プーチン首相は時代の大潮流を自覚し新時代のリーダーになりうるか

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プーチン首相は時代の大潮流を自覚し新時代のリーダーになりうるか

細川隆雄(愛媛大学)


  この春にロシアで大統領選挙がある。ウラジミール・プーチンが間違いなく大統領になるだろう。彼には強力な統率力を発揮して、ユーラシア時代をつくってほしい。ユーラシア時代とは、ヨーロッパとアジアの時代だ。EU27カ国と、西アジア・中東諸国、中国、韓国、日本、アセアン10カ国、インド、ロシア、中央アジア諸国、などなど。ヨーロッパとアジアにまたがるロシアは、ユーラシア時代の結節点、心臓地域、ハートランドとなる。


  さまざまな見方があろうが、時代の大潮流は、19世紀イギリスの大西洋時代から、20世紀アメリカの太平洋時代、そして、21世紀のユーラシア時代へと移りつつある。それは、ユーラシア大陸とその周辺海域の時代だ。大陸を囲む海、時計回りでいえば、北極海、ベーリング海、オホーツク海、日本海、東シナ海、南シナ海、インド洋、ベンガル海だ。なかでも内海としての日本海、東シナ海は、ギリシア・ローマに繁栄をもたらした地中海としての役割をはたしうる。来るべき時代は、もはや太平洋の時代ではない。日本の港でいえば、太平洋に面した横浜や神戸ではなく、福岡や新潟の日本海時代だ。


  2001年3月に大統領に就任したプーチンは、エリツイン路線と決別する。就任後すみやかに、中国、北朝鮮、ベトナム、キューバなど反米的な国々を訪問し、太平洋時代の盟主アメリカと明確に、距離をおく路線をとる。ソ連崩壊後のエリツインのロシアは、経済社会の大混乱のなかで、アメリカに多くの支援を求めた。アメリカはソ連支援のための世界的枠組みをつくり、日本にも資金をださせた。いろいろなプロジェクト、プログラムをつくって、食糧、教育、経済再建、核技術流出防止などのための、支援をおこなった。ソ連研究をしているということで、わたしにも、お声がかかり、旧ソ連諸国の経済再建のための技術的・知的支援プログラムの一環として、一調査団のひとりとして、崩壊後のソ連を調査・視察し、一定のアドバイスをおこなうというようなこともあった。戦後来の米ソ対立の世界二極構造の時代から、閉ざされた社会主義市場を資本主義市場が取り込むという世界統一市場、グローバル市場が誕生することになる。ソ連の天然資源、市場をねらって、アメリカ資本が流入する。ロシアをふくむ旧ソ連諸国にアメリカの経済顧問団がどっと、やってきた。米流資本主義バラ色論にそまったエリツイン政権下のロシアであったが、インフレが進行し、支援をうけても、事態はいっこうに改善しなかった。改革疲れのなかで、持病を悪化させて、社会主義体制の壊し屋エリツインは退場していった。


  資本主義バラ色論に染まる前の、社会主義体制の時代にあっては、ソ連の人々が、お金に血眼になることはなかった。資本主義のように商品はあふれていないが、最低限の生活は保障されて、つつましやかに暮らしていた。アネクドット(ソ連社会を皮肉った小話)を飛ばして気分転換しつつ、物を買うのに行列して、忍耐強く暮らしていた。ソ連崩壊とともに、社会主義イデオロギーが否定され、価値観が180度転換したエリツイン急進改革路線のなかで、ロシアは拝金主義におおいつくされる。おおくの銀行、投資会社、商品取引会社がつくられ、おおくがつぶれていく。たとえば1994年には、ロシア最大の投資会社「MMF」の経営が破綻し、取り付け騒ぎが起きた。MMF社は、テレビ、新聞など、マスコミを大々的につかって、年率3000%の高利回りを約束し、資金をあつめたが、インフレとはいえ、そのような高配当を継続的になしえるはずがなかった。


  わたしのところにも、ロシア人の知人から、もうけ話・投資話がいくつか、もちこまれるというようなこともあった。社会主義という精神的支柱がなくなるなかで、これまた、雨後のタケノコのごとく、新興宗教があらわれた。オーム真理教がロシアに、はびこったのもこのころだ。オームが引き起こしたサリン事件、このサリン製造のための設計図は、ロシアから流出したものといわれる。さもありなん。麻原彰晃は、ハズブラートフ最高会議議長、ルツコイ副大統領などと会見したり、モスクワ大学で講演もおこなった。ソ連崩壊後、赤いネッカチーフをしめた、純粋で凛々しいピオネール(共産主義少年団)たちの姿は、過去のものとなった。


  エリツイン政権下にあって、アメリカの農畜産物がどっと入りこんだ。プーチンは、大統領に就任後、自国農業の育成のために、アメリカの農畜産物を締め出す政策をとる。たとえば2001年3月に、プーチン大統領は、アメリカ産の家禽肉にたいして輸入禁止措置を発動した。2001年にロシアの家禽肉輸入量は実に2倍以上になったが、その大部分はアメリカ産だった。同年の輸入量140万トンのうち、100万トンはアメリカ産だった。輸入禁止措置の理由として、アメリカ産家禽肉が抗生物質およびヒ素の残留濃度にかんするロシアの安全基準を満たしていないからとした。


  ロシアの経済社会が安定し、ロシアの人々も自信を取り戻した、プーチン大統領の8年間であった。アメリカには、言うべきことを言い、ときに協調しながら、対等にわたりあった8年間だったと総括しうる。それを引き継いだメドベーディエフ大統領は、目立った成果のない、可もなし不可もなしの4年間だと見ることができる。


  2012年3月に再度、大統領になるであろう、プーチン新大統領には、ロシアという国の発展がシベリア極東にかかっている点を十分に自覚してもらい、いわば、ロシアは「楕円国家」であり、中心が2つあること、ヨーロッパ部のモスクワと、アジア部のウラジオストクにあることをしっかりと自覚してもらいたい。18世紀初頭のロシアの思想家ロモノーソフは、ロシアの力はシベリア極東によって増大するであろう、と洞察・予言した。


  17世紀にシベリア開発を推し進めたピーター大帝を信奉するプーチンには、ロシアが来るべきユーラシア時代の結節点、地政学的にきわめて重要な位置をしめる点を銘記してほしいのだ。日本海時代を切り開くために、極東のウラジオストクをロシアの巨大副首都に育ててほしいのだ(現実的にはハバロフスクと一体的発展を考える)。資金的にも技術的にも、ロシア単独の力では、それはできないだろう。ソ連時代から、これまでに、いくどもシベリア極東の経済発展の必要性が説かれてきたが、順調には進んでこなかったからだ。極東の人口は減りつづけている。シベリア極東を発展させるための第1の要件は、日本の資金と技術だ。日本が全面的に協力するための条件は、北方領土問題の解決だ。第2に、中露関係の一層の強化だ。第3に、北朝鮮への影響力の行使による核・ミサイル問題の解決だ。第4は口先だけではない、シベリア極東発展のための政策の強化だ。たとえば具体的には、間宮海峡のトンネル化をふくむ、シベリア横断鉄道の延長・高速化だ。ランド・ブリッジの強化だ。中央アジア諸国・中国を含めた拡大ランド・ブリッジ構想は21世紀版シルクロードとなる。さらには、北氷洋航路の開設だ。北氷洋航路の開設は、19世紀の化学者メンデレーフが構想したものだ。資金と技術がないために、遅々として進んでいないのだ。


  アメリカに急がされたからといって、何ら慌てて、日本はTPP(環太平洋経済連携協定)に参加する必要はない。環太平洋の時代は去りつつあるからだ。時代の大潮流は太平洋を通過(トランス・パシフィック)して、日本海、東シナ海、南シナ海、インド洋にやってきていると見るべきであろう。太平洋ではなくアジア大陸の周辺海域の時代の到来だ。もはや日本の最大の貿易相手国はアメリカではない。中国だ。もし二者択一をせまられるなら、むしろ日本は、中・韓、東南アジア、インド、ロシアなど、アジア諸国との関係を重視すべきであろう。世界の経済発展のエンジンはアジアに移ったのだ。ただ日本人のロシア・ソ連観は否定的なものが多い。不信感がある。日ソ不可侵条約の一方的破棄で、ポツダム宣言受諾後、不当にも日本に攻め込んできたからだ。日本人捕虜をシベリアで強制労働させたからだ。プーチン新大統領は、この点を配慮して、領土問題(ロシア側からいえば国境画定問題)を英断をもって解決し、日ソ平和条約を結び、新ユーラシア時代のリーダーとなるべきであろう。


  「プーチン首相は新時代のリーダーになりうるか?」という問題を立てたが、この問いの答えは、以上の通りだ。領土問題を含む上記の4条件を英断によって断行するなら、新時代のリーダーになりえよう。今からほぼ300年まえ、18世紀初頭、ピーター大帝が来るべき大西洋時代をいちはやく予見して、英断をもって、内陸からバルト海に面したペトロブルグに新首都をつくったように、ウラジオストクを副首都に。ロシアは、西シベリアの石油・天然ガスをパイプラインで大量にEU諸国に供給しているが、昨今のユーロ危機を克服するために、プーチンは欧州金融危機打開のために、この点においても英断をもって、積極的に関与すべきであろう。ロシアは、アジアとヨーロッパの楕円国家なのだ。2012年11月にAPEC首脳会議がウラジオストクで開催される。議長として登場するであろうプーチンがユーラシア時代のリーダーになる舞台は用意されている。