欧米を中心とした歴史観・世界観から脱しよう
― 鯨塚からみえてくる日本人の心―
愛媛大学教授 細川隆雄
日本列島の津々浦々には、鯨を供養・祭祀するためにたてられた鯨塚(鯨墓)というものがある。主として江戸・明治期にたてられたものだ。日本人はどうして鯨塚をたてたのか。鯨を供養し祭るということは、いったい、どういう意味をもつのか。
日本では古くから鯨を資源として利用した。縄文時代から利用した。縄文貝塚から、鯨・イルカ類の骨も発見される。超巨大な獲物、鯨は天からの恵みであった。「鯨一頭捕れば、七浦にぎわう」といわれた。鯨をめぐる有形・無形の記憶が日本各地に残っている。有形の記憶とは、鯨の塚、位牌、戒名、過去帳、古文書、捕鯨絵巻などだ。無形の記憶とは、鯨をめぐる伝説、鯨にかかわって生活してきた人々の記憶だ。鯨塚、鯨をめぐる記憶をたどることによって、日本人の心性を探る旅に出よう。
大学のゼミ生とともに私は、山口県長門市仙崎を旅した。仙崎通(かよい)地区の向岸寺には鯨塚があるからだ。鯨塚の現状調査、聞き取り調査のための旅であった。通地区にあるくじら資料館館長に案内されて、私たちは鯨塚のある高台への階段をのぼった。階段をのぼりきった空間に、大きな墓石が、凛ととして、立っていた。墓石の高さは2メートルを超える。墓石の花たてには、真新しいシキビが供えられていた。墓石の正面には「南無阿弥陀仏」の文字が刻まれていた。塚は1692年に建てられた。塚には、鯨の胎児70数体が埋められているという。
江戸時代、通の人々は、網捕り式捕鯨というやり方で、鯨組を組織し、近くにやってくる鯨を捕って生活していた。鯨は生きていくための重要な資源であった。肉はもちろん、皮、骨、歯、髭、内臓まで、完全利用した。向岸寺の鯨塚は1935年に、国の史跡指定をうけた。1975年には、山口県の有形民俗文化財に指定された。向岸寺には、鯨の位牌と過去帳まである。驚くべきことに、300年以上にわたって途切れることなく、鯨の供養、回向が毎年、春におこなわれているという。
にっぽん海 凛として立つ 大鯨墓
私たちは向岸寺本堂に安置されている「南無阿弥陀仏」の文字がきざまれた鯨の位牌をつぶさにみることができた。過去帳もみることができた。通の人々は、鯨に対する「感謝」「畏敬」の念をこめて、位牌や過去帳をつくったに違いない。鯨をふくめて自然物を余すところなく完全利用したうえでの、自然物にたいする「感謝」「畏敬」の気持ちこそが「日本人の心」の特徴といえるであろう。通の人々は、鯨様のおかげで「生かされている」ことを十二分に自覚していたのであろう。愛媛県西予市明浜の金剛寺にも、鯨の位牌、戒名があるが、驚くべきことに、殿様級の最高ランクの「院殿・・・大居士」の戒名が与えられている。
埋葬、葬送儀礼の死を悼むという行為は、人が人たるゆえんであろう。いわゆる「文化」発生の根源と考えてもよいであろう。その行為に、高い精神性、高い文化性を認めてよいであろう。鯨は異界からやってきて幸運をもたらすエビス神でもあった。鯨を人間あるいは人間以上のものとして認識し、鯨にも霊をみとめ、鯨様としてあがめ、供養し祭るという行為に、日本人ならではの高い精神性を認めることができよう。
日本は明治以来、欧米を模範として、しゃにむに国策として欧米化をすすめた。1980年代には一人当たりGNPでアメリカを追い越した。経済的には豊かになったかもしれないが、果たして、日本人は幸せになったといえるであろうか。経済的繁栄とは裏腹に、日本人ならではの高い精神性・文化性は、損なわれてきたのように思われる。
その是非はともかくとして、近代という世界は、西欧中心の考え方でまわっている。歴史は、欧米中心の考え方、西洋史観で塗り固められている。スペイン、ポルトガルの地理上の発見?以来、イギリスの産業革命、欧米による世界の植民地化・・・・、直近では、アメリカによる一方的なイラク・フセイン政権打倒にいたる歴史、これらのことがらに通底することは、西洋(欧米)が進んでいる、つまり東洋(アジア)が遅れているという、西欧進歩史観の考え方だ。欧米こそが優れているという西欧優越史観だ。
ここには、欧米の考え方が正しい、欧米に従えという、おごりがある。西洋諸国の雄、アメリカのかかげる「自由と民主主義」のイデア・考え方は、資本主義と対峙したソ連が崩壊し「社会主義」のイデアが現実性をうしなった今日的世界において、普遍的思想・考え方になりうるかもしれないが、さりとて、そのような欧米の価値観を、性急に他国に押し付けることは許されるべきものではない。
サブプライム問題に端を発したアメリカ発金融危機が世界的大不況をひきおこした。このことは、アメリカ主導のグローバリズム、新自由主義が破綻したことを意味する。「文化」とは、ルール、慣習、考え方、価値のありようと捉えることができるが、今まさに、戦後来、アメリカがつくりあげてきた、ルール、価値のありようが根本的な見直しを迫られている。見直しの方向性は、アメリカ主導の単一「文化」主義から、多「文化」主義への移行であろう。アメリカが引き起こしたイラク問題も、俺の考え方が唯一ただしいという優越史観、唯我独尊アメリカのおごり・単一「文化」主義から、生まれたものだ。
日本人は日本列島の先住民としての縄文人をベースとして、渡来人と混血・融合しながら、いわゆる「日本人」を形成していったものと考えられるが、それこそ日本人は縄文時代以来、海、山、川、自然を畏敬し、海、山、川の諸資源を余すことなく大切に有効に利用しつつ、生きてきたのではないか。今日的な言葉でいえば、自然と共生・共存してきたのではないか。鯨を供養し祭るという行為には、自然物に対する「感謝・畏敬の念」「いただきます」「もったいない」という日本人の心性があるように思われる。それに対して、西洋の考え方は、人間は自然物を利用して当然だ、ホモサピエンスとして人間は自然を支配するのだという人間中心の傲慢さがあるように思われる。おごれる者も久しからずだ。
西洋諸国の雄、おごれるアメリカが行き詰っている今日、欧米がつくりだした歴史観・世界観から、日本は脱出する意志をもたなければならない。欧米は、もはや、日本がすすむべきモデルとはなりえない。