中国に対する過大評価

> コラム > 小林路義教授のアジア文明論


  総論2<『日本とアジア』平成12(2000)年9月号記載稿を再掲>


中国に対する過大評価


  常日頃,気になって仕方がないことに,中国に対する過大評価ということがある.勿論その原因は解っている.直接の原因はアメリカのクリントン政権内で,中国重視派が主導権を握ったことと,毎年8%成長をしていかなければ,中国経済という自転車が倒れ兼ねない中国政府が,12億人の消費市場という幻想をばらまいて,更なる外資の導入を図ろうとしたことで,米中の利害が一見一致したことにある.


また,同じ頃(平成5<1993>年〜8<1996>年,) ジョン・スネビッツなどの「21世紀は華人の世紀」という言説が国際ジャーナリズムを賑わして,その影響をすっかり受けてしまった人が多いこと,そして日本の場合は「アジア=中国」という偏見からどうしても自由であり得ないということがある.


  しかし,過大評価は過小評価とともに,外交や経済政策を誤りかねない.言うまでもなく中国は共産国である.ソ連が崩壊した後,私は中国がどのようにして「二十世紀の妖怪」共産主義という衣を脱ぎ捨てるのか,或いは,共産中国の「崩壊の図式」にはどのような可能性があるのかを考え続けてきた.


  先ず考えられるのは,ソ連と同じように周辺民族の独立だが,最後の帝国主義国家「共産中国」の強力な弾圧とウィグル自治区や南モンゴル,チベットへの漢族移住によって,その可能性は細る一方である.また歴代王朝の崩壊時のように,特異な宗教グループの反政府運動も,共産党政府の独特の人権弾圧によって,双葉のうちに摘みとられて可能性は薄い.私の行きついた結論は結局,高成長に伴う中国の内部矛盾によって共産中国は崩壊するだろうということである.この時まで日本は一歩も二歩も距離をおいておくべきだというのが私の考えである.


  中国経済については,もう少し落着いて考えてみる必要がある.10年近く10%前後の高成長を続けてきたとは言え,この間一人当りGNPは300ドルから800ドルに上っただけである(平成11(1999)年は780ドル,世銀).この数字には様々なことが言えるが,中国経済の現状は外資が回転しているだけであって,技術や資本の内部蓄積はまだまだ先の話だということである(但し,貿易黒字は大きく,外貨準備高は日本に次いで2位である).


そして問題は,中進国どころか,そのずーっと手前の1200〜1300ドルになるまでに一波乱も二波乱もあるだろうということである.中国は開放政策以来まだ,経済挫折を経験していない.1000ドルを超えた時,高成長に伴う内部矛盾を,犠牲を最小限にして乗越えることができるとは,とても思われない.


  その経済的分析は省略して,ここでは中国経済の経済以前の弱点について述べておきたい.それは「信頼の及ぶ範囲」ということである.フランシス・フクヤマの『信頼』(邦訳は『「信」なくば立たず』三笠書房,平成8年)に触発されて,私は中国経済を「信頼の及ぶ範囲」という視点で観察してきた.中国人の信頼の及ぶ範囲は極めて狭い.


  偽物を平然と売り付けたり,他人をすぐに裏切ったりできるのは,また,人治が総てで契約や約束が意味をなさないのは,すべて「信頼の及ぶ範囲」が極めて狭いからである.企業が大きくなっても,次の世代には男子相続で幾つかに分割されてしまう.華人の資産は金融,商業資本には向いても,産業資本には向かない.従って中国経済は資本主義経済ではなく,その経済成長は基本的に商業資本としての回転の成長であって,国際経済の脇役以上に出るものではない.


  そもそも近代文明,現代文明は海洋文明である.アジアと言っても,「アジア太平洋の繁栄」に参画できたのは,西太平洋の国々である.中国にしても,この繁栄に真っ先に参加できたのが沿岸地域であるということ自体が,「アジア太平洋の繁栄」が海洋文明としての発展だったということの何よりの証左である.しかし,大陸国家が海洋文明の覇権を握ろうとするなら,周辺国がしっかりしていれば,それは失敗して己に跳ね返るだろうし,周辺国がだらしなければ,その海洋文明の繁栄をぶち毀してしまうだろう.中国に対する実態を無視した過大評価は,中国自身にとっても,周辺国にとっても,危険なのである.大陸国家はまだ,海洋文明との付合いの方程式を見出してはいない.