サブプライム〜アメリカを笑え!!(2) ─過剰流動性が生み出した虚像

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サブプライム〜アメリカを笑え!! (2)

─ 過剰流動性が生み出した虚像


  アジア金融危機のとき,ヘッジファンドの大きな一方的流れに関して「ドルが余りに過剰だからではないか」という質問を,公開の席で一流大学の経済学者にぶつけてみたことがある(平成10<1998>年2月,於大阪).その時の答は「それならドルは下落する筈」ということで,暗に「ドルが下落していない以上,過剰流動性はそんなに大きくはない筈」と示唆されて,そんなものかなーと思ったことがある.貿易収支や双子の赤字(Twin Deficit)については解っていても,国際収支についてはまだ確固たる理解がなかったためである.


  「そんなものかなー」でないことは、今や何の説明も不要だろう.平成14<2002>年以後平成19<2007>年一杯までの途方もない過剰流動性に較べれば,アジア金融危機のときの過剰流動性はそれ程でなかったと今は言えても,当時は当時のレベルでやはり,ドルの過剰流動性は顕著だったのである.にも拘らず,ドルが下落しなかったのは,アメリカの高金利政策によっていたからに過ぎない.一流大学の経済学者といってもそんなものなのである.


  今回の過剰流動性は,サブプライムローンから,債務を証券化したCDO(Collateralized Debt Obiligation,債務担保証券),更にその債務を保証するCDS(Credit Default Swap)によって途方もなく拡大した.ヘッジファンドがこれらを使って,更にレバレッジ(てこ)を効かせて,資産規模を拡大,また自らはファンドを組まない銀行はそれらのヘッジファンドに貸し込んでいった(大量破壊兵器CDSを抱えたヘッジファンドの破綻処理はまだ殆どなされていない.あくまでこれからの問題である.しかもその間に資産はまだまだ劣化する.上記デリバティブ商品の不良債権化から,消費者ローン<Home Equity Loan>,クレジットカードの厳格化によって益々クレジット・クランチが一気に拡大したのが,アメリカ自身の金融危機である).


  ドルの過剰流動性にも拘らず,ドルが強かったのは,第一にアメリカが高金利政策をとっていたからだが,その高金利のためにアメリカに還流したドルによって,アメリカ家計の借金生活が可能になり,旺盛な消費が可能だったことは既に何度もどこででも言われている通りである.問題はその旺盛な消費生活による貿易赤字が,上記のような証券投資を含む投資収益収支の黒字によって,一定の割合で補われ,(21世紀に入って,更に)対外純債務が対GDP比で悪化していても,アメリカ経済は健全であるかのように見えていたである.


  双子の赤字の拡大にも拘らず,アメリカ経済が健全であるかのように見えている間は,ドル資金は回転し続け,回転し続けている以上,ドルの強さは損われなかったのである.アメリカが純債務国に転じたのは,昭和61(1986)年である(その時,日本は世界最大の純債権国になった).それ以来双子の赤字は一時期を除いて拡大し続けていたにも拘らず,ドルが強さを保持していたのは,不思議な現象であった.それでも90年代はITというアメリカ発の情報革命が実物経済を牽引したからまだよい.ITという情報革命はアメリカ経済のみならず,アメリカ文明の強さが生み出したものだからである.しかし,ITバブル崩壊後のアメリカ経済の強さは理解できかねるものであった.


  理解できかねるといっても,現にアメリカ経済のGDP成長が続き,ドルの強さが持続している以上,それは「理解できかねる」方がおかしいということになってしまう.しかし,「双子の赤字の経済が強いなどというのは,いくら基軸通貨国だからといっても,やはりおかしいのだ」ということは,今や歴然としている.金融グロ―バリズムは巨大な詐術,錯覚,夢まぼろしだったのである.私が「アメリカを笑え」というのは,正にこの一点を指している.


  思えば,ゴールドマン・サックス(GS)の通称「BRICsレポート」(平成15<2003>年10月)というのも,おかしなものである(正式には「BRICsとの夢:2050年への道程」<Dreaming with BRICs:The Path to 2050>という投資家向けのレポートである).これについては様々な議論が沸騰したが,その前提としてこのレポートが純粋の経済予測であるかのように思われていたということがある.しかしほんとうにそうだったのだろうか.


  もともとが投資家向けのレポートであって,次に投資するとしたらどこがよいかという証券会社の試案にすぎない.このレポートによって確かに長期的直接投資がBRICsに向ったことは事実であり,それは当該国の実物経済の成長に寄与した.しかし半分は証券投資であった.


  アメリカに還流したドルはアメリカ家計の借金生活と消費を支え,それでも尚余りがあって,(利を求めて)どこかに投資せざるを得ない.世界中に滞留している過剰ドルも,利を求めてどこかに投資先を求めている.「BRICsレポート」とはヘッジファンドのハゲタカ資金に,どこへ向うべきかを示唆した「ハーメルンの笛」ではなかったのか.


  先進国は勿論,かつてのNIEs諸国のように既にテイクオフした国に投資の妙味はない.大幅な,しかも短期の利をむさぼるには,新興国がよい.確かに長期的投資の部分もあったが,ファンドの大半は短期的な投機先を求めていた.何といっても,世界のGDPの10倍もの過剰流動性(といっても,バブルがはじければレバレッジの部分は雲散霧消してしまうから,その割合は一遍に縮小してしまうが)である.


  勿論,総てが全くの虚構という訳ではなく,また「虚から出た実」ということもある.それに見合う実の部分は,BRICsにしても,N―11(Next-Eleven)にしても,それぞれの国情に応じて,相応の実物経済の成長はあった.しかし,株式や債権などの金融部分の急激な上昇は,過剰流動性が生み出したものであって,実体的な裏付けがあった訳ではない.


  現に一旦バブルがはじけて,新興国の株価がニューヨーク・ダウ以上に,つるべ落しに下落したのは,ヘッジファンドの現金化のために,投機資金が一斉に新興国から引上げたからに他ならない.実物経済の正当な評価とは無関係のものだった.だから,アメリカ以外の国々の株価下落の割合は,「外人投資家」の流入資金の割合の反映に他ならない(勿論,自国民しか株を買えない株式市場がある中国などの株価下落は別である.これは世界的な金融危機とは別に,国内要因で大幅下落は目前に迫っていた).


  双子の赤字を抱えた最大の純債務国の経済が,いくら基軸通貨国だからといって,強いというのはやはりおかしかったのである(強いのは,刷り続けたドルの過剰流動性の「回転」が効いている間のことであった).いつかはそれが問題になるとは思いながら,いつどのような形で危機となるのかは私にも解らなかったが,私だけでなく誰にも解らなかったのである.


  クレジット・クランチによって,一旦収縮した過剰流動性も,今後の(アメリカだけでなく)世界的なゼロ金利や景気対策によって,将来また別の形で現れるだろうが,それについては次稿で改めて考える.問題は過剰流動性をコントロールする方法を我々は全く知らないということである.