言葉は涙の底へ落ちていった―人道に反する犯罪を裁くための「序章」―

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言葉は涙の底へ落ちていった―人道に反する犯罪を裁くための「序章」―

劉燕子


  『続・墓標なき草原』は、第一四回司馬遼太郎賞を受賞した『墓標なき草原』全二巻の続編であり、三巻を合わせると約九〇〇頁に及ぶ大著である。楊海英氏は中国・内モンゴル自治区の文革期におけるモンゴル人大量殺戮(ジェノサイド)を生き抜いた貴重な証人の生の声を真摯に聞くとともに、文献資料と照らしあわせて検証し、想像を絶する被害の実態を明らかにしている。楊氏はまた『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料』を二〇〇九年から毎年公刊し、これまで計二七〇〇頁に及ぶ膨大な資料を提出している(今後も続き全一〇巻の計画)。まさに正続『墓標なき草原』はこの精緻な基礎研究に基づき、歴史の暗闇に葬り去られた史実を明らかにしたものである。私は漢民族の一人としてこの残忍極まりない史実を知し、痛切な罪責感に打ちのめされたが、良知とは何かと子細に深く考えなおす契機(モーメント)となった。

  本書終章は、文革期の身体的ジェノサイドに加えて、現在ではモンゴル人は「ネーション」ではなく「エスニック・グループ」であるなどのレトリックが使われ、民族の精神的絶滅まで押し進められるという「文化的ジェノサイド」の実状を剔抉している。歴史の真相究明、謝罪、賠償に逆行して史実を隠蔽するどころか、ますますジェノサイドを徹底化しているのである。そして、これは中国現代史における本質的な問題の現れなのである。何故なら、チベット人女流作家ツェリン・オーセル氏は写真、証言、史料に基づきチベット文革を永遠に回復できない程の被害という意味を込めて「殺劫」と概括するなど、他の民族でも被害は甚大で、今もなお深刻な禍根が残されているからである。

  そして、私はシンボルスカ(一九九六年ノーベル文学賞受賞)の詩句を想起する。「言葉は涙の底に落ちていった」というように、暴力に対して言葉は無力のように見えるが、しかし言葉は「死者を呼び戻す」こともできる。そして正続『墓標なき草原』の言葉一つ一つは虐殺された死者を甦らせ、ジェノサイドを証言せしめている。それを可能にしたのは、確かな基礎研究に裏づけられた強靱な底力であり、だからこそ、楊氏は悠揚と「坂の上の雲」は「確実にモンゴルの青空の上を美しく飛んでいます」と結んでいる。このようにして、読者は身体的・精神的ジェノサイドを凌駕する強靱かつ健朗な精神に励まされ、無数の残虐な暴力を乗り越え、記憶のモニュメントを現代史に構築できるという確信を得られる。

さらに、楊氏の独特の悲哀を漂わせた雄勁な筆致には、大草原で育まれた血脈ならではの気高く骨太な風格があり、その力強いメッセージは読了して終わりというものではない。この意味で、本書は時効のない人道に反する犯罪を裁くべく将来開かれる法廷の「序章」であることが分かるだろう。まさに、本書は絶望的な暗闇に光を織りなし、読み継がれていく歴史に残る良書である。


  楊海英先生のプロフィール:

    モンゴル名はオーノス・チョクト、それを翻訳した日本名は大野旭。1964年に内モンゴル自治区オルドスに生まれる。1989年3月に来日。国立民族学博物館、総合研究大学院博士課程修了、文学博士。静岡大学教授。主な著書に『墓標なき草原』(岩波書店、第14階司馬遼太郎賞受賞)、『続・墓標なき草原』(岩波書店)など多数。


  超多忙の楊海英先生が貴重なお時間を割いてくださいます。先生の調査研究を通して痛みを分ちあい、未来をともに語りあいましょう。

敬具

2012年5月・・日

劉燕子



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