世界的金融危機後の世界

> コラム > 小林路義教授のアジア文明論


<日本教師会『日本の教育』平成21(2009)年6月号記載稿を再掲>


世界的金融危機後の世界


  「二十世紀はアメリカが勃興し,そして少しずつ退潮していく時代」だと,声高ではないが,講演などの折に私が触れていたのは,昭和50年代の半ば以後だった.勿論アメリカのベトナム敗戦とその後遺症の大きさ,そして少しずつ明かになりつつあったアメリカ製造業の脆弱さの故である.それを原稿などできちんと纏めておかなかったのは,東西対立のいつとも果てない続行によって,尚アメリカが果す役割が大きく,それをアメリカが安易に捨てることはあり得ないということと,私自身の文明論がまだまだ構築の途上に過ぎなかったという事情による.


  従って,サブプライム以後の世界的金融危機且つ経済的危機について,「アメリカ一極体制の終焉と多極化」をいうのは簡単だが,それは既にリーマン・ショック以後の様々な議論によってある意味で一般的常識になってしまった以上,その後追いはしない.問題にすべきは多極化の世界のイメージに対する混乱・錯綜である.


    《 ポスト冷戦の多極化との違い

  世界の多極化が言われ始めたのは,今回が最初ではない.平成元(1989)年の東欧革命とそれに続くソ連の崩壊(平成3<1991>年12月)によるポスト冷戦の世界に対して,アメリカの一極構造という主張と同時に,多文化多文明に基づく多極化の主張も充分説得力をもって語られていたからである.私自身もどちらかと言うと,文明論的視点から多極化に重点をおいてポスト冷戦時代を分析することにしていた.


  アメリカの一極構造は国際政治においては圧倒的軍事力を背景にして,その通りであったし,ましてや9・11以後の非対称型戦争=対テロ戦争においては,その政策の当否好悪は別にして,益々その通りになった.問題は国際経済で,一見金融グローバリズムのもとで(日本がバブル崩壊後の低迷を余儀なくされた以外)うまく機能しているように見えながら,「いくら基軸通貨国とは言いながら,巨大な双子の赤字の経済が強いなどというのは,どこかがおかしい」という問題は常に胚胎していたことである.胚胎していながらも,ドルは強かったし(アメリカの高金利政策),ドルの過剰流動性は先進国,新興国を問わずうまく回転していて(金融グローバリズム),アメリカ経済も一極的強さを発揮しているように見えた.その限りにおいて,アメリカの一極構造も否定はできず,私自身は大学の国際関係論の講義などでは,多極化も「一極構造のもとでの多極化」という言い方をせざるを得なかった.


  アメリカが純債務国に転じたのは昭和61(1986)年である(その時日本は世界最大の純債権国になった).それ以来アメリカの双子の赤字は一時期を除いて,拡大していたにも拘らず,ドルが強さを保持し続けたのはほんとうは奇妙な現象だった.それでも90年代はITというアメリカ発の情報革命が実物経済を牽引していたからまだ納得がいく.ITという情報革命はアメリカ経済のみならず(レーガノミックスがその基盤を用意したことは触れておく必要がある),アメリカ文明の強さが生み出したものだからである.しかし,ITバブル崩壊後のアメリカ経済の強さは理解できかねるものであった.それがなぜ可能であって,いかなる錯覚・誤謬によっていたかはリーマン・ショック以後の様々な議論で論じられている通りだし,私自身も他のところで述べているので,ここでは触れない.


  ウオール街のハゲタカ資本主義による巨大な詐術,金融グローバリズムは一瞬にして(実際はサブプライム問題の発生から一年の猶予期間があったが)崩壊し,アメリカに胚胎していたアメリカ経済の矛盾と脆弱性を露見させた.「双子の赤字の経済が強いなどということは,いくら基軸通貨国だからといって」あり得なかったのである.従って,90年代の多極化とこの金融危機且つ経済危機後の今後予想される多極化の違いは,多文化多文明に基づく多極化のみならず,政治経済をも含めた多極化だということになる.


    《 G2論の錯覚

  しかし問題は,金融グローバリズムが破壊した世界経済のディプレッション(大不況)のなかで,様々な思惑とご都合主義によって,多極化の手前勝手な主張がなされ,多極化のイメージが錯綜混乱していることである.そのなかでも特に,米中が経済問題の(更にはそれをも超えた)先導的役割と協力を進めなければならないと主張するアメリカ発のG2論は誤解を招きやすい.唯でさえ中国の過大評価から抜け切れない日本のマス・メディアが今後更に影響を受けかねない.勿論アメリカではG2論に対する反論も盛んなのだが,クリントン政権や二期目のW・ブッシュ政権ばかりでなく,政権レベルでは,アメリカは戦前から中国へ肩入れし過ぎてきたことは事実である.


  唯このことについては,日本の側の理解不足があり,一言その本質について述べておかなければならない.それは覇権国家アメリカにとって,覇権国家中国はパワーゲームを展開する相手として申分ない,利用するにしても敵対するにしても,言わばやり甲斐があるということなのである.競合的パートナーという言い方にはそれがよく現れている.だからアメリカが妙に中国を持上げるのは,パワーゲームを展開する相手として,非常に好きである,ということである.友好か敵対かという二者択一の日本人には理解しにくい関係なので,米中結託イコール米中友好ではないことを承知しておかないと,正に多極化の時代の国際関係を見誤りかねない.


    《 基軸通貨は簡単に変らない

  多極化の世界において,基軸通貨の問題は国家主権とも絡み合って,避けて通れない.ましてドルを貯めに貯め込んだ多額の外貨準備保有国にとっては気が気でない.「百年に一度」の金融危機且つ経済危機は,そもそもドルの過剰流動性から生じたのだから,ドルがいずれ大幅に目減りするのは避けられない.


  しかし,ここでも注意しておかなければならないことは山ほどある.現今の経済危機のなかで,危機に対する許容度がシビアなとき一番強い通貨は円で,次がドル(ヨーロッパではわずかにスイス・フランが多少強い)だということである.それ以外の通貨が弱いのは,ヨーロッパや資源国,新興国の経済危機の度合が震源地のアメリカよりも,ある意味で深刻だからである.従って,一旦世界経済が中期的に回復したように見えた後,再びディプレッションになったとき,通貨はドルに回避することを考えておかなければならない.


  そういう留保条件をおいた上で尚,長期的にはドルの基軸通貨としての位置がゆらぐことは間違いない.特にアメリカがこれから膨大な財政支出を遂行する以上,そのための債権がうまくさばければさばけるほど,過剰流動性は更に大きなものになるからである.従って,ドルの基軸通貨体制への挑戦が続くことは間違いないのだが,また同時に容易に新しい通貨体制が簡単に生み出せる訳でもないことを指摘しておく必要がある.国家主権も絡まって新体制の信認がそう簡単には得られないからである.

 

  詳細は省くが,善悪好悪とは別にドルの基軸通貨体制はまだまだ続くだろう.その代り長期的にはドルは目減りしていく(日本は円建てなら米国債を買ってやると言えばよい.それに対して中国が元建てを要求することはできない.なぜなら,中国の為替相場は人為的であって,完全な変動相場制ではないのだから).もともとニクソン・ショック以来,つまりドルがブレトン・ウッズ体制を離脱して以来,ドルは全通貨に対して超長期的にはずっと目減りしてきているのである.石油価格が二ドルから現在五〇〜七〇ドルまでになっているのは需要供給の関係ではなく,ドルがそれだけ目減りしたということに他ならない.


    《 多極化の中での日本の優位

  円が今一番強いということは,世界経済の混乱のなかで,日本が一番リスク許容度が高い,つまり経済的底力が大きいということに他ならない.経済的強さと言っても他との相対的なものなのだから,同じディプレッションでも,日本の経済的潜在力の強さは,マスメディアの一国経済主義の危機主張とは違って,大きいのである.最大の純債権国であることに変りはないし,家計の金融資産は実に1545兆円(平成19年末),GDPの三倍強に登る.「百年に一度の危機」と言っても百年以上存続している企業は山ほどあって,いずれも昭和一桁代の世界恐慌にもその後の大敗戦にも耐えてきているのである.日本文明の強さは時代の激変に対してしたたかな変容力があることである.だから今,そしてこれから,必要なのは一国主義の閉じ籠り意識から脱して,世界経済の方向性に対しても,国際政治,国際関係に対しても,国家主権に基づいて,発言力を発揮することである.多極化の世界で,日本は今一番余裕があって,優位に立っていることを忘れてはならない.


《 お便り 》

  この論攷は頭書の通り,日本教師会の機関誌『日本の教育』(平成21年6月号)に,掲載されたものである.既に掲載時より半年以上経過したので,同担当者の許可を得て,ここに再掲させて戴いた.というのも,昨年後半,一部の読者より「折角,Web論攷をみてやろうと思ったのに,おまえはその後何も書いていないではないか」とお叱りを受けたからである.書いていないのではなくて,よそで書いていた訳だが,実は昨年7月段階で,「偽りの夜明け:アメリカの楽観主義」というテーマをずーっと持続しており(これについては次回に掲載),その状態が延々と続いていて,いくらしても変調を観察することがなく,そのままになっていたのである.


    私のこのWebコラムは,普通のコラムとは違って,決して単なる感想や時局への見解を述べるものではなく,あくまで短くても「纏った論攷」を掲載しようというものなので,無理に慌てて何かを発信しようというものではない.偶々このコラムの開始が「リーマン・ショック」と重なったため,この「世界的金融危機」の最初の一区切りがつくまで,同じテーマで書こうと思って,しかも金融危機がある意味で,予想外の展開になったため,ちょっと時間が経ってしまったという次第である.


    唯それでは読者とのつながりが疎遠になるので,これから論攷掲載の「うしろ」に,ちょっとした「通信欄」をこのように付けて,奇特な読者への私信としたいと思う.題して《お便り》と称する所以である.今後はこの《お便り》欄も楽しみにして戴きたい.