと向かった。終着地はマナリという避暑地であったが、そこにつく前に運転手も乗客もクルという町で一泊するのだから、のんびりした旅である。マナリには登山学校があり、そこでピッケルやアイゼン、ザイル等、必要な登攀用具を借用し、ポーター一名を地元の村から雇って、さらに北へと向かった。


  私たちがめざした山は、フレンドシップ・ピークという5400メートルの、なんの困難もない山であった。それに私じしん大学で山岳部に属し、これ以前にもヒマラヤ登山の経験があったので、登山がはじめてというブルース君を頂上につれてゆくのになんの心配もしていなかった。ポーターを下に残し、私たちだけで氷河の上にテントを張り、そこから頂上を往復したが、テントに帰ってから問題が発生した。


  食事を済ませ、夕映えに赤く染まってゆく山肌を二人して眺めていたとき、ふいにブルース君が私たちの辿ったルートを解説し始めたが、これがとんでもないまちがいであった。私はそれを訂正せんとしたものの、彼は頑として譲らない。あげくのはてに「僕は英国陸軍で地図の読み方を習ったが、君はどこで習ったのか」ときた。それに対して「僕は、自然の中で自分自身で勉強した。だいたいワーテルロー以来めざましい勝利をおさめたことがない英国陸軍など信用しない」と言ったものだから、雰囲気は一転、すっかりとげとげしいものになってしまった。


  このときの悪態がたたったのか、風邪をひいてしまい、翌朝は身体も熱っぽかった。帰路は往路をそのまま辿ることも考えたが、急なガレ場もあり危険と思われたので、氷河から溢れ出た流れの向こうにルートをとることにした。当初、流れを渡ることはなんのこともないと思っていたが、これが案外むずかしかった。流れは急で、それに深く、安全な場所がなかなか見つからなかった。しかも山を知らないブルース君にまかせるわけにはいかない。結局、熱っぽい身体をおして、なんども流れに入り、身を切るような水に胸までつかって、やっと渡河点を見つけだすことに成功した。


  この後は美しいアルパイン・メドゥを降りることとなったが、渡河点を捜すうちに体力を消耗したのであろう。リュックサックが肩にくい込み、私のほうはなかなかはかどらないのに、連れのブルース君は楽しそうに歩いている。私の荷物をとってくれないかなというこちらの気持ちをよそに、悠然たるものである。ついに私の怒りが爆発した。“いったいこの男は、なんという薄情な奴だ。熱のある身体をおしてなんども流れの中に身を入れたがゆえに、おかげでオレは悪寒にガタガタ身体をふるわしている。なのにこの男は知らん顔、なんという薄情なヤツだろう。”このように思いつつ彼と口をきくことはやめて歩き始めた。こちらの雰囲気が伝わったのであろう。彼もまた、口をきくことはおろか、私に近寄りもせず、お互い離ればなれになって歩くはめになってしまった。


  これが街の中であったなら、ここでケンカ別れになっていただろう。けれどもテントでしか泊まるところがない山の中では、いやでも二人は一緒になるしかない。とある川のほとりでキャンプすることになったが、こちらの腹の虫がおさまらない。「君はなんと薄情な男だ。僕がどれほど参っていたかわかっていただろう。それなのになぜ僕の荷物をとってくれなかったのだ」となじってやった。それに対して彼は「充分知っていたよ。だから君が荷物をとってくれと言い出すのを待っていた」と答えたものだから驚いた。「そんなことは名誉にかけて言えるものか。それを察して、君から援助を申し出るのが人情だ」と切り返したら、「君の希望をきく前に、こちらから援助を申し出ようものなら、それこそ君の名誉を傷つけることになる」との答えが返ってきた。


  ここには「相手を察する文化」と「自己主張する文化」との相違と葛藤が鮮明に現れている。もちろん日本人もヨーロッパ人も、現実には相手の立場を慮りつつ、自己主張していることは事実である。相手の立場に無頓着な自己主張は相手を説得しえないし、われわれ日本人も、複雑な人的コンテキストを念頭におきつつ、自分自身を主張していることは、日々経験するところである。にもかかわらず二つの文化の間には、本質的な違いが横たわっている。しかもこうした文化の違いが、幾多の誤解を生んできたことも否定し得ないであろう。


  このとき以後、私じしん欧米人と話していて同意を求められたとき、それが重要な案件である場合、まず否定的な主旨をにおわせてから、こちらの意見を言うことにしている。そうした態度は、われわれ日本人の間では、しばしば非礼であるが、欧米人が気を悪くしたことは、これまでのところ幸いにして経験したことがない。ブルース君はといえば、その後、外交官になり、数カ国の大使を歴任した後、いまはケンブリッジで悠々自適の生活を送っている。もちろん「ワーテルロー以来めざましい勝利をおさめたことがない英国陸軍」というくだりが必ずしも正確でないことは、その後の勉強で判明した。このことを含めて、数年前ブルース君に会ってこのときの話をしたら、彼もまたよく覚えていた。是非この一件を文字にしろと言ってくれたので、あえて30数年前の昔話をしたためた次第である。