またしてもアメリカ大統領選挙に翻弄される日本

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「またしてもアメリカ大統領選挙に翻弄される日本」

細川隆雄(愛媛大学)


  またしても、日本という国はアメリカの大統領選挙に翻弄されている。情けないことだ。なんで他国の大統領選に日本の政治経済社会がかきまわされるのか。本当に情けない。1970年代初め、ニクソン大統領は、多分に、鯨を都合よく政治的に利用して再選をはたしたが、またしても、TPP(環太平洋経済連携協定)を都合よく利用して、オバマ大統領は再選をはたそうとしている。第二次大戦後、アメリカに育てられた日本だが、もはや、アメリカのパフォーマンス政治、劇場型政治にかかわるべき時ではない。野田総理はアメリカに毅然とした態度をとるべきだ。


  2012年1月アイオワ州の予備選からほぼ1年かけて、長丁場のアメリカの大統領選がはじまる。チェンジ・ウイ・キャンをスローガンに掲げて当選した、オバマ大統領が再選を果たすためには、眼に見える形でアメリカ経済の景気をよくし高止まりの失業率を低め、低落した支持率を回復する必要がある。長丁場の選挙戦に勝ち抜くためには、失業に苦しむ若年層に仕事をあたえて自らの陣営に取り込むとともに、巨大資本からの選挙資金の支援も必要となる。景気回復、資本の要求から考え出された選挙対策、再選のための支持率回復策が、オバマ陣営による日本へのTPP参加要求にほかならない。選挙に勝つためには、内政外交面で成果をあげる必要があるのだ。ベトナム戦で疲弊したニクソン政権がドル安誘導、輸出加速化戦略で成果をあげようとしたように、イラク・アフガン戦で疲弊したオバマ陣営の再選のための成果づくりも、ドル安、輸出倍増だ。


  WTOを利用した貿易自由化交渉がもはやアメリカ資本にとって都合のいいような貿易・投資ルールづくりに頓挫した今日、アメリカは、2006年にシンガポール、ニュージーランドなど4カ国が作ったTPP(環太平洋経済連携協定)なる組織をのっとり、TPPをうまく利用して自国資本に都合のいい貿易・投資ルールをつくろうとしているのだ。TPPに日本をとりこめば、アメリカの景気回復、雇用改善の強力な梃子になりうる。疲弊したアメリカをチェンジしうる。


  1970年代はじめ、ニクソン大統領の再選のときにも、選挙戦術の手段として、ニクソン陣営は「鯨保護」を利用して、支持率の回復を図った。ニクソン政権はベトナム戦争泥沼化のなかで、支持率は低下していた。熱帯にひそむ敵兵を殲滅する戦術として、禁じ手ともいえるダイオキシン等の枯葉剤の空中散布(枯葉作戦)を展開した米軍であったが、国内的には、戦死者・戦争被害者の増大、戦費の拡大、厭戦気分の蔓延、反戦・反体制運動の蔓延、経済社会の退廃、対外的には、枯葉作戦にともなう甚大な環境破壊、森林の破壊・奇形児の多発等にたいして、ニクソン政権への内外からの批判は高まるばかりであった。再選のためには、新機軸を打ち出し、局面を打開し、明確な形で成果を出す必要があった。


  1972年のスエーデン、ストックホルムでの第1回国連人間環境会議(地球環境サミット)では、アメリカの枯葉作戦が議題として取り上げられる予定であった。議長としての主催国スエーデンのパルメ首相は、枯葉作戦による無差別的環境破壊にたいして、アメリカに説明責任を求める予定であった。対立候補の民主党のマクガバン上院議員も泥沼化したベトナム戦争の責任を激しく追及した。ニクソン選挙陣営にとって、なんとしても、この困難な事態を打開する必要に迫られる。追いつめられたニクソン陣営は、『鯨を守れずして地球環境を守れようか』という偽善的なスローガンを掲げ、環境保護のシンボルとして鯨を位置づけ、鯨絶滅説を吹聴して、商業捕鯨禁止(正確にはモラトリアム)の勧告案を出し、アメリカこそが地球環境保護運動のリーダーだということを内外に印象づけようとしたのだ。はたして地球環境サミット会議場の前は、環境保護団体のセイブ・ザ・ホエールの横断幕でいっぱいになった。


  鯨絶滅説はイラク大量破壊兵器保有説と同様に根拠のない言説であった。アメリカは鯨をプロパガンダ・アニマルとして政治的に利用したのだ。アメリカが1972年の国連人間環境会議で商業捕鯨モラトリアム勧告案を提案・採決し、多数派工作によって10年ごしに、法的拘束力をもつ国際捕鯨委員会(IWC)で1982年に採決した、鯨を捕るなという「商業捕鯨モラトリアム」の世界的ルール(規制)は、日本、ノルウエー、アイスランドなどの捕鯨国にとっては、明々白々な内政干渉であり、捕鯨者の営業・生活権の侵害、食文化をふくむ生活習慣の侵害をもたらすものであった。


  今日、調査捕鯨、沿岸捕鯨(国際捕鯨委員会の管轄外の鯨類を捕獲)をおこなっている日本だが、またしても、TPPのなかに、鯨の保護がひそかに盛り込まれている点を見落としてはならない。サメの保護も盛り込まれる。TPPは貿易・投資協定の範囲を大幅に超えている。鯨やサメの保護のことも含めて、その国の主権をおびやかす内政干渉まがいの条項が多々ふくまれている。日本は、アメリカのご都合主義にどれだけ、翻弄されてきたか、忘れてはならない。自分勝手な商業捕鯨禁止、地球温暖化京都議定書の一方的離脱、北朝鮮にたいするテロ支援国家解除、などなど。


  TPPに盛り込まれるISD条項は内政干渉そのものだ。金融システム、保険、共済、商習慣、政府調達、司法、労働、医療、環境、衛生、安全性などの分野において、各国には歴史的に形成された規制・ルールがある。企業が他国に参入しようとすれば、相手国のルールを尊重するのは当然のことなのだ。郷に入っては郷にしたがわなければならない。非関税障壁の名のもとに、アメリカン・スタンダードを他国に押し付けることは許されない。なぜなら、サブプライムローンに象徴されるように、金融システムにしても、アメリカの制度は信用に値しないからだ。日本国民の安全性を犠牲にして、BSE牛輸入の規制緩和、残留農薬の規制緩和をしてまで、つまりアメリカの安全性のスタンダードで、TPPに参加してまでして、なぜに危険な食肉・農産物を輸入する必要があるのか。商品を買ってくれる消費者は神様である。それぞれの国の消費者、国民の要求の歴史的な積み重ねのなかで、社会的必要に応じて、さまざまな規制・ルールが形成されてきたからである。


  国民の安全・安心、社会的安定のための諸規制は、貿易・投資協定うんぬんの議論以前に形成されたものであって、なんら外国企業の参入を阻止するために作られたものではない。そもそも利益追求を目的とする経済組織である企業は、利益第一主義にはしり、消費者、国民の幸福をそこなう危険性を多分に持つ。暴利をむさぼろうとする企業(資本)の暴走を、国民の幸福のために、政府・自治体が諸規制によってコントロールするのは当然のことである。日本のきめ細かな農薬規制も国民の健康を守るために歴史的な積み重ねのなかで形成されたものだ。諸規制があるために、参入企業(投資家)が損害をこうむったと判断して、相手国の政府・自治体に損害賠償をもとめる提訴権付与(ISD:国家と投資家の紛争解決手続き)などの考え方は、本末転倒もはなはだしい。国内企業はきびしい諸規制に配慮しながら、企業間で熾烈な競争を展開している。国内企業(投資家)が規制によって利益を失ったと言って、規制をつくった自国政府に損害賠償を求めて訴えるなどということは、とんでもないことで、到底、許されることではあるまい。企業の利益より、国民の安全・安心、社会の安定こそが大事である。最優先されるべきは、公共的利益であって、私的利益ではない。


  およそアメリカン・スタンダードが粗雑であることは、サブプライムローン問題で実証ずみだ。アメリカ金融資本、格付け会社、アメリカ政府は、日本をふくめてサブプライム問題で被害を受けた国々にたいして謝罪したのか。然るべき責任を果たしたか。厚顔無恥もはなはだしい。アメリカの製品が売れないのは、相手国のニーズ・諸規制に応じた製品をアメリカ企業が消費者のために、誠意をもって謙虚につくろうとしないからだ。アメリカの自動車産業、ビッグ3の衰退は、そのことを如実に示す。


  TPPにサメの保護が盛り込まれているのはなぜか。鯨を政治的に利用したように、またしても、サメをアメリカの地位を脅かす新興国にたいして、政治的に利用しようとしている。日本の鯨料理と同様に、中国のフカヒレ料理は実にうまい。1970年代はじめ、日本も新興国であった。いまや世界一の米国債をもつ中国は、日本という国ほど従順ではないだろう。